9話 いざ精霊の峰へ
二週間の訓練の末、実力を認められた啓吾は精霊魔法を使えるようになるためにクリスタ、サンテリと共に短い旅に出ることになる。それが全てのはじまりとも知らずに……。
※一部改稿しました。魔法の設定を修正したのに伴い、戦闘シーンに若干の変更を加えています。(8/22)
啓吾がヨウシアの養子になってから二週間の時が流れた。
ヨウシア一家での談合の結果、朝はクリスタと狩りの練習、昼からは稽古場で腕を振るい、夕方はエミリアに料理を学び、夜は“身体強化”の鍛錬というかなりハードな毎日を啓吾は過ごしていた。
それでいて、
「今まで一番充実しているかもしれないな」
などと言うものだからヨウシアやエミリアは苦笑するしかない。クリスタは、純粋に喜んでいたが。
ただそれは一方で、未だ半信半疑の眼差しをもって啓吾を遠巻きに眺めていた一部のアニム族に対する啓吾なりの誠意の表れに他ならなかった。
とはいえその合間にも、ヘルッコの所で防具の微調整をしたり、ヤーキマの手甲に修正を頼んだり、ケイヨが作り上げた十字槍の切れ味に感嘆したりと啓吾は自身でも驚くほどにアニム族の人々と順応していた。
多分にそれはアニム特有の距離感や、身内への親愛の深さに由来するところが大きい。後からそれと知った啓吾は、先達の“放浪者”と、ヨウシア達に自分を頼んだという名も知らぬ誰かに言葉に尽くせぬ感謝を覚えたものである。
ともかく、それだけ濃密な時間を過ごしていればそれなりに進展もある。
例えば、“身体強化”だ。一週間の鍛錬の内に、啓吾はこの力をなんとか自分の物としたのである。
地道な反復練習の末に、より具体的かつ現実的なイメージが魔力に乗せやすいと気付いた啓吾は、漠然としたそれではなく、例えば自身の筋肉の活性化、例えば骨や皮膚の硬質化というイメージに切り替えることで発動の切欠をつかんだのである。
その後は、ひたすらイメージと結果の擦り合わせや魔力の制御感覚の強化の繰り返しである。
そして今日、啓吾は己が努力を試さんと稽古場に来ていた。
いつものトレンチコートの下には皮鎧、両手には手甲、太ももと胸元に取り付けられた小鞘には投擲ナイフ、啓吾の姿は随分と精悍なものへと変わっている。
対するサンテリもいつぞやの弱気な面影はどこへやら、闘気に満ちた瞳を宿している。装備も一新していた。啓吾の皮鎧に良く似た、いや全く同じ鎧である。
この少年、あの一戦以来並々ならぬ敬意を啓吾に抱きそれに近づこうと鍛錬を重ねていたのである。その一環で無理を言ってヘルッコとヤーキマに頼み込んだのだが、啓吾はそうと知らない。
今回は観衆も稽古場の壁際に距離を取り、二人の側には審判代わりのヨウシア一人である。
心地よい静寂、ぴりぴりと肌を指す緊迫、観衆の中から投げかけられる妹の期待の視線、目の前の雄敵、啓吾は笑みを浮かべながら右手の木剣を握り込んだ。
「はじめっ」
ヨウシアの掛け声と共に、爆ぜるように二人は激突した。
共に強化された肉体をもって三つの剣がぶつかり合う。サンテリの双剣が縦横無尽に攻め、それを啓吾は木剣一つで捌き切る。
“肉体強化”を得た啓吾は、サンテリを圧倒していた。
両手を遣うサンテリを、片手で往なす。すなわち、残った左手はいつでもサンテリを沈めうる余地がある。
けれど、啓吾はそれをしない。これは試験でもあるのだから。
瞬間、微かな魔力の揺らぎと自らの悪寒に従って啓吾は全力で横に飛んだ。
間断なく、つい先ほどまで啓吾が立っていたところに魔法陣が浮かび上がると同時に土壁が轟音を上げてつき上がってくる。サンテリの精霊魔法である。
次々と飛び出してくる土壁を、しかし啓吾は危うげなく回避する。どころか、合間を縫って投擲用の木剣を投げ打つ妙技をみせた。
魔法に集中していたサンテリが驚きながら回避したことで生まれた空白に、啓吾は躊躇わず前へ踏み込んだ。瞬間的に最大まで高めた強化が、啓吾を強弓から放たれた矢の如き速度でもってサンテリに肉薄させる。
「ふんっ!」
「せいッッ!!」
両手で握った啓吾の木剣と、重なり合ったサンテリの二剣が一瞬競り合って、弾け飛んだ。
「そこまでだ」
立っているのは、啓吾である。
吹き飛ばされて地面に倒れたサンテリの側まで歩いていくと、啓吾は右手を差し出した。こんどは、サンテリもしかりとそれを掴んで勢い良く立ち上がる。
「さすがです、ケーゴさん」
「ありがとう、サンテリ」
笑顔を浮かべ合う二人に、稽古場の観衆は沸いた。
「ケイゴ、充分に肉体強化を遣えるようになってみたいだね」
「魔力の感知もできているし、合格ね」
観衆から離れるようにして、ヨウシアとエミリア、それに笑顔満面のクリスタが近づいてくる。
今日は狩りも休み。朝からの試験であった。それもこれも−−−−−−
「これで、精霊の峰にいけるわね」
そのためであった。
半時ほどして、啓吾、クリスタ、サンテリの三人の姿はメンカルトゥールの森深くにあった。
いまはオーストレームの里から北東へ三町ほどであろうか。鬱蒼と茂る太い木々と雑多な植物を掻き分けるようにして、ほとんど獣道のようなところを三人は歩いている。
三人が目指すのは、アニムの間で“精霊の峰”と呼ばれる山だ。子供の足で三日、大人の足でもほぼ丸一日は掛かる道程である。
精霊の峰は古来より精霊と繋がることができると場所として神聖視され、遠くアルプ山脈の向こう側にあるアルヴ族の集落からも守護のための人手が割かれている希有な土地でもある。
オーストレームの里で精霊魔法を遣うに足りるとされた子供達は、二人の付き添いと共に精霊の峰まで歩き、その中腹で一晩を過ごすことにて閃きを得るのだ。
もちろん、クリスタとサンテリは付き添いである。
時折飛び出してくるソードラビットやグレイウルフを三人は危うげなく倒し、啓吾の“インベントリ”に収納してひたすら進む。
言葉を交わす余裕はない。上ったと思えば下り、右に曲がったと思えば左に、肉体的にも精神的にもけして楽でない道のりなのだ。
一刻ごとの休憩も、水と僅かな干し肉を口にして、互いに励まし合うのが精々という感じであった。
三人がようやく一息ついたのは、日が暮れて夜営する場所を決めてからであった。
アニム族は森の中で夜営にテントを張らない。適当な大樹を選んで、その枝の上で苔色の毛布を被って眠るのである。
従って、三人の目の前にあるのは焚火一つである。
啓吾とサンテリは予め魔法の袋に用意していた鹿肉を鉄串に刺して炙っている。クリスタの方は、自前の料理道具と野草でスープ作りだ。一生懸命に鍋を掻き回すその姿に、少年二人は微笑ましい気分を味わいながら火の番をしていた。
夜の帳が降りた森の中は、静かであった。
虫の鳴き声、吹き抜ける風、木の葉のざわめき、それに焚火が小さくはぜる音。清涼な空気の中でその風情を感じていると、前世の歳ならば酒か煙草が欲しくなるな、と啓吾は思う。
久しぶりに、のんびりとした時間を啓吾は味わっていた。
「どうかしましたか?」
「うん? いや、こうしてみると風情のある森だな、と」
「あはは、ケーゴさんがそんなこと言うなんて似合わないですね」
「言うようになったな、サンテリ」
楽しそうに笑うサンテリの肩を小突いて、啓吾も笑う。
この二週間で、サンテリも随分変わったと啓吾は思っている。
元来優しい性格だったサンテリは、しかし戦士の才能を持って生まれてきた。啓吾も持つ“天稟”という生来天与のスキルをこの少年は持っている。アネルマ曰く一時代に数えるほどしかいないというこのスキルを、里の中では他にクリスタだけが持っている。
それ自体は紛れもない幸運に他ならないのだが、ことサンテリにおいてはそれが孤立への一歩になってしまった。
早くに両親を失くしたサンテリの育ての親はアネルマとアルトゥーリだった。面倒見の良い二人は、けれど里の重役であるし中々に付きっきりという訳にもいかない。戦士として稽古場に通うようになっても技量では格下になってしまう同年代とはどうしても打ち解けられず、尊敬するヨウシアや先輩には遠慮を覚えてしまう。唯一の例外であるクリスタは狩人の道を歩いていたし、女性であるという事実がサンテリを臆病にさせていた。
そんな彼にとって、振って湧いた啓吾という存在は衝撃であり、目標になり、なにより対等に向き合える同年代の少年であった。
啓吾もまた、そんなサンテリが気に入った。ある種のシンパシーと言ってもいいだろう。
他人と違うことで孤独を味わった前世の自分を、啓吾はサンテリに重ねていた。だからこそ、サンテリとの稽古を楽しんだし積極的に交わろうとした。周りもまた、それを喜んだ。
「なあ、サンテリ」
「どうしたんです、ケーゴさん?」
「そう、それだよ。そんな他人行儀はよしてくれ。啓吾でいい、俺たちは友達だろう」
笑いながら告げた啓吾の申し出に、サンテリはいくらか目を見開くと恥ずかしそうに俯いてしまった。
クリスタは鍋から目を話さずに、けれど聞き耳をしっかり立てているのが頭上の狐耳にしっかりと表れている。
「あー、無理にとは言わないんだが−−−−−−「ケーゴ」
「うん?」
「……ケーゴって呼んで、良いのかな?」
「当たり前だ」
「わわっ」
顔を赤らめて呟くサンテリに、啓吾は笑顔を浮かべながらその肩を搔き抱いた。
クリスタは、もはや鍋を見ることすら止めてニヤニヤと二人を見ていた。
「良かったね、サンテリ!」
「う、うん。クリスタ、さん」
「うーん、私はクリスタって呼んでくれないの?」
「うえっ!?」
「あっはは、言われたなサンテリ。クリスタも友達になりたいみたいだぞ」
茹で蛸もかくやという真っ赤な顔になったサンテリは、絞り出すように「クリスタ」と呟いた。
嬉しそうに返事をするクリスタに、啓吾は思わず少し吹き出してしまった。
「なんか、信じられないや」
「なにがだ?」
「僕に友達ができるなんて」
「ふふ、変なの。みんな友達だよ。友達で、家族」
「そうかな」
「らしいぞ」
「ふふ、ふふふ」
「あはは」
三人の笑い声が、森の中に響いた。
しばらくして、食事を済ませた三人は一つの大樹のそれぞれ違う枝の上に背を預けていた。
夜空に浮かぶ二つの月が、三人の顔を幽かに照らしている。
「ケーゴ」
「どうした?」
呼ばれて身を起こした啓吾の視線の先で、ぼんやりとサンテリは夜空を見上げている。
視界の端で、クリスタが眠たげに目を擦りながらこちらを気に掛けているのを、啓吾は気付いていた。
「どうしてケーゴは戦士になろうと思ったんだい?」
「ふむ……」
唐突な質問に、思わず啓吾は返答を躊躇った。
しかし、サンテリは啓吾の返事を待たずに言葉を続けた
「僕は、別に戦士になりたかったわけじゃないんだ」
「他の仕事をしたかったのか?」
「ううん、違うんだ。何かになりたいだなんて僕にはなにもなかった。ただ、戦士の素質があるって言われて、ヨウシア戦士長にも憧れてたし、それで、とりあえず戦士に……」
サンテリのその言葉は、どこか苦しいものを吐き出そうとするようで。それでいて何かに躓くように、尻窄みに虚空へ消えていった。
「……いいんじゃないか。それでも」
「えっ?」
「“僕の前に道はない、僕の後ろに道は出来る”」
啓吾が諳んじたのは、高村光太郎の『道程』の序文であった。
「道なんて最初からあるもんでもない。それが正しいかのように歩いてみて、気がついたらどうにかなっているもんだ」
「難しくて、分からないよ……」
誤摩化されたと思ったのか、ふてた顔をして背中を向けてしまったサンテリに啓吾はゆっくりと、言葉を選ぶようにして話し始めた。
「前の世界で、俺は随分と捻くれていたんだと思う−−−−−−」
かつての啓吾にとって、家というのは恐ろしく歪んだものであった。ほとんど母親と二人で暮らす生活は叱責と理不尽ばかりで、啓吾はただそれを受け入れ続けることしかできなかった。
だから、自分で何かを決めて行動することも、人と触れ合うことも、ただひたすらに怖くて、できない。そして、自分がそういう人間であることに無自覚であった。
父が教えてくれた剣だけは、たった一つの例外であったけれども。
父と母が死んだ後、気付けば啓吾は底なしの喪失感とどうしようもない苦しさに沈み込んでいた。受け入れきれないものが、溢れ返っていた。
祖父がいなければ、啓吾は自分がどうなっていたのか、何もわからない。
泣くことも、喋ることも忘れたように茫然自失と立ち尽くす啓吾を、月旦はただひたすらに抱きしめて、啓吾の代わりと言わんばかりに慟哭して、止めどなく啓吾に語りかけてくれた。
『啓吾、啓吾はそのままでよいのだ。俺が一緒にいようよ。なにも恐れることはない、お前さんは誰よりも頑張った。それでいい。それでいいのさ』
今から思えば、自分は誰かに認めて欲しかったのだろう、と啓吾はそう思う。
月旦と暮らし、共に語らい、剣を交え、その営みの中で啓吾は緩やかに自らが蕩けていくのを自覚していった。歪んでいる自分を知覚していったのだ。
それでも、何もできない。何も目指すところのない啓吾を、けれど月旦は責めることは無かった。好きなように生きろと、老骨の耐える限り支えてやると、そう言われた。
「……でも、俺には剣しか無かった。他に何を学んでも、それが血肉についたと思うことはなかったんだ。剣だけが、俺の安らぎだったんだ」
いつしか息を忘れたように啓吾を見つめる二人を、しかし啓吾は見ない。
ただ、夜空に浮かぶ月を眺める。祖父が愛した月夜を思い出すように。
「この世界に新たな生を受けて、俺は最初、どこかで怖がっていたんだと思う」
まともな家族というものを知らない自分が、ヨウシアやエミリア、クリスタの前でちゃんと振る舞えているのか。自分は、アニム族というコミュニティの中でちゃんとした役割を持てるのか。それが啓吾には無性に怖い。
「だから、俺は戦士を選んだ」
自分には、戦うための術しか自信がないから。
それは決して前向きな覚悟ではないと知っていても、それしか選びえなかったのだ。たとえ、ヨウシアの剣を学びたいという別種の動機が無かったとしても、それは変わらなかっただろう。
「俺は、俺らしく生きることを選んだ。その選択が正しいかのように思うようにした」
そして、そこでサンテリと出会い、剣を振るう場を見つけ、自らの在り方がピタリと当て嵌まる場所を見つけた。それは啓吾にとって天啓にも近い出来事であった。
「それでも、間違ってない保証なんてどこにもない」
剣を交えることに歓喜を覚え、サンテリとの模擬戦に奮起し、クリスタとの狩りで命のやり取りに生きる充足感を見つけた。それでも、啓吾はどこかで何かを恐れている。
だからただ、貪欲に強くなろうとしている。戦うことに意義を見出そうとしている。それで良いかの如く、前に進み続けている。
「そうやって、俺は俺でいようとしている」
サンテリとクリスタの頬を、冷たい雫が伝う。
啓吾は、二人を仰ぎ見るようにして笑った。
「それにな、最近、やっとこれで良いんじゃないかと思えるようになったんだ」
森の中で魔獣との死線を潜るたびに、啓吾はこの世界がただ甘いだけのそれではないことを実感している。オーストレームの里にすら生活のすぐ側に死が隣り合っていると、知った。
そして、里の中の生活がとても温かいことも、家族というものの幸せも、たった二週間の内に身に染みて知った。
「俺は、俺が大切だと思う人のために戦いたい。戦えるように、なりたい。称号も職業も、そんな記号じみた分け方は興味がないが、そのための生き方が“戦士”なら、それで良い。そう思えるようになったんだ」
自分が、自分であることを認められるようになった。
それはまるであの荒野のように豁然とした憧憬で、それがどうしようもなく啓吾には嬉しいのだ。
「お前達のおかげだよ」
この世界に来て、一番自然に笑えたように啓吾は感じた。
「「ケーゴ!」」
「……ッ! 静かに!!」
二人が身を起こそうとした、その瞬間、啓吾の口から警告が零れていた。
「何か、来る……!」
背中を奔った悪寒が示す啓吾の視線の先に、闇に蠢く姿が、見えた。
精霊の峰へと進む一行に忍び寄る影、その存在はやがてオーストレームの里をも巻き込む騒動の発端へと繋がって行く……。
次回、第10話『ゴヴリン』、明日の夜をお楽しみに!




