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0話 橘啓吾という青年

 前回書いていた駄作を解体して、煮詰めて、設定資料を練り上げて、醸造して出来上がった作品です。しばらくはストックがあるので毎日更新。少しでも楽しんでいただければと思います。


※大改訂しました。話の大筋は変わっていませんが、啓吾のバックグラウンドをもう少し詳しく描写しなおしています。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 リズムを刻むレールの音と一緒に、窓の外から眺める風景が流れていく。

 気怠くなるような昼下がりの電車の中はさほど混んでもいない。奇妙な静寂が降りている。


 忙しなくスマートフォンを触るスーツ姿の男性。鏡から視線を外さずに化粧をしている女性。肩を寄せ合って眠る男女。っと中空を睨んでいる老人。

 それぞれに物語ストーリーを抱えた人々が、けれど交わることもなく刹那の空間を共有している。


 橘啓吾たちばなけいごもまた、その中の一人であった。


 女性と見違うような小軀しょうく、妙に大きな草臥くたびれたミリタリートレンチ、年齢不相応な鋭利えいりな目元。一見で彼が大学生だと見抜ける人間は少ないだろう。

 何に寄りかかるでもなく静かに立つ青年は、ただ外の景色を眺めている。


 東京の西側を走る京王電鉄は調布ちょうふの辺りで地下に潜り、中核市八王子へと繋がる本線と南に逸れて多摩センターを通る相模原線に分かれている。

 啓吾の乗っている電車は、今まさに丘陵に拓かれた多摩ニュータウンのただ中を走っている。あと数駅もすれば彼の通う大学最寄りの駅に到着するだろう。

 啓吾の顔には、これという感情も浮かんでいない。

 


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 電車は揺れる。風景は流れる。

 自分だけが、一人、立ち止まっているような錯覚さっかくが訪れる。



 啓吾は、大学というものが好きではない。

 いやむしろ、馴染なじめなかったというべきかもしれない。


 啓吾の生まれ育ったのは東京ではない、神戸こうべだ。

 大学生になって上京するまで、彼にとって東京というのは年に数度祖父に会いにくるだけの場所であり、それ以外にまるで己の人生に縁のないところだと思い込んでいた。


 祖父、辻内月旦つじうちげったんは優しさと厳しさを併せ持つ老人であった。


 東京も西の外れ、八王子に近い街中に小さな道場を併設する小洒落た庵を結び、庭には四季の植物を無造作に植えるものだから、近所の子供達からは“化け物屋敷”などと呼ばれている。

 父に連れられて啓吾が訪れると、自慢の綺麗に整えられた顎髭あごひげを扱きながら皺だらけの顔に満面の笑みを浮かべて迎え入れてくれたもので、その姿は好々爺としか言い様がなかった。

 実際、今の啓吾とほとんど変わらない小軀に着流しがつねであったから、余計に落ち着いた雰囲気を醸し出していたのである。


 それでいて、啓吾が隠れて悪さをするたびに見もせずに言い当てては心胆しんたんちぢみ上がるほどに叱られたものである。

 けれども、やはり祖父と彼の住む小さな庵は啓吾にとっては温かい場所であった。


 夏休みと冬休み、啓吾の通う学校が大きな休みになるごとに、母親から逃れるようにして祖父の元に預けられたものだ。


 思えば、啓吾の母は気狂いじみた酒好きの女であった。

 一日の半分は酒に酔っていて人の話など聞いているのか定かですらない。とにかく我が道を行く言動で、反抗などしようものなら罵声と暴力が飛んでくるような人であった。


 それでも、啓吾は母親を愛していた。

 いや、愛さざるをえなかったのかもしれない。

 仕事に忙しい父が家に帰ることは少なかったし、自然、未だ少年に過ぎなかった啓吾には一緒に暮らす肉親に愛情を抱くのになんの躊躇いもなかった。もちろん、それで父への愛情が減ずるようなことこそなかったが。


 啓吾には、酔っていない時の母親はマトモに見えたし、酔っていても一本の筋は通っているように思えたのだ。

 少しばかり時代錯誤じだいさくご、まるで戦国時代のような死生観の持ち主ではあったがその筋の通し方が、啓吾は嫌いではなかった。


 なにがあろうと屍だけは必ず拾う。


 いつのことだが、脈略も覚えていない昔に母が言った言葉が、啓吾の脳裏にこびりついて離れない。

 死ぬことを恐れず、信じるもの、愛するもののために生きて死ねという考え方は手垢に汚れた思想なのかもしれないが、それでも啓吾の根幹に深く関わっていた。


 人の話など聞きもしない。傍若無人に振る舞う母は、それでもやはり母には違いなかったのだ。


 ところが、どうしたことか彼女は血も繋がらない父方の祖父には近づこうともしなかった。何かの折に話に上がるだけで不機嫌になって、黙然もくねんと缶ビール呷るのだ。それがどうにも不思議で、けれど恐ろしくて、啓吾もまた母の前では祖父の名前も出さなかったものである。


 まるで違う二つの生活を繋いでいたのは、啓吾の父親であった。


 大きな身体でいつも笑顔を絶やさない布袋ほていのような父は、母とは対照的におよそ寡黙な人で、人一倍の苦労人でもあったと啓吾は知っている。

 年下ながらに苛烈かれつな母に悩まされながら日夜仕事に励み、ひたすら黙々と仕事をこなす父の背中はいつも啓吾には大きく見えた。


 人生を仕事に捧げたように周りは言うが、それが間違いだと啓吾は知っている。

 父はいつでも家族をなによりも愛していた。家族のために、少しでもマシな暮らしができるように、ひたすら邁進まいしんする男の背中を啓吾は見ていた。


 だからこそ、父は多忙なスケジュールの合間を縫っては月に三度か四度は啓吾を連れて遊びに連れて行ってくれたものだ。

 映画、釣り、ビリヤード、口数少ない父親はけれどたくさんのことを啓吾に教えてくれた。


 剣も、その一つであった。


 “剣道”などと呼べるものではなかった。

 長柄や杖はもちろん、投擲や無手も、今日こんにちの柔術の元となった組打ち術も、およそ武術と言えるものが渾然一体こんぜんいったいとなったそれは熾烈しれつなものであった。

 着るものも、得物えものも選ばず、ただ最低限の防具だけを与えられて、ひたすらに打ち合うのである。


 父も、この時ばかりは布袋の笑みはどこへやら凄まじい形相を浮かべた父が猛然と打ち掛かってくると、「なすすべが無い」ほどに強いのだ。

 父との稽古は啓吾にしんとでも言うべき強さを与えた。


 父は、啓吾の祖父からそれ(・・)を学んだという。


 何を思って父が自分を鍛えたのかは啓吾には今をもって分からない。

 分からないが、祖父に言わせれば、


『口下手なあやつのことじゃ。自らを助ける術だとか、誰かを護る力だとか、そういう錯綜さくそうした色々を思っておったんじゃなかろうか。と、俺はそう思う。まあ、お前もそう思っておけよ』


 そういうことらしい。


 いずれにせよ、忙しかった父よりも学校の休暇ごとに遊びにいった東京に住む祖父の方が、啓吾と打ち合った回数は多かったのだが、だからといって父との稽古が色褪せることなど少しもなかったのである。



 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 電車の揺れが、少し、大きく響いた。



 そんな父が唐突にいなくなった。

 啓吾が高校三年生のときであった。

 残ったのはいくばくの遺産と、啓吾には少々大きい形見のトレンチコートだけだった。


 その日のことを啓吾はよく覚えていない。


 覚えているのは、高校から帰ってきた啓吾を出迎えた母。その初めて見る泣き顔。

 心の底から湧き出る全ての感情がぜになったような。虚脱と、絶望と、混乱と、極まった母の鬼気迫る表情だけが啓吾の記憶に楔のように強く打ち込まれている。


 父が死んだ。


 そのことにようやく理解が追いついたのは葬式のさなか、棺桶に眠る父の血の通っていない安らかな顔を直視した時であった。

 もはや取り乱して何もできない母に変わって東京から飛んできた祖父月旦に肩を抱かれ、全身をおこりのように震わせながら、ボロリボロリと涙を零し、言葉にならぬ慟哭に喉を震わせ、静かに、本当に静かに啓吾は泣いた。


 それからしばらくの記憶が、啓吾にはない。

 気がつけば、なんでもない日常に戻っていて、なにかが置き去りになっていた。


 きっと、それは母もそうだったのだろうと今は啓吾も思っている。

 あれほど好きだった酒を飲むのをパタリと止めた母は、寂しく笑う回数が増えた。

 それでも最低限の家事と啓吾の面倒を見てくれた母がなにを思っていたのか、今の啓吾にもそれは分からない。


 そんな状態で大学受験が上手く行く筈もなく、啓吾は二回浪人した。


 一回目はボロボロだった。


 二回目は、国公立に受からなかったからだ。

 これ以上の負担を母にかけるわけにはいかないと啓吾は思い定めていた。


 三年目、啓吾はようやく東京の公立大学に受かった。

 本当にギリギリだった。十倍以上の倍率の中でどうにか手にした大学への切符に啓吾は喜びの涙を流した。もちろん、母と一緒に。


 それから数週間後、安心したように啓吾の母は息を引き取った。

 棺の中に横たわる母の身体は異常なまでにやせ細っていた。父の死からずっと、母はまともに食事を受け付けられない状態であったのだ。


 葬式もその後の面倒も、月旦が全て執り行った。

 母方の親戚が顔も見せなかった理由を啓吾は知らない。今も彼は知りたいとも思わない。



『すまぬ……。すまぬな、啓吾。妙な気など使わずに俺がこっちに来ておれば、もっとやりようもあったやもしれぬのに。すまぬ、すまぬ……』


 この頃のことを啓吾は父の時と同様にほとんど覚えていないのだが、いつも飄々《ひょうひょう》としていた祖父が、わらべのように泣きながら頭を下げていたのだけはどういうわけかよく覚えている。


 祖父がいて、どうなったとも啓吾には思えない。

 やはり、それでも母は死んだのだろう。母はそれほどまでに父を愛していたのだろう。そういう意味では、啓吾は母の死がすんなりと腑に落ちたのだ。

 唐突に訪れた父の死よりもずっと明確で、


(ああ、父さんに会いにいったのだな……)


 そう思った。


 ただ、いつぞやの言葉とは逆の結果になってしまったのだなと、啓吾はぼんやりと考えていた。


 母の死の数日後、祖父の元へと引越しするための荷造りを進めている時、啓吾は父の着ていたトレンチコートを見つけ出した。

 押し入れの奥にしまい込まれたそれは記憶にあるものよりも幾分小さく繕い直されていて、確かに母の手の裁縫が見て取れた。


 なぜこんなものがこんなところにあったのか。母はなにかを予見していたのか。ただ息子に父の形見を残したかったのか。

 啓吾には分からなかった。


 大柄だった父には小さく、小柄な啓吾には少し大きいそのコートを胸に搔き抱いて、啓吾は夜通し静かに泣き続けた。


 それからしばらくのことを、啓吾は曖昧にしか思い出せない。

 二人を失った直後、啓吾は荒れることこそなかった。なかったけれど、次第に塞ぎこむようになり、元から少ない口数もさらに減った。


 今の啓吾があるのは、ひとえに祖父のおかげだ。


 ごたごたした遺産問題を捌き、祖父の住む庵への引っ越しの段取りと実行、しまいに大学を休学したいと啓吾が言い出しても、黙って面倒を見てくれた。


 それでいて、祖父は啓吾のことをただ単に放っておかなかった。

 日が昇れば鬱々《うつうつ》としている啓吾を布団から引っ張りだして剣術の修行。同じ風呂に浸かり、同じ竃の飯を食い、夜は町へと連れ出してくれたのである。


 そのおかげか否か、時間と共に啓吾もまた少しの変化を受け入れていた。

 日がな一日ぼんやりと縁側に座って空を眺めたり、そうかと思えば急に剣の稽古けいこはげんでみたり、子供の頃から好きだった戦略ゲームに没頭してみたり、とにかく一日一日をどうにか過ごしていたのである。


 月旦は、それを叱ることは無かった。

 ただ、常に側に居て、啓吾が求めれば相手になってくれたのである。


 啓吾が縁側に座っていると、どこからともなく緑釉の綺麗な台皿に載せた和菓子と伊賀焼の汲み出し茶碗に入った茶を載せた盆を抱えてやってきて、ちょうど良い距離を置いて座ってくれるのだ。


 和菓子は決まって京都は西陣の鶴屋吉信から取り寄せたもので、落雁らくがんや饅頭、羊羹のこともあったが、一番は柚餅ゆうもちであった。子供の時分から、啓吾がこの餅をいたく好んでいたのを月旦はちゃんと覚えていた。


 それを二人は無言で啄ばみ、茶で飲み下す。

 会話はなくとも、それがどうにも啓吾には居心地が良かった。


 それに、祖父の淹れる茶は抜群に美味いのだ。

 月旦に言わせれば、緑茶に玉露、抹茶をうまく掛け合わせたものだというのだが、啓吾にはどうやってもただの無茶苦茶にしかならないのである。


 ともかくそうして過ごしていると時折、月旦は煙管盆を引っ張りだしてきてプカリプカリと紫煙を浮かべることもあった。

 そういう時は決まって啓吾は月旦の持つ精緻な造りの煙管に眼が引き寄せられて、ついつい雁首に乗っかる蝸牛かたつむりの彫り物を眺めた。


 すると決まって祖父は、


『啓吾も、吸うかえ?』


 そう言って人好きのする笑みを浮かべるものだから、啓吾もついつい乗っかるのだ。

 二十歳はたちを過ぎてから覚える酒と煙草の楽しみ方を、啓吾は全て月旦から学んだものである。



 剣を祖父と交えるのもまた、啓吾には心地よかった。

 底の知れぬ月旦の強さに惹かれるものがあったのも確かであるし、なにより、汗みずくになって剣を打ち合っている間は無心になれたのだ。


 ただひたすらに剣を振り、剣と一体になって仕合に没入する。

 それはどこまでも続く遥かな高みへと啓吾を誘うかのようで、言いしれ様のない快感を啓吾にもたらしたのである。


 月旦はそんな啓吾に何とも言えぬ笑顔で、


『ま、若いうちにはそういうものさ。俺にも似たような覚えがある』


 そう答えたものである。



 祖父は、啓吾のゲームにも興味を示した。

 コントローラーの右と左も分からない月旦にゲームのイロハを教えたのは啓吾にも良い思い出であった。


 ところが月旦は意外にも戦略ゲームに嵌まり込み、いつの間にか自分のゲーム筐体を一式揃えてしまったものである。

 元々チェスや将棋の類いを嗜み、古今東西の軍学にも深い造詣を持つ祖父は元からこういうものを好きになる素地があったのやもしれない。啓吾はそう思いながら、童子のように一喜一憂する月旦に付き合って共闘したり対戦したりとそれなり以上に楽しんだ。


 それまでゲームをするような知り合いがいなかったのも、一因ではあった。

 父も母も興味を示さなかったし、友人とは趣味も実力も合わなかった。そういう意味で月旦は、理想のプレイヤーだったのは間違いない。


 本当のところ、啓吾が祖父に付き合っていたというよりは、祖父が啓吾に寄り添ってくれていたと気付けたのは、随分後になってからだったのだが。



 とかく趣味人と呼ぶべき祖父月旦は、酒の飲み方、喫煙の心得、旨い飯の作り方、啓吾の知らない世界を教えてくれたものだ。


 例外といえるのは、

『この歳になっても女というものは分からぬものさ。そればっかりは自分でどうとでもしておくれ』

 これぐらいだろう。


 月旦は、啓吾にとって変わらず神様のような人だったが、前よりもずっと魅力的で、どこまでもふところの深い家族のような存在になった。


 とにもかくにも、そういうぼんやりとした毎日を啓吾は過ごしたのだ。

 それがどれほど幸せなことで、生産性など口にもできない日々であったことを啓吾はよく分かっている。


 けれど、そういうどうというのでもない毎日が自分の中でなんらかの折り合いをつけたのだろうと、啓吾自身そう思っている。



 ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 いつしか電車の窓に映る景色は、啓吾の通う大学の近くのそれになっていた。



 それでも、時折やってくるどうしようもない感情の波に晒されながら、啓吾はどうにも動くことが出来ないでいた。

 一年以上、大学にもほとんど顔を出さなかった。

 祖父に勧められて通っていた大学学生相談の渡部わたべ教授に会いに行くが、唯一の例外であったろう。


 他人にどう言われようと、退廃的としか思えなかった啓吾の日常に転機が訪れたのは渡部教授にとあるクリニックを勧められた時であった。


 月旦の庵からは電車に乗って小一時間はかかろうかという所にある小さな精神科の医院である。なにゆえ、そんな所を勧められたのか啓吾には分からなかったが、いつも柔和な笑顔で話を聞いてくれる年配の女性教諭に一目を置いていた啓吾はわずかな逡巡しゅんじゅんの後に頷いた。


 はじめてそのクリニックに訪れた時のことを啓吾はよく覚えている。


 初診は小一時間の時間を取っていると言われた啓吾は、その日はいつもよりも早く起きて身支度を整えると、昼前には着くように万端の準備を整えた。

 教授に勧められた医院は最寄り駅から少し歩いた先の十字路の交差点に建つ角ビルの三階に入っていた。


 大人が四人も乗ればいっぱいになる小さなエレベーターを降りて、目の前の受付に名前と保険証を提示した時には、妙な緊張感に啓吾はさいなままれていた。

 祖父に言われていた通り何を話すのか事前にメモに書き留めていたことを、啓吾はどれほど感謝したかしれない。


『橘さん、どうぞ』


 呼ばれて、啓吾が入った部屋は思いのほかものに溢れていた。

 ゆったりとしたソファにオーディオ機器、絵画、医院というよりもくつろげるオフィスのような雰囲気の室内には大きなデスクがデンと置かれていて、その奥から立って出迎えてくれたのは小綺麗な格好の中年男性、前川医師であった。


 白衣を着ていないことに少しばかりの驚きを覚えながら、啓吾は勧められるままに医師の斜め向かいに腰を降ろすとゆっくりと、訥々とした口調で全てをありのまま話した。

 啓吾は書いてきたメモのことなど、いつの間にか忘れていた。

 このとき、どうして会ったばかりの人間に自分があれほど明け透けになれたのか、啓吾は今もって分からない。


 後で話を聞いた祖父などは、


『そういう準備というものが、啓吾、おまえの中で整ったということであろうよ。いつでもよかったということではないわえ。きっと、渡部先生にもそれがなんとのう分かっておったのではないかな。……とかく、俺にもあの時の啓吾はそう(・・)と分かったくらいでな』


 そう言って、朗らかに笑いながら紫煙をくゆらせていたものである。


 ともかく、その日から啓吾は少しずつ変わり始めた。

 適切な薬は啓吾から睡眠障害や無気力感そういう雑多な問題を遠ざけ、月に二回のじっくりとしたカウンセリングによって自らの知らなかった、いや気付いていなかった自分を自覚した啓吾は再び前を向く力を取り戻した。


 唯一の肉親と呼べる月旦への感謝、残された者として前へと進む覚悟、そういった確りとした信念を手にしたのはこの頃のことであった。


 それからしばらくして、渡部教授の助けを借りながら啓吾は大学へと復帰した。

 当然に友達などと呼べるものなどいない啓吾でもやっていける講義を、どうやってうまく一週間のタイムスケジュールに組み上げるか。二人は苦心して時間を掛けながらどうにかやってのけたのである。


 大学側には相当の配慮をしてもらったが、当然、啓吾は周りから浮いてしまった。


 寡黙かもくな気質、年齢離れした思想、関西で培った感性、要因ファクターを挙げればキリが無いが、何よりも、啓吾自身が他の学生たちとの違いを意識してしまった。

 表面的な人付き合いは出来るが、もう一歩を踏み出す気にはなれなかったのだ。

 啓吾は、大学生活というものに馴染めなかった。


『ま、よいではないか。啓吾には啓吾の生き方というものがあろうよ。無理に周りに合わせる必要なんぞないのだからさ』


 月旦の言葉は、意外なほどすんなりと啓吾のに落ちた。

 おかげで「大学生」に馴染めない自分を悩むようなことは無かったが、とはいえ進んで大学に行きたいと思える訳も無い。


 本音を言えば、大学に費やすくらいならば同じ時間で剣術の修行でもするか、月旦とのんびりと過ごす方が啓吾のしょうには合っているのである。

 逆に言えば、それぐらいには啓吾もまた気力を取り戻しつつあった。



 電車が、緩やかに南大沢駅のホームへと滑り込んでいく。


 窓から差し込む春先の陽光が眩しい。

 啓吾は、目を細めながら、けれど真っ直ぐと前を向いていた。


『とにもかくにも、好きにやってみることだ。たとえ何があったとしても、お前さんの骨は俺が拾ってやる。啓吾は、啓吾の好きに生きればよいのさ』


 独りではない。

 それだけで啓吾は、もう少し、頑張れる気がした。



 

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