フジカラーの100年プリント
人民軍の近衛兵に見送られながら、トヨタの四駆に乗り込んだ。高い壁で覆われたゲートをくぐり、1時間ほど海沿いを走らせた。途中で、今は無き日立製作所のCMに出てくるような巨大な樹木が茂っていたのが見える。その樹の幹に、人間の頭ほどの大きさのクマゼミが、とまって泣いている。鳴き声に連動し、クラシックな扇風機のように羽を震わせていたのが怖い。
過去、突然変異種と化した巨大ゼミがあまりにも恐ろしいという人民の声を受けた。そうして、先代の指導者が遺伝子反応型殺虫剤を使ってセミを国内から一匹残らず絶滅させたのだ。以来、この国の夏から蝉の鳴き声は壁の外側からは消えた。壁の内側しか存在しないこの騒音は今はなき、懐かしい夏の象徴なのだろう。
ゲートから先は、自動運転システムが未完備である。軍上層部は手動で運転できる車を探すよう国土交通省に下命した。そうして、役人が自動車博物館から接収した手動運転のガソリン車で壁の内側に乗り込むことになった。
ひび割れたアスファルトにはペイントされた白い塗料がかすれた状態でこびりついている。交差点ごとに電気の切れた信号機や絵のかすれた標識が立っている。その旧態依然とした光景はとても新鮮だった。今時の車は、自動運転システムが車線や信号の管理を行う。壁の外側に街に信号や標識、標示は必要ないのだ。
コンクリート建造物が主流の現在とは違い、道路沿いに並ぶのは木造の一戸建て住宅だ。その歴史事典でしか見たことのない木造建築物は僕をとても懐かしい気分にさせた。パナソニックと書かれた昔の企業の看板を掲げる電気店。今は禁止されているパチンコ店。昔の人たちは、文明水準が未熟であれども、幸せに生きていたのだ。
僕は、美術館の古文書保管庫から接収した紙の地図を見て指示する。運転手は指示通り目的の家へと向かうためにハンドルを切った。高万迫と書かれてある交差点を左へと曲がり、島地区へと向かう。
すんなりと目的の2階建ての一軒家にたどりつく。車を無造作に駐車するとエンジンを切って部下と共に外へ出る。庭は雑草が人の背丈まで伸びていた。部下に命じて瞬間除草剤を撒くと、雑草は見る間に枯れた。雑草が隠していた家の壁は経年劣化で薄汚れている。長年、人の手によって手入れされなかった証拠だ。
草をかき分けながら玄関に向かう。玄関前でポケットから鍵を出した。鍵といっても非接触式のICカードではない。先祖代々受けついできた、旧式の金属製の鍵だ。扉を開き、屋内へと入った。
土足のまま家に上がる。スイッチを入れても照明が点灯しない薄暗い廊下をまっすぐ進む。その先に居間らしき大部屋につきあたった。部屋の隅に神棚があり、お札が飾られていた。
私は20年前に党内の権力を掌握し、労働党党首となった。その80年前、世論の左傾化によって政権を奪取した労働党政権に保守派は反発した。それに対し、労働党は武力によって徹底的に粛清し、保守勢力はほぼ壊滅させた。同時に日本から民主主義の血脈は途絶え今に至る。
僕は労働党党首として、100年以上存在する神棚に一礼した。
それから部下に命じ、部屋を徹底的に家捜しさせた。しばらくして、部下が今時珍しい畳が敷かれている部屋の、押入れと呼ばれる収納場所を見つけた。そこに、今にも土に還りそうなほどボロボロになった段ボール箱から冊子のようなものを見つける。僕はその冊子を手に取り、パラパラとめくった。当時の技術力にしては上質な紙にプリントされた写真を集めた、アルバムというものだった。そのなかの一枚に、若い母親と思わしき女性に抱きかかえられた、ひとりの乳児の写真があった。その写真をそっとポケットに忍ばせると、部下に命じ、ガイガーカウンターで放射線を測定させた。
東日本大震災が起きた当時、福島県双葉町島地区に住む乳児を連れた母親は、何らかの手段を用いて、大津波の被害から逃れることに成功した。しかし、原発は津波から逃れられなかった。メルトダウンした原発から放出される放射能から逃れるすべはなかった。爆発した福島第一原発から周辺に拡散した無数の放射能物質で内部被曝させられた人間は数知れない。
乳児は男の子で、事故後福島県外で育った。予想通り、彼は成長期に甲状腺がんを発症し、治療を続けながら延命に成功し大人になった。しかし、結婚し子を産んだのちあっさりと亡くなった。彼こそ、僕の祖父であり、写真に写っていた乳児であった。彼と同じ運命を辿った人間は無数にのぼる。
だからこそ、あのような悲惨な事故が起きても、頑固に原発の存在を肯定する保守派の連中を憎む世論が醸成されたのだ。彼ら保守派は、国家という器さえ立派でありすれば、国民という中身の水にボウフラが湧こうとも関係がない。自分と自分たちの組織の利益と利権の確保こそが至上命題なのだ。保守派が保守しているのはそのような古き悪き利権構造に過ぎない。
だから私は左翼になり、労働党へと入党した。左翼思想やリベラリズムが好きだからではなく、右翼や保守思想が嫌いだったからだ。保守派が嫌がるのならば、現在の国家体制を根底から壊そうとも一切の罪悪感を感じない。福島の事故で全てを壊された僕らが、安全な東京で愛国を叫ぶ保守派や右翼の大事なものを壊すのは、望むところだ。
放射線量は通常の数値を示しています、と部下は報告した。不浄の地が浄化されたのだ。壁の内部に存在する懐かしい日本はすべて現在の日本と変わるだろう。その前に私は、祖先の故郷である福島の夏を堪能しようと思った。