第六話
誰が言い出したのだったか、これまた全く思い出せないのだけど、ある日、私の仲間内で、「缶けり」をやろうということになった。それが実行されたのは、小六の初め頃だったと思う。メンバーは、小五の終わりにコミュニティーセンターで遊んだ四人にもう四人増えて、八人になった。小五と小六ではクラス替えがなかったので、みんなが同じクラスだった。
そしてその日から、私たちの間で、缶けりはびっくりするほど大流行した。別に特別なことはなにもない、昔ながらの缶けりだ。過去に子供たちが夢中になった遊びには、やっぱり今の子供たちも夢中になるんだなぁ、と、子供らしからぬことを考えていた気がする。メンバーは基本的には変化しなかったけれど、ただ、同じクラスの中で、じわじわと人数が増えていった。
二週間に一度くらいの割合で、缶けり大会は行われた。開催場所は、小学校のグラウンドだったり、赤星公園だったり、その他の近所の公園だったりした。缶けりは、鬼役の人に見つからないように缶を蹴る遊びだ。小学校のグラウンドは隠れられる場所が少ないから、一見缶けりには不向きのように思われたのだけれど、グラウンドだけを使おうとするから、やりづらいのだということに、しばらくしてから気が付いた。校舎に近いところに缶を置けば、校舎の陰や、花壇の裏、水飲み場の後ろ、空き缶・空き瓶収集所、木の上、校舎裏で行う場合は、今は亡き焼却炉の陰など、隠れる場所は沢山あるものだ。ただ一つ気をつけなければいけないことは、缶を校舎に向かっては蹴らないということだ。グラウンド側に向かって蹴るように、ルールを決めていた。こんな風に工夫をしながら、私たちは缶けり遊びに興じていたけれど、段々とマンネリ化していった。もっとスリルのあるような環境に、憧れるようになっていったのだ。
そして、小学校の卒業間近というころ、そんな缶けりメンバーでの、卒業遠足が企画された。卒業記念に、山あり谷ありそして広い、そんな公園で缶けりがしたいということになったのだ。学校のグラウンドはもちろんだが、近所の公園もほぼ平地だった。その頃の私たちにとって、凸凹のある丘があって、大きな林がある、すなわち隠れるところがいくらでもあるような場所での缶けりは、素晴らしく魅力的なものだったのだ。
そうと決まれば行動は早かった。早速教室に地図を持ち込み、理想に見合いそうな場所を探した。市内の運動公園は、林はあるけれど、やはり平地だ。しかも、自転車で二十分という近さである。一応は卒業遠足という名目なので、それなりに遠出をしたかった。自転車で一時間半くらいの場所がいいということになったので、運動公園までの距離の五倍を半径として、小学校を中心にコンパスで円を書き込んだ。 その線の周辺を探した結果、隣町に森林公園を発見し、目的地はそこということに即決してしまった。そこがどういうところなのか、調べもせず、確かめもせず、缶けりの舞台が決まったことを、ただただ喜んだ。森林公園なのだから、そういう場所なのだろうと、信じて疑わなかった。そんなところが、小学生の幼さだった。
初めての卒業式は、とにかく涙涙だった。六年前に経験した卒園式では、大人たちが何故そんなに悲しいのか、理解できなかった。そんなことを思い返しながら、少しは大人になったということか、と自覚した。中学に行っても、私立受験をした若干名以外で、欠けるメンバーは居ない。寧ろ、幼稚園の卒園で別れ別れになってしまった友だちとまた会うことができるのだから、嬉しいことの方が多いはずだ。それなのに、あんなに涙が出たのは、小学校という場所に、少なくない執着心を持っていたということなのだろう。六年という月日は長い。今でさえそうなのだから、小学生の六年間とは、相当な長さだったに違いない。執着心を持つのは当然だ。数え切れない思い出に感謝して、狭くなった廊下、低くなった手荒い場、小さくなった机と椅子に、私たちはさよならをした。