第五話
「バロックって言われて探してみてわかったけど、有名なクラシックのうちの大部分がバロック時代なんだね。なんか、素朴で好きな曲が多い気がする。」
「そうなんだよね。俺も、弾きやすくて受けもいいってイメージかな。ただの一発芸だから、あんまり練習時間とりたくなくて。」
きっかり15分後に赤星公園に着いたら、既にヒロは来ていた。彼はベンチに座っていて、その脇に彼のものであろうマウンテンバイクを止めてあった。ヒロの家の場所は、実ははっきりとはわからないのだけれど、ここから自転車で10分くらいのところだと思う。たまたま冷凍庫に入っていたアイスキャンディーを、汗だくのヒロにも渡して食べながら、音楽やピアノの話をした。
「いつまでに弾ければいいの?」
「えーと、三週間後くらい。」
アイスを食べ終わった私は、鞄から楽譜を取り出した。
「それなら、弾いたことあるやつがいいよね。」
「うん。G線上のアリアと、勇者何とか…?」
「『見よ、勇者は帰る』?」
「そう、それ以外は弾いたことあるよ。その、『勇者』ってどんな曲?」
「あれだよ。表彰式のときに流れる曲。」
「…あー!あれか。」
口で歌って、メロディーを確かめ合う。
「それいいなぁ。表彰式の曲って、前から好きだったけど、曲名を調べようなんて思ったことなかった。」
「確かに、聞き慣れてるものほどそうかもしれないね。」
「どうしよう。俺正直ピアノ触るの三年ぶりくらいなんだけど、三週間で仕上げられるかどうか…。」
サークルの一発芸で披露すると言うから、飲み会のノリのようなものかと思っていたのだけれど、結構な真剣勝負らしい。どうも彼は『勇者』が気になる様子。彼のこの略し方が言いやすいので、これからはそう呼ぶことに決めた。
「これは、確か凄く弾きやすかったと思うよ。六年くらい前の記憶だけど…。多分、三週間あれば何とかなるよ。」
「そっか…。ただやっぱり不安でさ。全部借りていく訳にはいかないし。」
「全部持って行っても私は大丈夫だよ。」
「いや、それは悪いよ…。」
私は使わないものだから、全部貸すことは何の苦にもならないのだけれど、ヒロは頑なにそれを拒否をする。そこで私は、ある提案をすることにした。
「じゃあさ、もし今日時間があるなら、コミセンの音楽室で、試してみない?」
赤星公園から歩いて10分くらいの、地域のコミュニティーセンターに誘ってみる。
「そうさせてもらえると、嬉しいな。」
アイスも食べ終わってしまったので、涼しさはもう溶けて蒸発してしまっている。クーラーの効いた場所へ移るのにも、絶好のタイミングだった。
「小五のときだっけ?一緒にコミセン行ったことなかったっけ?」
コミュニティーセンターへの道すがら、ヒロがそんなことを口にした。狭い道なので、私たちは縦に並んで歩道を歩いていた。私の前を、自転車を押して歩いているヒロは、聞こえづらいため大声を出して話しかけてくれる。
「えーと、あれだよね。ミクちゃんと、ベッシーと行った…コミセンで何したかは全然覚えてないけど。」
「バドミントンとかじゃなかったっけ?」
「ラケットとかシャトルとか、借りられたっけ?」
「じゃあ、バレーとか?」
「バレーボールくらいなら借りられそうだけど…駄目だ、全然思い出せない。」
「俺も。」
結局その後も思い出せないまま、コミュニティーセンターに着いてしまった。
---
ミクちゃんと二人で、ヒロとベッシーを誘ってコミュニティーセンターで遊んだのは、五年生の終わりの頃だったと思う。彼ら二人を誘ったのには、理由があった。私が、ヒロへの思いを自覚したからだ。電話でミクちゃんと話しながら、「まずは一緒に遊んでみよう」ということになったのだ。当時は小学生で携帯電話を持っている子供の方が稀だったけれど、その代わり、学校で出されている名簿があったので、同級生の電話番号や住所は簡単に調べられた。女子二人のところへヒロだけを誘うのはもちろん不自然だったので、男子をもう一人誘うことになった。名簿とにらめっこをしながら、この子はどうかあの子はどうかと話し合う。そこで、ヒロとも、私とミクちゃんとも仲のよかった、ベッシーに白羽の矢が立ったのだ。ベッシーには少し申し訳なかったけれど、彼は素晴らしい潤滑油になってくれた。
とは言っても、その日のことは、実はあまり覚えていない。覚えているのは、その日四人で遊んだことが、小学校の卒業遠足をすることのきっかけにまでなったということだ。