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第四話

 その瞬間、私は顔面蒼白だったと思う。慌てて、「私はそんなの知らない。誰かに書かれたんだ」というような言い訳をしたんだったように思う。その場はそれでおさまった。

 このとき、不思議なのは、私は、ヒロに本当のことを話せたということだ。ほとぼりがさめたころ、本当は自分が藤原くんの名前を書いたんだと告白した。おまじないのことも話した。ヒロはわかってくれたし、多分、誰にも秘密だということを守ってくれたと思う。そんな信頼を、無条件に寄せられる存在だったのだ。本当のところはわからないけれど、あのとき、彼が消しゴムを掲げて大声を出したのも、私をからかうためではなかったと思う。きっと、純粋な好奇心だったのだと思う。これが、私の覚えている中で一番古い、ヒロとのエピソードだ。



---



 (バロックあたりのピアノの楽譜を持ってたりしませんか?)

アドレス交換から三日後、初めてのメールが来た。丁寧語で送ってくるあたり、ヒロらしいなと思った。私はすぐさま、もう何年も触っていないピアノの脇の本棚に向かった。曲集も含めて、二十冊ほどの楽譜が、そこに鎮座している。正直なところ、私はそこまで真剣にピアノを習っていたわけではないので、バロック時代がどのあたりなのかわかっていなかった。ただ、確かバッハとかパッヘルベルとかが含まれるんじゃなかったのかな、という曖昧な記憶から、とりあえず、彼ら作曲のものを探した。

 (バッハの「メヌエット」「主よ、人の望みの喜びよ」「G線上のアリア」、パッヘルベルの「カノン」、ヘンデルの「見よ、勇者は帰る」、ヴィヴァルディの「春」がありました。有名どころしか持ってなかったよ。)

ネットで検索しながら、返信した。余談ではあるけれど、ネットで検索していて出てきた、ヴィヴァルディの「春」は、今は教科書に載ってないらしいという情報に、ちょっとショックを受けた。しかし、再会からさほど期間を空けずに連絡をとれたことが嬉しい、と言う気持ちの方が勝っていた。ヒロも私も、本当に用事がなければ、メールをすることをためらってしまうだろうから。

 ヒロのお母さんは学校の先生だから、その影響もあるのだろう。ヒロがピアノを弾けることは知っていた。今も続けているとは知らなかったけれど。小学六年生の合唱会で、ヒロも私もピアノ伴奏役に立候補したことが思い出される。私は練習が足らず、散々な結果だったけれど、ヒロは立派にその役をこなしていた。それは、私にとってはとても恥ずかしい思い出だ。それをヒロも覚えているとしたら、本当に恥ずかしいのだけれど、私がピアノを習っていたことを覚えていてくれたことは嬉しかった。

 ヒロからの返信は、すぐに来た。

(サークルの一発芸でやろうと思ったら、楽譜が全部捨てられてて…。貸してくれない?)

ヒロはサークルに入っているらしい。小学校高学年のとき、彼がラグビーを習っていることが発覚した。もしかしたらラグビーのサークルなのかも知れない、と予想しながら、私はすぐに返信した。

(いいよ。いつ渡そうか。私はむしろ今ヒマです。)

そこからは、一、二分ごとのメール交換が続く。

(ありがとう。俺も、今日が一番助かる。夏川さん、アカボシマンションだよね?)

(うん。)

(じゃあ、赤星公園でいいかな?今すぐでも平気?)

(いいよー。)

(わかった。じゃあ15分後に。)

(了解。赤星公園ね。)

 かくして、思いがけず会うことが決まってしまった。今日渡すことについては、私がきっかけを出したけれど、まさか本当にそうなるとは思っていなかった。こういうときに、すぐに家を出ることができるというのは、女としてどうなんだろう。化粧はしないことはないけど、五分で終わるし、髪の毛も、梳かして軽く結ぶだけだ。まあ、急におしゃれしようとしたところで、うまくいくはずもないと、結果は目に見えているので、無理なことはしない。ただ、あまりにも色気がなかったので、悪あがきに香水を手首にワンプッシュだけして、耳の裏にこすりつけた。

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