エステル先生と愉快な仲間たち。
胸の辺りまで伸びた茶髪を二つ結びにしている、目のクマが酷い25歳ぐらいの女。
それがこの私!
分厚い眼鏡は、私のトレードマークです。
ん?女の癖に、何でそんな酷い格好をしているかだって?いやいや、決して、髪を切りに行くお金がないのではない。
この年頃だもの。美容にだって興味はある。ただ、髪を切ったり、化粧をするだけの時間がないのだ。
何しろ、学校の借金を15億エクレル返済しなければならない、悲しい身の上だ。
自称、学校改革のエキスパート!
実務経験は無いため、ほとんど自己流ですけれどね!!
「……う~ん、」
ミミズがのたくったような汚い字で書かれている履歴書を、バン、と机の上に叩きつけた。手がちょっぴり痛いけど、心の焦りをまぎらわすにはちょうどいい痛さだ。
「…………ああ、もうっ!なんたることかしら。……不作だわ!」
頭を掻き毟る。
どうやら郵送されてきた履歴書には、私の眼鏡にかなう人材はいないようだった。教員の募集を開始してから、今日でちょうど7日目。募集締め切りまであと2時間だ。今までに応募してきたのは、たった3名。再募集するお金も無い。
だけど、届く履歴書はどれも期待以下の代物で、とても採用ラインには達していなかった。猫の手は欲しいが、足を引っ張るようなお荷物はいらない。
「世の中は不況不況と騒いでいるけれど、有能な人材はひっぱり凧。ちょっとはこっちにも来てくれたらいいのに!」
腹が立って、親指の爪を噛み噛みしていると、
「しょうがないよ、こんな低賃金じゃね」
緑の髪に琥珀の瞳。髪の色以外は私と瓜二つの顔の双子の弟、シルフ=メモリアが現れた。名前の通り、風の精霊の庇護を受けている。
気配を消していたのか、この私でも何時、弟が部屋に入ったのかわからなかった。弟を応対するため、少し身を動かすと、椅子がギシリと嫌な音をたてて軋む。
……椅子を修繕するにも、優先度が低いため、放置しているのだ。
金欠すぎて泣ける。
私の名前はエステル=メモリアと言う。これでも名の知れた魔法使いだ。本来なら、高給取りでウハウハしているところだったが、今では廃校寸前の校長という身分に収まっている。
以前は第12師団副隊長をしていたので、それなりに貯蓄もあったが、この学校を立て直すために赤字続きで、その残額はドンドン減っており、心もとない。
「こんなドいなかの、ド辺境の、ドがつきまくりな場所に誰が好き好んでくるというのさ。僕だって、姉さんがいなければ、こんなところで働いてないよ」
「むむッ、でもこれが出せる限界なのよッ」
弟の輝かしい経歴、能力を考えれば、学校などという場所でなく、それこそ第一線の戦闘地域で活躍するべきだろう。
それを無理に頼んで此処で働いてもらっているのだ。弟としてはボランティア的な感覚かもしれない。
「いくら書類を片付けても、審査されて補助金出るのは来年からだからねぇ。協会があそこまで頭かたいとは僕、思っていなかったよ」
「つまりは廃校路線で行きたいのよ、協会側もね。生徒数も少ないし、村ごと移転する話も出てるわ」
でも、どこに移転したって、結局は同じことの繰り返しなのに、と私はため息をつく。この数年で、ここまで魔物の徘徊する砂漠に変わるだなんて、誰が思っただろう。あれほど美しかった森は、木がまばらに生える砂漠地帯へと変貌を遂げており、昔の面影は無い。
この学校よりも、もっと山奥の地域に分校もあったはずだが、跡形も無く消えていると村人に聞いた。私が幼い頃、分校に行く途中で迷子になった時に助けてもらった精霊たちはどうしたのだろう。名を馳せるぐらい強くなったら、たくさんお土産を持って、逢いに行くつもりだった。
調査をしたくてしかたがないが、魔法使い2人のひ弱なパーティで行けるわけが無い。
此処で食い止めなければ、いずれは移転した先でも同じ事態に陥る。そうなった場合、対応ができるかと言ったら否だ。
この地域は広大だが、急峻な山岳地帯を越えなければ行けない場所なので、人口が少ない。国から見放されるなら、まずこの地域だろう。資源に乏しい場所なので、国からの援助はとても見込めない。私たちが居る内に、何とか安定化させなければ、この地域は人が住めなくなってしまう。
何より、母校を廃校にさせたくなかった。……借金まみれの不良債権だけど。
「ほら、これで最後の郵便だよ」
唐突に、弟からポンっ、と手渡されて、私は慌てて受け取る。どうやらまだ最後の希望の光が残っていたようだ。
「……神様ッ、頼みます、ほんと困るんです~!」
「神頼みしたって、これでラストなんだから、あきらめて選びなよ。姉さんは、高望しすぎだって」
「妥協で、子供を預かる仕事を任せられないわよ!もし、目にかなう人材がいないのなら、私がやるわっ」
私がそう言うと、弟は白い目で私を見た。何だ、その目は。
「姉さん、子供を殺す気?……僕、姉さんの料理を食べて生死彷徨ったんだけど」
「うぐッ」
あれは悪いことをした。古代のレシピ本を発見して、興味を持った幼い私は、レシピ通りに作って味見もせずに、お腹のすかした育ち盛りの弟に提供したのだった。
スプーンでネバネバした、その不思議な物体を一口だけ食べた弟は言った。
『この世の物ではない』
危うく、それが最後の言葉になるところだったのは、今でも身震いする経験だ。しかしアレは、レシピが悪かったのであって、私の腕前がおかしいわけじゃ――
「何時も外食していた人が、ちゃんとした料理作れると思ってんの?そもそも、姉さん兼業しすぎ。働きすぎは体壊すよ」
「わかってるわよ」
弟は、指を1つ、2つ、3つ折った。言うまでもなく私が兼務している仕事を数えているのだろう。校長以外に、教員、事務員、村の警備と、まぁ色々やることは山ほどあるのだ。
だからこそ料理人だけは雇いたいと思って、今回の募集となったのだが、送りつけられてきた履歴書を見るとゲンナリする。
常勤の募集なのに1週間の内、4日休みたいですと、備考欄に書いてあったり、それはまぁ話のネタになるような色モノしかこないのだ。
まともに働きたい人はいないのか?と思うような履歴書ばかりだ。
弟に渡された封筒は3通。この中に、1通でもマトモな人がいることを願うばかりだ。まずは一通目。
……ん?
「1枚目、アウト」
ああ、本当に憂鬱だ。
もうこの学校廃校になっていいんじゃないの?と、否定的な考えに陥ってしまう。いやいや、でもこの学校がここまで落ちぶれたのは私の養父のせいだ。
その責務を果たすまでは絶対にあきらめないぞ。
「へえ。原因は?」
「封筒がハートの柄の人と一緒に働きたい?」
「勘弁ですね」
精神的に苦痛で仕方がないので、中身は後で見ることにする。さて次は2通目。見た目は問題無さそうだが、問題は中身だ。ビリビリと丁寧に破っていくと、綺麗に折りたたまれた履歴書が出てきた。
えーと、名前は……
「ぶッ」
「おや、どうしました?」
無言で履歴書を弟に渡す。
弟は爆笑した。
「アハハハ、こうきましたか。姉さん、どうします?」
名前はアリス=テレーゼ。年齢は52。王宮でも1、2位を争うほどの魔法使いではあるのだが、厭味ったらしい性格をしていて、嫌われ者だ。ところがどっこい、根はとても優しく、要はツンデレの性質なのだが、長く付き合わなければ彼女の良さは理解してもらえないだろう。
田舎の山奥からやってきた魔法使いの卵だった私達に、何かしと世話をしてくれたが、彼女に教員募集をしているとは教えていないから、独自の情報網で知ったのだろうか。
まさか彼女が求人情報を見ているとは思えない。
「どうもなにも!却下に決まってるわ!」
彼女は恩人だ。いくら何でも迷惑をかけたくない。これは私達が解決しなければいけない問題だ。
「ああ、駄目です、これ却下出来ませんよ」
「え!?なんで?!」
「ほら、ここの備考欄を見て下さい。不許可だった場合、補助金が減らされると明記してあります」
「既に雀の涙の補助金カット?!何のいやがらせよ!!」
前言撤回だ、いくらなんでもこれは酷すぎる。もしかして、挨拶もせずに王宮を出ていったことを怒っているのだろうか。
あの時は仕方が無かったのだ。養父が危篤とか言う狂言を本気にしたせいで、ここ、パルネシアまで着の身着のままで駆けつけたのだから。
「というか、これ、料理人希望の履歴書じゃありませんよ。理事長希望――というか、理事長になったという事後報告です」
「何ソレ!?」
私が反対するということもお見通しだったのかもしれない。いや、それでも、こんな学校と言ってはアレだけど、廃校寸前の学校に、理事長がアリス=テレーゼ?
情報屋にバレたら、こぞって騒ぎたてるようなネタじゃないか。
「良かったじゃないですか、アリス=テレーゼが理事長だなんて、隣町の校長にも自慢出来ますよ」
隣町の校長なんて、そんな狭い範囲だけじゃない。他国の見知らぬ人にだって自慢できる人だ。
「それに、自分から理事長になると言われたぐらいですから、寄付金もはずんで貰えるでしょうし。この際、使える駒は全部使いましょうよ。最後の1通はどうです?」
「開けてみる」
2通目が衝撃的だったので、3通目の存在を忘れていた。封筒を破ろうと思ってひっくり返して気がついたことがある。
「…………この封筒、中央学校のじゃないの?」
「あれっ、今年卒業の学生さんでしょうか?」
テンションが降下する。
中央学校は、エリート中のエリートが通う学校だ。何でそんな学校の専用封筒が、手元にあるのだ。変な求人があったと思って、興味本位で出したのだろうか。
ビリビリと破いて、履歴書を取り出す。神経質そうな字を目で追っていくと、とんでもない事実が発覚した。
「……うさんくさいわね――!」
「えええ?どうしてです?」
「だって、この履歴書、見なさいよ!オールパーフェクトじゃない!というか、何で料理人になりたいの、この人」
この名前、どこかで見たことがあるような気がする。記憶の糸を辿ろうとするが、ここしばらく寝てない頭だと何も思いつかない。
しかし、その必要もなかった。
「ふぉおおおお!!!僕の憧れの君じゃないですか!!僕、昨日、この方の著書を一気読みしちゃったんですよ、これ以上ない人材じゃないですかッ、即採用しましょう!!!!」
「落ち着きなさい!」
「だって、だって、天下のシュヴァルツ先生ですよ!」
「馬鹿っ、これはイタズラよ、じゃなきゃなんでこんな人がこんなドいなかにくるのよ!アンタだってさっき言ったでしょうが。悲しい現実だけど、ここはミネラルド自治州よ!」
ここから先は地図も無い、モンスターの支配地区になる。歩く場所を少し間違えるとモンスターの跋扈する、未開の土地だ。
誰が好き好んで、中央学校の教職を辞め、こんな学校に来るというのだ。
「……そ、そうですよね、こんなドいなかに来るわけないですよね。店が1件も無い恐ろしいドいなかですもんね……」
私の言葉を聞いて冷静になったのか、一気に弟はしょげ返った。可哀そうだが、現実に早く戻ることが、傷を浅くする秘訣だ。
無駄な期待をするだけ、労力の無駄というやつだ。
「ともかく、1週間後、この2人の面接するわよ」
「え?ハート柄の人も面接するんですか?」
「多少のマナーを知っていなくても、デキル人材なら、問題無いじゃない。やる気のある人材なら、大歓迎だわ」
いくら変な奴でも使える人材は確保する。そうでないと、私が過労死で死ぬ。
「ところで姉さん、その包帯何?」
「骨折したのよ!でも大丈夫、ヒーリングしてもらったし、寝たら治るわ」
「姉さんの回復力は並みじゃないからね。でも、何で骨折なんてしたの?」
「お祭りの人員が足りないから手伝ってくれって言われたのよね」
「うんうん」
「神輿を担いだら、こうなっちゃった」
「大分はしょったね」
説明がめんどくさかったんです。それより仮眠とらせて欲しいな、弟よ。
「気になる?」
「いいや、だいたい想像できるし。姉さんも、虚弱体質なんだから、そんなの僕に任せればいいのに」
「アンタだって虚弱体質じゃない」
「姉さんよりはマシ」
「何よッ、私のほうが、アンタよりまだマシよ!」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」
お互いに、ゼエゼエと息をつきながら休戦する。口喧嘩で体力を消耗するほど馬鹿なことはない。
「……はぁ。どっちにしても頭でっかちなのには変わりないのよ。しかし、アンタにしては珍しく折れなかったわねぇ」
「だって、そこは男として譲れないよ」
「そうゆう物かしら」
「そうでーす」
弟は、私が死ぬ気で片づけた書類をトントンと整頓して、バックにしまった。
「片腕の姉さんでも、ハンコぐらいはできるよね」
上目遣いで言うな、きもちわるい。
「できるわよ」
このクマが見えないのだろうか、我が弟よ。
寝かせる気、ないな。
「あと200枚ほどあります」
「なんでそんなにたまってんの……聞いてるだけでグッタリしてくるわ……」
「神輿なんか担いでるからですよ」
「根に持つわね」
「僕を誘わなかったからです」
しつこい男は嫌われるぞ、と言ってやりたいが、倍返しされそうなのでやめておく。
「そういえばアンタって、出不精のわりに結構イベントごと好きよね」
「特にお祭りは好きなんです」
「こんどは誘うから。あと4年後だけどネ……」
「そうそう、村長から頼まれた書類があと20枚あるんだった」
「お……おに……」
「どっちがですか」
頬を膨らます弟に、もう何も言う気力は無かった。
……そんなこんなで、何時もの日常は飛ぶように過ぎていった。