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'003:決闘

 ゴッと鈍い音が響いた。


 空振ったバットの先が、舗装されていない地面にめり込む。

「ぐっ――!」

 あまりに直前にかわされたため、男は大きくバランスを崩した。重心が上手く保てず下肢が絡まるようによろめく。

 侠輔はカバンを落として、右方から飛び掛ってくるヴァイスを見据えた。バット男の首根っこを握りしめ、腰を半回転させて思い切り投げつけた。


「どわぁああ!」

 男の体はヴァイスと衝突し、工事用フェンスを押し倒して銅鑼どらを叩いたような大きな音を立てた。

 侠輔は即座に後を追いかける。

 男らがぼうっと口を開けている間に、死角となる位置でフォルムを抜いて刀へ組成した。


 ぶつかった衝撃で目を回す男へ、牙をむくヴァイスを消滅させ、続けざまに錆びた鉄の扉を蹴破って取り壊し中ビルの中へ入った。

 追ってきた男らから隠れるように柱へ背をつけた。

 ここまでほとんど時間はかかっていない。


(六十二……)

 薄暗いビルの中は、すでにウゾウゾとヴァイスらがうごめいてた。目視と気配をたよりに瞬間的に数を読む。

 だがそれは「現段階の」数値であって、今も現在進行形で黒い渦がヴァイスへと形を成していた。

 奴らが発する独特の「気配」をひしひしと感じる。それが一体どんな感覚かと問われれば、侠輔は「分かるのだ」としか答えられないだろう。それはとても感覚的なもので、だが熟達者にとってはレーダーのように確実なものであるのだ。

 早くどうにかしなければ、人通りの少ない場所とはいえ一般の人々に被害が出ないとも限らない。


「どこ行きやがった!」

 男らも当然追いかけてくる。

(プラス馬鹿が五十六っと……)

 ビルは取り壊し中というよりは、それすらも途中で放棄された廃ビルらしい。

 机やイスが少しばかり取り残されている以外は、太い鉄骨の柱が幾本も立っているだけのだだっ広い空間だった。

 鉄筋の梁やパイプが見える天井はかなり高さがある。

 解体途中とあって壁やら天井のあちこちに大きな穴が空き、瓦礫の山もたくさん積まれていた。


”ギャアアアアアア!”

 上部から襲い掛かってきたヴァイスの首を斬ると、ヴァイスは霧のように消滅する。

 下校するときには雨を心配していたが、分厚い雲のおかげでかなり薄暗く、こうして中が見えづらいのは逆に幸いだったようだ。

 現に男らは闇に紛れるヴァイスの存在に気づいていない。

「おいゴラァ!」

 硬いもので瓦礫の山を叩く音がした。小さな破片が飛び散る音が聞こえる。


「侠輔、ぱぱっとやってしまえばいいニャ!」

 肩の上の猫丸がシャドーボクシングをまねて、空中猫パンチを繰り出す。

「そりゃそうしたいのは山々だけど……」

 人間と人間でない存在を両方いっぺんに相手取るのはなかなか難しい。五十数名をヴァイスから守りながらの戦いは至難の業だ。

 それに誤って人間の方を斬ってしまえば、社会的に産廃のような輩といえど可哀想なことになる。

 それにヴァイスを見られては混乱を招く可能性があった。


(いや、そうでもないか……)

 侠輔は何を思ったのか、少し意地悪そうな笑みが顔に広がった。


「そこか」柱の斜め後ろから声がした。「隠れても無駄だぜ」勝ち誇ったような口調である。


「お前はここにいてくれ」

 肩に乗っていた猫丸の首根っこをつかんで下ろす。

「ダメにゃ! ダメにゃ! ヴァイスに食われるニャ!」と侠輔のズボンの裾に爪を立ててしがみつく。

「大丈夫だって、あいつらが襲うのは人間なんだから」多分という言葉を小さく付け足す。「それにぐずぐずしてる間に誰かが襲われたらどうする?」

 それを聞いた猫丸は目をウルウルと潤ませながら「分かったニャ」と手を離した。

 柱に張り付くように身を寄せ、プルプルと小さく体を震わせる。

 仮にもコンポーザーの助手としてわがままは言えない、とばかりに耐えているようだった。

 それに笑みをこぼして頭を二、三度撫でてやった。

「さっさと終わらせるからな」


「おい! 早くしろォ!」怒鳴り声が轟く。

「はいはい……」

 侠輔は足を踏み出し、彼らの前に姿を見せた。一歩一歩踏みしめるように歩き、つま先で回るように向かい合う。

 男らは目の前に人の壁のように広がっていた。その誰もが嗜虐的な笑みに顔を歪ませている。

 たった一人の高校生を狙うにはあまりに多い数だ。おそらく百パーセントの確立にさらに保険をかけているつもりなのだろう。

 犬でもサルでも戦って負けた相手には大人しく服従するというのに、無駄に知恵のある人間(大した知恵ではないが)はやっかいである。


 邪魔が入らないようにとのことか、男らは扉を閉めていた。

 だがそれは侠輔としてもありがたい。

 明かりに集う虫の如く、ヴァイスはフォルム内の密度の高い霊力へ寄ってくる性質を持っていた。ヴァイスを狩るコンポーザーにとっては、まさに飛んで火に入る夏の虫である。

 それが何かの拍子に外へ出られては困るのだ。


「おいおい、ガキのくせにそんな物騒なモン持ちやがって」男の一人が侠輔の手の刀を見とめた。語気に僅かな動揺が聞いて取れたが、即座に多勢に無勢の有利な状況は変わらないと判断したのだろう。「けど、この人数に勝てるとでも思ってんのか?」と嘲り笑った。

 侠輔は小さく息を吐く。

「当然だ。『仲間』の前で負かされたりしたら、笑われんだろ?」

「仲間? 何言ってんだ、頭沸いたのか? ああ?」

 侠輔は肘をクレーンで釣り上げるかのように上げ、緩慢な動作で「それ」の方を指差した。男らは半笑いでその先を追う。

 一瞬でその顔が凍りついた。

 ヒタヒタと近づいてくる影のような物。それが何十という数で男らの方を見つめていた。赤い目がいくつも暗闇に浮かんでいる。


「うぅあああ! 何だ、コイツら!」

 一人が腰を抜かして床へ座り込んだ。

 ヴァイスは唸るように口を開け、ビタビタとヨダレをたらして牙をむき出した。


「言っただろ。オレの『仲間』だ。ちょっとヤクをやりすぎちまって、おかしくなったんだけど」


”ギャアアアアア!”

 頭に飛び掛ってきた一体を侠輔が切り裂く。

「おおお、お前! 今、自分の仲間斬ったよな!」金の長髪男が侠輔を指差す。

 侠輔は「何のことだ」と言いたげに肩をすくめた。


「で? どうする。やるのか、それとも……」あごを引いて射抜くように男らを睨みすえる。「やらねぇのか……」

 雲は厚みを増し、カッと光った雷に刀身と双眸が不気味にギラついた。

 周囲からはこの世のものとは思えない輩が、飢えた虎のようにゆっくりと近づいてくる。


 男たちの間に恐怖の色が広がっていることは、手に取るように分かった。

 皆が皆互いに目配せをし、「誰か逃げるきっかけを作ってくれ」とでも言いたげな視線を送りあっていた。眉間を脂汗が伝っている。


「こ、こいつらヤバイって」誰かが言い出す。

「ああ……普通じゃねぇよ!!」それに乗るものが出た。


 一人が足を引いて逃げた途端、男らは呼気を荒くして我先にと扉から出て行く。

「チ、チクショウ!」


 最後の男が滑りながら出たのを確認し、後を追いかけて飛び掛ろうとするヴァイスの前に立ちふさがった。

 牙をむきながら突き進んでくるそれを、勇敢な闘牛士マタドールのように見すえる。

 腰を落として構えると、ヴァイスらが大きく飛び跳ねた瞬間を狙い、大きく刀を上から下へ振り下ろした。

 紙をちぎるような音をたて、ヴァイスは次々と真っ二つに斬れる。

 化け物は耳をつんざくような断末魔をあげながら、空気に溶け込むように姿を消した。


”ギヤアアア!”


 第一陣の後すぐに周囲から数十体のヴァイスが、集団で飛び掛ってくる。

 まるでホラー映画のような光景に、常人ならば間違いなく大声を上げて取り乱すだろう。そしてそれがまた彼らを刺激する。

 前後左右そして頭上からやつらは喰らいついてくる。その襲撃はまるで黒い嵐のようだった。


「数が普通じゃねぇ」

 呟きが不明朗な心情を内包してこぼれる。その間も剣や足は休むことなく動いていた。

 これほどまで次から次へと湧いて出てくるヴァイスなど、ここでは経験したことがない。

「斬っても斬ってもキリがないニャ」

 次から次へ現れるヴァイスに、猫丸も柱に張りつきながら肝を冷やしていた。

”ギャアアアア!”

「心配すんな」正面のそれを消滅させると、前を向いたまま背後のヴァイスの胸へ刀をつき立てる。「相手にできないほどじゃねぇ」

 今ここにいるのはすべて最下ランクのみ。そんな相手を殲滅せんめつするくらいわけはなかった。

 

 しかし異常な事態であることに変わりはない。

 早く片をつけてしまおうと柄を握りなおした瞬間、甲高い子供の叫び声があたりに響き渡った。


 大きく穴の空いた壁の向こうに、小学生くらいの少年がいた。こちらを見て手さげカバンを落として屈みこむ。

 ヴァイスは目がほとんど見えないが、声や人間の負の感情――強い憎しみや怒り極度の恐れといった心のマイナスへの動きに過敏に反応した。

 恐怖に泣き叫んだことで、ヴァイスの標的が一瞬で少年に切り替わる。


”ガアアアアア!”


「くそッ!」

 飛ぶように駆けて少年の下へ急ぐ。壁の穴を飛び越え、瓦礫を踏みしめる。危ないと考えるより早く体が動いた。

 屈みこむ少年を庇うように抱き寄せる。

“ギャアアアアアアア”

 自分の顔のすぐ横に鋭い牙が見えた。

 体勢の立て直しが間に合わない。ヴァイスのナイフのような牙がつきたてられた。

「――!」


 そのときドドドドッと何本もの矢がヴァイスたちにつきささって消えた。周囲にいたヴァイスは一匹たりとも残ってはいない。


「何をしている侠輔」

 侠輔の視線の先には、彼と同じ制服に身を包む青年が佇んでいた。

 手には黒い弓を持ち、短く整えられた白銀の髪を小さく揺らす。シルバーフォックスのようなその髪に呼応するが如く、双眸には芯の強さがうかがえる凛とした眼光を宿していた。


「ディーゼル」

 侠輔は少し驚いたように声を上げた。


「こういう場合はコンポーザーたる自分の身の安全を優先すべきだろう」

 青年は今の今まで戦場で小隊を率いていた兵士のような、殺意にも似たとげとげしいオーラを引き連れていた。

 だが一方で見るものを恍惚とさせるような端整な顔立ちから、黒豹のような高貴で美しい肉食獣を彷彿とさせる。 

「お前がやられては被害がより拡大する」

 彼がこちらへ歩いてくるそのしなやかな全身の動きから、相当な格闘手腕を感じさせた。


「いやぁ、助かったぜ」

 侠輔の能天気な様子に、どこか諦め気味にフンと小さく鼻をならす。

「これは一体何事だ」

 ディーゼルはカチャカチャとフォルムの組成を解いて腰の専用ホルダーにしまった。ここで矢を組成するなど欠損した部分が自動補正される。


 ディーゼル・フェイは村来彰斗(むらきあきと)という名でこちらの世界に紛れ、侠輔とともにヴァイスの消滅任務をこなしていた。

 髪の色はかなり目立つが、校則の緩い藤学では問題はならない。不純交際云々さえ守っていれば、大方あの学校の校則はクリアできた。


 ディーゼルは愛想笑いという言葉すら知らなさそうではあるが、その弓術の腕や容姿もあって憧れを持つ女子はかなり多い。

 告白をする者は後を絶たないようだったが例外なくことごとく無視され、彼から「NO」という返事すら貰った者さえいなかった。

 それを「冷淡」や「薄情」ではなく「クール」とはやしたてられるのは、ディーゼルとしては全くもって不本意な事態である。


 助かった子供は途中で気を失い、侠輔の腕の中でぐったりとしていた。

「さあな。何が起こったのかは、オレもよく分からねぇ」

 侠輔はフォルムの組成を解いてホルダーにしまうと、子供を抱えなおして立ち上がる。


 侠輔の肩に飛び乗った猫丸は、少年の額へ肉球スタンプをペタンと押した。

 脳内にある記憶格納部へ小さなショックを与え、記憶消去を行うためである。

 この記憶消去法は特定の記憶のみを消す段階にまで研究は進んでおり、後遺症を発症することもほとんどない。

 アンフェルメニアにてPTSD患者たちへの治療を目的として開発され、取り扱いにはかなりの制限があるものの、かなり有効な治療法として知られていた。


 クラストは地球にてやむを得ない事態が発生した場合、特別な訓練を受けた人間や動物がこの記憶操作(ただし最近三十分以内に関する記憶に限られる)を行えるよう政府に許可を取りつけていた。もちろん報告は必須だが。

 緑色の光を放っていた肉球スタンプが溶けるように消えた。

 これで少年は妙なトラウマに悩まされることもない。


「こっちも終了したよ」とリグ。

 フォルムで組成したらしい(やり)を解除しながら、短いスカートにもかかわらず、壊れた窓からピョンと飛び降りた。

 侠輔はそれに目をそらそうとしたが、間に合わずに薄ピンク色の下着を目撃する。

 それに目ざとく気づいたリグは、わざとらしくスカートを押さえて、モジモジと白い頬を赤らめた。


「あ、もしかして見ちゃった? もう、侠クンもディーも男の子なんだからぁ~」

 それにディーゼルは舌打ちする。

「そんなに見せたいなら頭からかぶってろ、変態女」据わった目で冷たく言い放った。


「侠クン、何か怖い人いるぅー」と侠輔の傍へ走りよって、腕に絡みついた。肘のあたりがやたらと柔らかいものにフカフカと挟まれているような気がするのは、侠輔の気のせいではない。


「あ、そうそう! チーフから連絡があったよ。明日の夜、中央本部に集合だって」

「チーフから?」


 侠輔らがチーフと呼ぶのは、クラストを取りまとめる組織の長のことであった。そんな人物からの呼び出しとあらば、恐らくただ事ではない。


 もしかしてこの妙な事態に関してではないか。

 侠輔はついに降り始めた雨を頬に感じながら、そう思った。

 

――・――・――


 アンフェルメニアは緑と水を取り戻すにつれて、自然と雨が降るようになっていた。

 水が蒸発して雲を作り、それが地上へ落ちてまた蒸発するというリズムが形成されるようになったのだ。

 昔は計画的降水事業にて何日の何時から何時までの間に雨を降らせますという知らせが月初めに入ったものだったが、やはり天然の雨に勝る情緒はない。

 しかし今日のクラストは、その自然の恵みたる雨に打たれながらもどこか物憂げに見えた。


 コンポーザー統括組織、通称クラストはアンフェルメニアにおいてとても重要な地位を占めていた。

 その設立は二〇〇年以上前にさかのぼり、当時の首相ハロン・ファイザーがこのような組織創立を目標として組閣し実現させたものである。


 それ以前にもヴァイスと戦うものはいたが、警察署や軍のそれぞれ処理部門があったためにまとまりがなく、手際も悪かった。

 当時はフォルムが開発されていなかったために、ヴァイスを捕獲して檻に閉じ込めて地中へ埋めるという多大な手間と時間がかかっていた。

 にもかかわらず上手く人員の配分も行われず、同じ現場に警官と軍人が居合わせたり、逆に間に合わずに市民が犠牲になることもあったのだ。


 そんな状況を一掃し、一つの確固たる組織を作ろうとハロンが提案した。

 クラストはある種の警察であり軍であり、そして政治も介入できないほどに強い独立性と権力を誇る巨大組織だった。

 ちなみに「クラスト」の愛称は組織始動の日にハロンが中央司令部の建物を背に行った演説、『この組織は恐怖という弾丸から市民を護る強力な盾(C'lest:クラスト)となるであろう』というところから取ったのだという。

 

 そのクラスト最上階の窓から、雨を浴びるゲーハの街を眺める者があった。


「チーフ、報告は以上です」

 手に資料を持った秘書官の男が、それを最後に押し黙った。

 彼女の指示を待つためである。

「すでに第二世界ライグーン駐在のコンポーザーには召集をかけてあります。研究員には明日の夜までにシミュレーションを終えて資料をまとめあげ、状況を正確に説明できるよう準備をとお伝えください」


 ほとんど白に近い金色の、髪の長い女が振り返ってそう言った。秘書官の男は「はっ」と返事をして急ぎ足で部屋を出る。

 彼女は小さくため息をついて窓の外をまた見つめた。


「また厄介なものを」


 青い瞳に映るのは、どこか暗い雨の街だった。


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