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'002:気配

「止まったか? 鼻血」

 靴箱の扉を開け、侠輔は茶色いスリッパを履きながら一樹に尋ねる。

「あー多分な。ったく朝っぱらから災難だったぜ」


 止まったと言いつつもまだ気になるのか、一樹はしっかり確かめるように鼻を何度もをこすっていた。

「この間も下着泥棒に間違われたり、チカンのオッサンに抱きつかれたりでヘコんでたのによぉ」


 一樹は己の不運を嘆きながら、有名スポーツブランドのサンダルを取り出してスノコに投げた。

 この学園では、上履き代わりになるものなら靴でもぞうりでもわらじでも許されている。


「おまけに英語のテストは赤だしな」

 侠輔が口元に手をやってぷぷぷと笑う。


 一樹はビッと侠輔を指差すと、わざとらしいい仕草で「おお神よ! この恵まれすぎ男に雷でも落とし……って今のオレなら自分に落ちてきそうだ」 

 やめとこ、口をつぐむ一樹に苦笑した。


 学園の校舎は創立百周年に合わせて全面的な改築を終えたばかりで、真新しい建材の匂いがまだ残っていた。

 随分長らく工事の白い目隠しシートがあちこちに張られてあったが、それも完全に取っ払われ、モデルルームのような明るく洗練された空間が広がっていた。

 床は全面ヒノキが用いられ、中庭に面した談話エリアの天井は吹き抜けに様変わりしている。

 かなり工事には金がかかったことだろう。


 この藤学は東大、京大、さらには国立大学医学部へ進む者がその卒業生の半数以上を占め、残りの半数未満もかなり偏差値の高い大学へ進学し、中には海外からお呼びがかかって進路を見つけるものもいる。

 そんな大物OB・OGらからの多額の寄付金のなせる業なのだ。


『オハヨウ』と白いロボットが滑るように廊下を走りながら挨拶した。

「うっす」

「おはよう」


 どこかの大学や企業と提携して作った学内案内ロボ「ミチ・オシエル」である。丸みを帯びた愛らしい外見と占いやらじゃんけんゲーム機能があることで、女子らの間で特に人気者だった。

 なんでも自動言語習得機能もついているらしく、使用頻度の高い言葉を蓄積して勝手に話すようになるのだ。

 「おはよう」「ばいばい」は当然いいとして、次点あたりに「上地侠輔」の名前が来ているらしいことは侠輔さえも何らかのバグと信じたかった。

 なんせそのデータが研究員たちのパソコンへ送信され、学会でも発表されるというのだ。厳粛なムードの中、自分の名前が研究成果の一部として披露されるなど、想像しただけで寒い。

 研究者たちも誰だそれはと首を傾げることだろう。


 侠輔はズボンのポケットに入れた携帯が震えるのを感じた。

 最近、折りたたみ式からタッチパネル式へ替えたそれを取り出して確認する。

 「上地沙良」と表示されていた。


沙良さらか)


 藤学中等部に通う妹の沙良は、美人で勉強もできるとかなり評判が高いらしい。

 学級委員長としてクラスもキビキビとよくまとめてくれている、と忙しい両親の代わりに出た三者面談で聞いて驚いた。

 家では勉強を教えてくれだのゲームをしようだの、いつも猫のようにじゃれついてくる。

 それに毎朝学校に着いてから、

『今日も帰りはいつも通り? 今晩はハンバーグだよ☆(。・ω・。)』

 といった類の家族内会話に見せかけた「お兄ちゃん構って」メールをかかさず送ってくるものだから、かなり甘えん坊な性格だと思っていたのだ。


 一樹も「可愛い妹がいていいよなぁ~」と誰から来たと言わずとも分かるほど恒例化している。


 侠輔は幼い頃から両親が海外住まいな分、沙良を寂しがらせないよう自分がしっかり面倒を見てやらねばという気持ちがあった。だからこそメールも面倒がらずいつも丁寧に返している。


 だがどこか度が過ぎてしまっていたのか、おかげで沙良はすっかりお兄ちゃん子になってしまい、中学三年生にもなったというのに未だにベタベタとくっついてくる。

 それには侠輔もさすがに困惑していた。

 とはいえ料理や掃除を文句一つなく完璧にこなしてくれるし、今着ている制服のシャツもアイロンがピッチリとかけてくれてある。

 頑張ってくれているのだから少しくらい好きに甘えさせてやっても……と思っていると、また沙良が枕を持って来て「一緒に寝たい」などと言い出すのだから加減が難しい。

 画面に指を滑らせ、来たばかりのメールを開いた。


(って、何だこれ……)


 送信者:haso3fh2si

 件名:ホシodihbuobs~ラブラブミズギウチュウジン

 本文:<本文はありません>


           -------END-------


 何かの暗号か? とも思ったが、あの素直な妹(実は侠輔の前でだけ)が突然そんなことをしてくることもないだろう。

「やっぱ出たばっかの携帯はトラブルあるな」と小さくぼやいて軽く振ってみるがそれで何が変わるでもない。

 沙良は返信がなくて心配するかもしれないが、とりあえずそのままにしておいて週末にでも携帯ショップへ行くしかないかとポケットにしまった。


「お、あれは二年F組、久野萌香くのもえか!」

 一樹の嬉しそうな声に顔を上げた。

 創立百周年祭のポスターを貼り付けている少女がいる。

 上の方にピンをつけようと背伸びをすると、ただでさえ短いスカートがさらに際どくなる。朝日を反射して白く伸びる足は、足首、ふくらはぎ、太ももまで絶妙な造形美を誇っていた。

 一樹は無意識なのか、スカートの中を覗くように少しばかり体を傾けていた。その顔の必死なこと。

 

 同じクラスでもないのに、一樹は正確に彼女のフルネームを口にした。

 それは萌香が生徒副会長であることもよりも、その類稀なる美少女要素のせいだ。

 透き通るような色白の肌、薄桃色の唇に大きくてぱっちりとした瞳。

 腰ほどもある赤みのある髪をツインテールにした彼女は、遠目でもかなり目立つ存在だ。

 現に高等部から入学してきたにもかかわらず、入学後一ヶ月で彼女の名前を知らない男子はいないくらいだった。


「可愛いよなぁ。色白で胸もこんなでかいしさぁ」両手でわざとらしく胸を表現する。「スカート短いのもプラスだな」

「一体何にどうプラスされるんだよ」と侠輔は興味なさげに言うと「早くしねぇと遅れるぞ」と先を急いだ。

「別にちょっとぐらい大丈夫だって。目の保養目の保養!」

「先に行ってるからな」さっさと歩き出す。

「あ、ちょ、待てって! 侠輔!」


 その騒ぎに萌香は彼らの方を見た。

 パァアッと頬を染めて顔を輝かせると、短いスカートを翻して廊下を走る。


「侠クン! おっはよぉ~」

「グッ――」

 ドンと牛にでも突進されたような衝撃を背中に感じ、侠輔は右足を踏み出して何とか体勢を保った。

 萌香は至福のときを過ごすかのように背中にすりすりと頬を擦りつけている。

 侠輔の方は浮かない顔で、だから早く教室に行きたかったのにと言いたげに歯噛みした。


「おはよう。そして今すぐ離れろ、久野」

 ツタのように絡みつく腕を引き剥がそうとするが、相手も負けじとしがみつく。

 ふかふか豊かな胸がぐりぐり背中に当たって嬉しいというより、アナコンダのような締めつけに胃の内容物(フレンチトーストとベーコンとサラダ)がせり上がってきそうな感覚が走ってくる。


「ちょっ、何か出るって!」青い顔で告げる。

「出していいよ……」

「いいわけないだろ!」

 妙にエロい会話に聞こえなくもないが、そんな侠輔の死闘を一樹はうらやましそうに見つめていた。


「侠輔お前、久野……さんと知り合いだったのか?」

「いや、全然知らねェ」

 前に進もうと足を動かすが、萌香のせいでウォーキングマシンのように一ミリもそこから動かない。


「侠クンたら照れちゃってっ! 彼女に挨拶もしてくれないの?」

「誰が彼女だ。挨拶はもうしただろ」

「違うよ、こっち」

 侠輔の脇の下からひょこりと顔を覗かせ、細いあごをあげて目蓋を閉じた。

 侠輔はそれに動きを止める。


「…………一応聞く。それは一体何待ちなんだ?」

 萌香は片目を開け、「おはようのチューに決まってんじゃぁん。はい」と再び両目を閉じて軽く唇をとがらせた。


「ち、チュウ!?」

 一樹は止まったばかりの鼻血がまた溢れそうになったのか、上向き加減にそう言った。


「はぁやく~」

 シャツを引き裂かんばかりの勢いで握りしめ、萌香は侠輔を揺さぶる。

 胸をパフパフと背中に押しつけているのはおそらく、いや絶対にわざとである。

 侠輔は上履きをスニーカーに変更することを真剣に検討しながら、

「生徒副会長が校訓無視していいのか?」侠輔はそばに掲げられていた垂れ幕を指差す。「『学べ、遊べ、恋をしろ! ただし不純交際は禁止』!」

「不純じゃないもん、じゅ・ん・愛♪」

「どこがだ」と暴れるが、シャツを握る力はか弱い女子高生とは思えないほど強い。

 

 いい加減にしろ、と言いかけたところで、

「出席番号一番……のみならず一学期中間テスト総合成績も一番の上地ぃい!」

 野太い声が響いた。

 侠輔が振り返ると同時に、赤いレーザーポインタで額をさされた。


「げ、須田T」と一樹。


 現れたのは出席簿を脇に抱えた青いジャージの中年の男。担任の須田すだである。


 大声で生徒の中間テストの成績を暴露していいのかと思いきや、藤学生徒なら侠輔の成績は誰もが知っていることだった。

 中央ホールにはどこかの大物財界人から寄贈されたという大きな液晶が三つあり、上位十五名の成績がそこで発表される。

 侠輔は中等部のころから変わらず、首位を保持し続けていることで有名なのだ。


「先生の許可なく可愛い子といちゃつくとは! こっちはお前、彼女なしの独身なのにっ……」 

 おいおいと腕に顔を埋めて泣きまねをする。 

「……」


 この担任もかなり調子のよい人物だった。

 数学教師のなのになぜかいつもジャージで、手には最近購入したとか言っていた真新しいレーザーポインタを常に持っていた。

 中年にもなってそれをライ×セーバーだぁとか言って振り回すものだから、女生徒には完全にドン引きされているのだ。

 

 とはいえこれで数学においてはかなり権威のある人物らしいのだから、やはり人とは分からない。


「ってわけで先生より後に教室入ったらお前ら二人とも遅刻~!」

 パッと顔を上げて無表情で言い放つ。

「何でだよ! オレは侠輔と関係ねぇだろ!」一樹が噛みついた。

「問答無用。教室あそこではオレがルールだ」

 別人のように眉をキリリとさせギラリと目を輝かせる。

「この腐れ教師!」

「ははは! 何とでも言いやがれ!」


 猛然と走り出す須田と一樹の背中を見ながら、侠輔は「ってか廊下走っていいのか」とポツリとつぶやいた。


「ってことで……」彼女の腕を引き剥がし、背中を向けたまま手をあげる。「お前も早く教室行けよ、『リグ』」

 

「はぁい……」

 久野萌香……本名リグ・メイアはツマラナイと唇をとがらせ、しぶしぶ頷いた。


――・――・――


 「アンフェルメニア」とは国名ではなく惑星の名前、つまりこちらの世界に置き換えると「地球」になる。

 国はない。

 いや、正しくは連邦国家のようにいくつかの地域(州)と地区(市)に分かれている一つの巨大国家だった。


 アンフェルメニアが一国制になったのは、惑星の歴史に起因する。

 

 豊かな海と森に囲まれていたアンフェルメニアは、約三百万年前に起こった天変地異の影響で荒廃し、星全体が赤い岩肌と広漠とした砂漠だらけの死の大地と化してしまった。


 地下資源は豊富にあったものの、人の住める土地はごく僅かしかなく、自然の残っていた大陸の一部に惑星のほとんどの人口が身を寄せ合うように暮らしていた。

 千年以上に渡って自然を巡る争いをしてきた人々はそれに疲れ、同一の権利、資源の平等分配を互いに約束して一つの統一国家を作り上げた。

 それが現在の惑星一国体制の礎となったのだ。


 長く続いた戦いに終止符が打たれたことと、皆が安定的な生活を得られたこと、そして多くの人々の知識を結集させられたことで、技術はめざましい発展を遂げた。

 ついには荒廃した土地に人工的な湖や広大な森を作り出せるようになり、その生活範囲を一挙に広げることに成功したのである。

 アンフェルメニアは青い水と森に囲まれた豊かな自然を取り戻し、環境の改善により人口は爆発的に増加した。


 元々あった統一国家が幅を広げるように平和的に居住範囲を拡大していったため、結果的に星全体が一つの国になったのだ。

 よって通貨や言葉が共通のものとしてあり(様々方言はある)、宗教や文化的な対立に関しても数としてはかなり少ない。教育レベルや生活水準の差も、一部を除いてほとんど存在しなかった。

 そのせいかアンフェルメニア人は、穏やかで礼儀正しく、平和主義的な一面を持つ者が多いのだ。


 そんなアンフェルメニアの最主要エリア「ゲーハ」。

 まるで巨大な一枚岩のごとく、無言のにらみをきかせる建物があった。

 広大な敷地面積をぐるりと背の高い金網が覆い、浮遊する監視カメラが僅かな動きにも過敏に反応する。

 出入りには厳しいチェックが行われ、IDカードを通す兵士らの両脇には、人形と見まがいそうになるほどに直立不動の軍人がらんらんと目を光らせていた。


 ここはアンフェルメニア軍事施設である。


「まさかとは思うが」

 男の低い声。

 丸みを帯び円型の広い執務室は、それだけでその椅子に座る男の地位の高さを推察させた。


 壁には帯状にぐるりと水槽がはめ込まれ、色とりどりの魚たちが泳ぐ。

 その間を十メートルを越そうというトカゲのような生き物が、魚雷のように体をくねらせて進んでいた。気泡が水中に溶け込む。


「政府やクラストに知られてはないだろうな」

 イスに座った男の恰幅のいい体を、深緑色の軍服がかっちりと包んでいる。右の腕には金の剣と猛る獅子の紋章が踊る赤い腕章がつけられていた。

 アンフェルメニア軍の最高司令官、ドル・ゴートンは、大きなデスクの向こうで落ち着かないように何度もご自慢のヒゲを撫でつけた。

 ブルドッグのような顔で睨みつけられた部下の男は、汗まみれになって視線を泳がせる。


「お、おそらく……すでに。ですが例の件はまだ……」

「だったら一刻も早くヤツを見つけ出せ!」

 ダンッと強く机がたたかれた。それに部下の少将はビクリと肩をはねあげる。

「それでなくとも我らは市民の支持が低い上に、先日の『夜明け作戦』にて大敗を喫し、多くの兵を失った責任と多額の損失について議員どもからの激しい追及をなされている最中だというのに! これ以上……」ドルは頭を抱えた。「このままでは軍の存亡すら危ぶまれる」

 部下は震える指先で額の汗を拭った。


「せ、僭越ながら、すでに第二世界ライグーンへは調査員を送っており、ある程度場所も特定しております。『あれ』が見つかるのも、時間の問題かと」

 第二世界ライグーンとは地球を指した。彼らにとってもう一つの世界。


 ドルは立ち上がると、水槽の方へ向き直った。

「あんなものを作って隠していたとなると、軍の信用は地に落ちる。下手をすればクラストに……」

 それ以上の言葉は発するのも忌々しいと言いたげに、太く毛むくじゃらの人差し指を曲げ、その第二関節に噛みついて怒りを堪えていた。

 その体からにじみ出る憤怒のオーラに屈しないためなのか、少将はやけにまばたきを繰り返す。


「もちろんキャイ・クレバス個人についても全力で追っております」

「キャイ……」親の仇を見るような目。「ヤツは一体何をしようとしているんだ。まさか第二世界ライグーンを」次に浮かんだのは恐怖の色だった。

 犠牲になるかもしれない誰かを案じてではなく、己の築き上げてきたものの崩壊の音を聞きたくないのだろう。


 ドルはギッと目を血走らせて振り返った。

「一秒でも早く見つけ出せ! 絶対に逃すな!」

「は、ハッ!」

 部下は右腕を九十度曲げて上げ、早足で部屋を出て行った。


――・――・――


「じゃあな、上地うえじ!」

「おう」と扉を出るクラスメートへ手を上げる。「やれやれ、今日も一日が長かった」

 侠輔は宿題や予習の必要なものだけカバンにつめて肩にかけた。全部持って帰るなどテスト前くらいで、後はロッカーや机の中に置いておくのが学生の基本だ。

 今日は教室掃除の当番ということもあって、少し遅くなった。

 一応学園の清掃員はいるが、教室だけは自分たちでキレイにするのが藤学のルールである。


 ふと暗い影の下りた机に窓の外を見ると、どんよりと分厚い雲がかかっていた。

 一応折りたたみの傘を持参してはいるが、雨は何かと面倒だ。

 侠輔はなんとか家に着くまではもってくれないか、と願うように空を見つめた。


 靴を履き替え校門を出てしばらく歩くと、「侠輔、遅かったニャ!」と猫丸が飛び掛ってくる。

 スリスリと侠輔の頬に自分の顔をよせた。

 なにせまだ子猫。何時間も一人ぼっちで寂しかっため、彼に思う存分甘えたいのだ。


「今週は掃除当番だって言ったろ?」

 なぐさめるかのように頭をポンポンと軽く叩く。

「それを加味しても遅いニャ!」とプッとすねる。

「はいはい、悪い悪い」

 猫丸も本気で怒っているわけではないだろうが、侠輔はそう謝罪を口にしながら喉をくすぐる。

 そうすればすぐに機嫌がよくなるのだから、かわいいものだ。


「――!」

 

 誰もいない、解体中のビルが立ち並ぶ現場を通りかかって足を止めた。

 人気のないこの一帯を生暖かい風が吹き、雑草がザワザワと揺れる。


「ヴ、ヴァイスの気配ニャ」


 周囲を見渡すが、防音パネルやシートで目視での確認はできない。ただ禍々しいあの気配はヒシヒシと感じられた。猫丸もゾワリと毛を逆立てる。


「一匹二匹じゃねぇ」


 侠輔は、右腕のホルダーに隠してあるフォルムを取り出そうとしてやめた。

 ゆっくりと手を下ろし、前をまっすぐに見すえる。

 その目は、どこか鋭く冷たい光を放っていた。


「よう坊主」どこか聞き覚えのある声。「今朝ぶりだなぁ」

 曲がり角からゾロゾロと現れる影があった。ニタニタと笑う、鼻ピアスの男。

 その後ろに控えるのは五、六十人ほどのガラの悪い男たちだった。手に手に鉄パイプやバットを持ち、見せびらかすかのように手首をくねくねと動かしていた。

 ガラガラガラと凶器を引きずる音が不気味にくうを舞う。


「あん時ぁ、よくもやってくれたなぁ? 借りを返しにきたぜ」

 頬にはガーゼがデタラメに貼りつけられ、笑うのも苦痛らしく歪んだ笑みを浮かべていた。

 だがその目には明らかな殺意がじわじわとにじみ出ていて、『ああこれが善良な市民との違いか』と思わせるものだ。


(この面倒くさい時に……)


 侠輔は目を薄めた。

 ヴァイスは一、二体どころか、百近い勢いで増えている。

 侠輔が口を開いた。


「今朝? さあ、寝ぼけててよく覚えてねぇな。お前らみたいなアホ面のことなんて……」

「てんめぇ!」

 それに男たちは歯軋りをし、怒りに震えた。

 彼らとしても、殴り返せばスッキリするというものではない。

 地面にはいつくばり、泣きながら謝罪するカタキの姿が見たいのだ。

 だからこそ奇襲ではなく、こうして人気のないところで大勢仲間を引き連れて力を見せつけ、ご丁寧に脅し文句を吐く。


 肩に乗っていた猫丸が、そっと侠輔の方へ身を寄せた。

「侠輔ッ……」


 ゾワゾワとヴァイスの発生し始める気配を感じていた。いや、すでに何体かは完全体になってこちらへ迫ってきている。


(急がねぇとマズイ)

 眉をひそめた。


 男たちはその少々切迫した表情にニヤリとほくそ笑む。『やはりただのガキだ。オレたちを怖がっている』とでも思ったのだろう。

 活気づいたように「ヒャヒャヒャヒャ!」と笑いだし、

「せいぜい苦しんで死ねや!」と一人が地面を蹴った。


(来た!)


 男ではない。ヴァイスの方だ。


「でああああああ!」ボコボコにへこんだ金属バットを振り上げてくる。まずは軽く骨でも折ってやろうという腹らしい。


 ゴッと鈍い音が響いた。

 

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