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'001:黒い影の正体

「ふわ~あ……」

 家の外だというのに、なりふり構わず大きなあくびをする青年。

 すらりと背が高く、大麦のように金味を帯びた髪が風にそよぐ。

 美しいその髪の色はイギリスと日本のハーフたる母譲りだが、とはいえ制服を着ていながら黒髪でないなど、たいてい素行が悪い人間と思われがちである。

 しかし彼の場合は穏やかで清潔感溢れる整った顔のおかげか、むしろ育ちのよさすら垣間見えた。


 彼の名は上地侠輔うえじきょうすけ


 名門といわれる藤成学園高等部でもトップクラスに成績がよく、二年になった今でも部活の勧誘が絶えないほどに運動神経抜群だった。

 おまけに「前世は著名な彫刻家が作った大天使の像に違いない」とまで言われるほど整った容姿のおかげで、新聞部によるWEBアンケートにて「抱かれ……恋人にしたい藤学男子」の一位を中等部から五年連続獲得するほどの有名人である。


 手に黒いパッケージのDVDを持ち、少々眠そうに目をしょぼしょぼとさせた。

「やっぱこっちに戻ってからこんな興奮するもん見んじゃなかった。けどオレも健全たる男子なわけで」

 そんな彼の手元で『ゴゼラVSモズラン』の文字が躍る。

「怪獣特撮モンには弱いんだよなぁ」

 てっきりエロティック的な無修正的な巨乳的なものかと思えば、なんてことはない。単なる子供向け映画だった。

 だがそれはカモフラージュ……ということもない。


 侠輔の肩の上に乗っていた一匹の子猫が頭をもたげる。

 ブルータビーの毛はダイヤモンドの粉を吹きかけたかのような輝きを放ち、足先と口周りの白い毛はよく晴れた日の雲のごとく白かった。


「侠輔、なんでこっちの怪獣は箱から出てこないニャ? シャイにゃのニャ?」

 柔らかそうな尻尾を揺らしてそう口を開く。

 この猫、名前を猫丸と言った。

 かなりの単純感であふれているが、元々は「182736452VR+X」などという身も蓋もない名で『呼びにくいんだけど。他にねぇのか? 猫丸とか』と侠輔が適当に例として挙げたものを『ずばりそれニャ!』と気に入ったものだった。 


 猫丸は「空間移動装置」を使って、「アンフェルメニア」なる世界からやってきた猫である。

 言葉という高度なコミュニケーション手段を持っているが、向こうでも惑星最高頭脳を持ってヒエラルキーの頂点に立っているのは、やはり人型の種族だった。

 毛に埋もれて見えにくいが、首のシルバーリングが微弱電波を出して人の声(言語もさまざま対応可)に変換していた。

 アンフェルメニアはこちらに比べ、かなり科学の分野が発達している。その気になれば天候すら自由に操れるらしいが、政府の厳格な審査と承認が必要らしい。

 

 そんなアンフェルメニアで生まれた猫丸からすれば、侠輔の家の50V型ハイビジョン薄型テレビさえも後進的な代物のようだった。

 上品なグリーンの瞳に先述のような疑問を湛え、どこかつまらなさそうに尋ねた。

 侠輔はそれに「怪獣が出てきたら捕まえるの大変だから」などととてつもなく適当に答えると、DVDをしまいながら「ってか猫丸、外であんまり喋んなって言ったろ? オレが猫相手に一人二役やってるイタイ奴だと思われたらどうする」


 異界の存在はこちらでは知られていない。

 せっかく別の世界への扉が開いたのだから、異界と積極交流をはかるべきだと思うのが一般的な意見といえる。

 だがアンフェルメニア(特に空間移動装置を開発した科学者たち)にとってそれが非常に、かなり、激しく、不都合だったのだ。


「見つかったら『クラスト』に記憶を消してもらえばいいニャ」猫丸が胸を張る。

「んなことばっかしてたらチーフに怒られんぞ」

 猫丸はそれに少々ギクリと尻尾を硬直させた。

 シュンとしたように「で、でもここは人通りが少ないから大丈夫なのニャ」

「よ、侠輔!」

 それに侠輔、猫丸、両者共にぎくりとした。


「一樹……」

 振り返った先には、たわし頭の青年が立っていた。

 彼は、侠輔と同じ二年C組に所属する大河内一樹おおこうちかずき。左手首にはいつも赤いリストバンドをしているが特にスポーツはやっておらず、ただの飾りのつもりらしい。

 気分や洗濯事情で他の色になったりもするらしいが、侠輔もめったに見たことはなかった。

 中等部一年の時に出席番号が前後だったことから仲良くなった。それ以来の悪友である。

 一樹はいたって平均的な身長で顔も悪くない。だが、侠輔と並ぶと足の長さやら等身やら、WEBアンケートでは名前すら出ない(一度一位になったのは「芸能人のマネージャーに向いていそうな人」ランキングだった)やら、色んな意味で小さく見えると気にしている節があるらしい。

 写真を撮るときなどわざと侠輔より引いて立ってみたりと、どこの女子だよと言いたいことをやることもあった。

「お、猫丸じゃん! おっす」

「おっ――」と猫丸が言いかけたところで侠輔が「オホンオホン!」と大きく咳払いをした。

 侠輔の家に何度も行ったことのある一樹は猫丸の存在は知っていた。

 だがこのいたって普通の猫が喋るとは思っていまい。

「に、にゃあっ!」と誤魔化すように尻尾を振った。

「よろしい。っつうか侠輔、今誰かと話してなかったか?」

「……え」

 そらみたことかと猫丸を見ると、彼は吹けない口笛を吹くかのように軽く口元をとがらせていた。

「さ、さあ。気のせいだろ」


 一樹がそれに口を開きかけた瞬間、タイミングよく、

「やめてください……」

「いいじゃんかよ~、学校なんかさぼって一緒に遊ぼうぜ」という下卑た声が重なるように聞こえた。


 彼らの視線の先には、七、八人の柄の悪そうな若者たちがいた。

 ああいったものたちが規則正しい生活を送っているとは思えない。おそらくどこかからの朝帰りなのだろう。


 この細道は学校への近道だが、人通りは朝昼晩を通して少ない裏通りだった。

 今は朝だが、夜だと街灯も少ないために真っ暗だ。ああいう輩の吹き溜まりとなっていてもおかしくはない。

 女子高生らしきセーラー服の女の子は、眉をひそめて怯えたように体を縮めている。彼女も夜なら通らなかっただろう。


「か、可愛いなあの子」

 一樹はそう言って頬を染めた。

 本気で一目ぼれしたのかは分からないが、彼はどこか惚れっぽいところがあった。

 街を歩いていてもあの子が可愛いだのこの子が可愛いだのとウルサい。しかも口だけのみならずナンパなど行動でも示すものだから、侠輔も振り回される羽目になることが多々あった。


「侠輔……オレちょっとばかし行ってくるわ!」とカバンを侠輔に押しつけた。

 動機は少々不純なようだが、正義感が強いところがあるのは確かだ。

 戦隊カラーで言えば赤だろう。

 ただ少々ヒーローに酔いしれるような部分があって、この間も車に轢かれそうになった亀を道路にダイビングしながら助けようとして自分だけ怪我をしていた。

 状況と自分のスペックを正しく理解できないのはヒーローとして致命的だ。


「大丈夫なのか? 一樹」

 侠輔は不安げにそう声をかける。

「もっちろん!」と自信ありげに振り返って親指を立てた。


「オレ昨日、ジャッキー・チャンの映画観たから」

 キラリと歯を輝かせる。


(新しい死亡フラグだな……)

 ズンズン進んでいく一樹の背中を見つめながら侠輔はそう思った。


 その瞬間、侠輔はあの・・気配を感じた。


「侠輔……『ヴァイス』ニャ」猫丸が囁く。

 一樹と話していたときとはうって変わり、侠輔は鋭い刃のような光を瞳に湛えていた。


――ヴァイス


 この言葉の正体こそが、アンフェルメニアと地球が積極交流を持つ弊害になっているものだ。


 気配の方を見やると、三、四メートルほど先の電信柱の影に黒い渦巻きが生まれていた。

 それが徐々に何かを形作っていく。


 渦を描いて集まり始めている黒い粒子は、大雑把に言えば生きている人間の「負の感情」である。

 幽霊やポルターガイストといった存在が確定されていないものではなく、ある条件下で確実に生みだされる自然界の事象だった。


 中国の気功でも知られているように、人の体の中には血液と同じく経絡内を通って体を巡るものが存在している。

 それは「霊力」や「気」という名を持ち、その正体は物質の放つ電磁波や生態磁気が組み合わさったものである。

 その霊力(便宜上統一してそう呼ぶ)は人間が怒りや憎しみなど悪なる感情を抱いたとき、脳内から分泌される物質と化学反応を起こして性質変化を起こした。


「もう結構『悪気』が集まり始めてるな」侠輔はつぶやく。


 そうして変化した霊力は「悪気」と呼ばれた。


 悪気は脳を始め内蔵などにマイナスの影響を与え、ひどく憂鬱な気分にさせたり、関節に溜まって痛みを引き起こすなど人体にとって有害なものである。

 そのため汗や涙とともに排泄される仕組みになっており、モヤモヤとした感情が運動や泣くことによって解消されるのは、主にその作用によるものと言われている。

 通常そうして外に出た悪気は、空気中を漂って自然に分解されていた。


 だが、ある問題が起こった。


「『空間移動装置』さえニャければ……」と猫丸はどこか侠輔の様子をうかがうようにシュンとする。

 それに侠輔は「しゃあないだろ、そっちが初めてこっちに来た時点ではヴァイス発生の原因が分かってなかったんだから」と猫丸の頭を撫でた。


 ヴァイスの存在は、アンフェルメニアでは災害の一種として捉えられるほど広く知られていた。

 発生の原因は「クァルゲン」という分子が悪気を結びつけることにある。

 クァルゲンは元々アンフェルメニア特有のもので、地球には存在しない大気中成分であった。それが空間移動装置によって世界が繋がった瞬間に、一気にこちらへ流れ込んで拡散してしまったのだ。


 ヴァイスは人間の中の悪気を求めて襲い掛かる。相手の命を奪うまで蛇のようにしつこく。


 こういった事実をアンフェルメニア側が隠したいがために、異世界間の交流が公然と行われていないのだ。

 アンフェルメニア人科学者らの面子の問題もあるが、人々がパニックに陥る可能性がある。

 そしてそれがまた、ヴァイスのエサとなる悪循環が待っているのだ。 

 異変に気づいたのが早く、クァルゲンの濃度があまり高くないうちに対策を練ることができたのは不幸中の幸いだろう。


「侠輔、フォルムを用意した方がいいんじゃないのニャ?」

 徐々に大きくなる黒い渦に、猫丸が不安げに囁く。

「まだ早い。こんな大勢の前で見られたら厄介だ」


 悪気とクァルゲン分子の結合は強く、ヴァイスには弾丸もどれだけ研ぎ澄まされた刃も通用しない。

 そこでアンフェルメニアの科学者は、「フォルム」と呼ばれる対ヴァイス用の武器を作り出していた。

 フォルムだけがヴァイスの悪気結合を切り離し、傷つけ、ダメージを与えられる唯一の代物である。ただし、熱や圧力では加工したものでは意味がない。

 霊力を流し込み、「組成」と呼ばれる反応を起こして変形させる必要があるのだ。

 それによって刀や棍棒、斧などさまざまな形の武器となってヴァイスに対抗することができるようになる。


 ただし霊力は指紋のように個々に異なり、それによって組成後のフォルムの形が自動的に決まる。

 よって組成しても先が曲がるだけ、穴だらけになるなどの非武器になってしまう者が大半で、ヴァイスと戦える武器へ組成できる者は全体の一パーセントもいない。

 そこで「クラスト」と呼ばれる公的組織が「武器組成者コンポーザー」を探し集めて管理し、異界を自由に行き来できる特権を与えてヴァイスの処理を専門的に扱っていた。

 侠輔はアンフェルメニア人ではないが、クラストのメンバーに「たまたま」腕を見込まれて勧誘されたのだ。


「一樹がちゃっちゃと片づけてくれたらいいけど」

 影に紛れるように徐々に大きくなっていく様子を横目に、侠輔は期待を込めて一樹の背中を見守る。


「おいおいお前ら! その子困ってるだろう! 離しやがれ!」


 不良たちへ一樹がそう叫ぶ。

 ビシッと決まったおかげか、からまれていた女の子も心なしか表情が明るくなった。

 それをチラリと見た一樹は、少しばかり得意げにほくそ笑む。

 男らは一樹を上から下まで見ると、口の端を上げた。


「ちょうど良かった。今から遊びに行くんだ。金くれよ」

 近くで見ると、思いのほかガタイのいい男がいたらしい。金髪の男ががガムをかみながら袖をまくると、鍛え上げられた筋肉質な腕が見えた。胸板も随分と厚そうである。

 そんな相手の威圧感に気おされたのか、一樹の腰が少し引ける。

 それでも頑張って、

「お、お前たちにやる金などな――」

「おい。金出せって言ってんのが分かんねぇのかゴルアァ! アァ?」

 囲まれて胸倉を掴み上げられ、そこで早くも戦意を喪失したようだ。

「お金……は……ちょっと無くて……えっとごめんなさい」

「あんだとォ!」


 侠輔は額に手を当て、小さくため息をついた。

「助けに行ったのに、カツアゲされてどうする」

「カツアゲ? から揚げとはどう違うニャ?」

「から揚げは鶏肉の味、カツアゲは砂の味だ。分かったら向こう行ってろ」

「はいニャ!」


 猫丸が果たして本当に意味が分かったのかどうか定かではない。

 侠輔の言葉の勢いに丸め込まれるように侠輔の肩から下りた。

 フタの外れかかった青いゴミ箱にちょこんと座し、侠輔を見守る。

 そんな猫丸を一瞥もせずに侠輔はまっすぐそこへ向かっていった。


「おい、何やってんだ」

 

 恐れを知らないかのように、不良たちの背中へ堂々と声を掛ける。

 そのせいで彼らも一瞬、巡回中の警官がやってきたと思ったのだろう。

 焦ったように振り向いた。


「あ、あんだよ、またガキか。っておい、お前もそのシャレた制服、藤学じゃねぇか?」

 そう安堵の笑みをみせた男は、鼻に丸い金色のピアスをしていた。

 正直言ってそんなところに異物があると違和感がないのか、という疑問がとコンマ一秒で侠輔の頭を駆け抜ける。

 

 髪を金色に染めた男が軽く体をゆすりながら近づき、ニヤニヤと侠輔を見た。

 ジャラジャラとアクセサリーをつけ、赤いキャップをかぶって本人はいきがっているようだがどこか阿呆くさい。

 チビで眉毛がないからかもしれない。

「ってことは未来の東大生か。すっげぇ、握手してくれよ」似合いもしないあごひげを掻きながら楽しそうに手を差し出してくる。

 その指にはいくつもの指輪をしていたが、傷だらけの上にどす黒いインクのようなものがついている。 ファッションではなく打撃の大きさを増すためだろうと侠輔はみた。「そういうこと」に慣れている連中らしい。

「あいにく、ナニ握ったのかわかんねぇような汚ぇ手触って喜ぶ趣味はねぇ」

「は、冗談に決まってんだろ。……生意気な口きいてんじゃねぇぞゴラ」

 それは侠輔とて分かっている。

 冗談を冗談で返したのが気に食わなかったのだろう。乱暴に制服のネクタイをつかみ上げた。

 そういえばテレビで、要人を護衛するSPのネクタイは引っ張られると取れる仕組みになっていると聞いたことがあったが、確かにこれは不便な代物だ。簡単に動きを制限されてしまうのだからと侠輔は思う。


「侠輔……」

 汗まみれの一樹は、みるみるうちに眉をハの字に崩していく。

「警察呼んでくれ、警察ぅ! オレはやっぱ香港警察のアイツにはなれなかったぁ!」


「大丈夫だ、一樹」と侠輔は安心させるように笑う。「オレも昨日、ゴゼラ観たから」

「死んだああ! もう死んだああ!」

 一樹は髪を振り乱して叫び始める。


「うるせぇ、何をふざけてやがんだ! ちょっと金貸せっつってんだよ!」

 赤キャップにネクタイを掴んだまま揺らされる。

 別の男が侠輔のカバンをあさって、無理矢理財布を抜き取った。

 侠輔はそれをさせるがままに大人しくしている。

 男が舌なめずりをしつつ財布を開けた。

「へへへへ、……って、おいおい二千円たぁシケすぎだろ! しかもお前これ、今や捜索願い提出ものの二千円札さんじゃねぇか。自販機使えんのかこれよー」

 それに男らはゲラゲラと笑った。


「だっせぇ! ママからお小遣いもらってないんでちかぁ~」

 挑発するようにバカ面で覗き込む。


「小学生脳のお前らにはそれで十分だろ。一人二五〇円ずつ分けてろよ」

 

 ヴァイスの上半身が徐々にはっきりしてきている。


「あんだと? クソ生意気なこと言いやがって!」

 ネクタイを掴んで揺らされる。ヤニ臭い顔を近づけられ、侠輔は顔をしかめた。

「名門高だと金持ちがゴロゴロいやがるけど、こいつはハズレか」

 最近藤学の生徒がこういった被害にあっていると朝礼で話があがったが、どうやら犯人はこいつららしい。

 その間にもヴァイスの足がしっかり見え始める。


(あんまりちんたらしてるとヤバイな)


 一樹を見たが、もはや女の子を助ける気概は残っていないらしい。

 男らに囲まれ、チワワのような瞳で一縷いちるの望みを完全にこちらにかけていた。


 あまり戦いなれているところを見られたくなかったが仕方ないか、とネクタイを持つ不良の手をそっと握った。あくまでタンポポの綿毛が乗るかのようにそっとである。

 それに男は、まるで腹をすかせた野犬の如く敵意をむき出した。

「何すんだゴルア! ――っ!」


 だが一瞬で戦意は消えうせたらしい。

 侠輔のさわやかながらどこか冷徹さを含んだ微笑みに青ざめている。


「なあお前ら『金を貸してくれ』って言ったよな? だったら……利息つけて返してもらおうじゃねぇか。年率一万パーセントぐらいでな!」

 無茶を言いながら男の手首をひねって、そのまま地面にドッと引き倒した。

「ってかお前二千円しか……お、おい。ちくしょうッ!」

 顔色をかえた仲間が侠輔に殴りかかった。だがそのときにはすでに侠輔は胸の前にいる。


「こんのっ! ぐおおっ!」

「て、てめぇ……って、ぐああああ!」

「ぐぐおふあぁあ!」


 次々とあがるマヌケな断末魔。

 気づいたときにはほとんどの男らが叩きのめされ、白目をむいて地面に伸びていた。

 残った一人は「くそっ」と怯えたようにポケットに手をやる。

 一瞬ギラリと光る刃が見えた。

 男は傍にいた一樹に目をつけると、一気に襲い掛かり胸にナイフをつきたてた。

 侠輔はそれに瞠目する。


「あああああ!」


 だが男の卑劣な計画が成功したのは、本人の脳内でのみだったらしい。

 ある程度の距離があったにもかかわらず、男は一瞬の内に腕をひねり上げられ、壁に顔を押しつけられていた。

 男自身も何が起こったのか理解できず、動揺に目を泳がせていた。

 だが骨はミシミシとしなり、アリの歩いた衝撃ですら砕けそうなほどにピンとはりつめる痛みに現状を知った。

「悪い、悪かった……」

 苦痛に顔を歪める。

「頼む、やめてくれ、な?」

 男は許しを請うように顔を振り返らせたが、一瞬にしてその顔に恐怖が宿った。

 侠輔の瞳孔は飢えた獣のように萎縮し、視線で相手の心音を止められそうなほどの威圧感を放っていた。命の危険すら感じるほどに。

 男は青ざめ、目蓋を震わせた。


 「敵」と見なしたものに情けなどかける必要などない。

 戦いにおいて、甘さなど命取りになるだけだ。

 まるでいくつもの死線を乗り越えてきた冷血な殺し屋のような光に、男は歯をガチガチといわせていた。

 侠輔は軋む骨にさらに力を入れようと、一旦力を緩める。


「がああああああああ!」


 泣き叫ぶ男に侠輔はあっさり手を放した。

 男は壁に顔をすりつけたままアスファルトの上に転がる。

 何もしていないというのに、どうやら恐ろしさのあまり気を失ったようだ。

 壁についた汚らしい男の唾液のあとに、侠輔は建物の所有者に少々申し訳なく思った。


 侠輔は鼻から息を吐くと、落ちていた財布とそこからはみ出ていた「ブラックなカード」をしまった。

「大丈夫か?」

 二人に向けて言ったつもりだが、少女の方が強く反応をしめした。

「大丈夫ですっ!」

 きれいな黒髪の少女は白く透き通った頬を染め、潤んだ瞳で侠輔を見上げている。

 彼女には侠輔が白馬に乗った王子様のように見えているらしいが、あいにく侠輔は生まれ出でんとしている怪物の方ばかり気にかけている。


(さすがにそろそろやばいか。こうなったら一樹を気絶でもさせ……)


 考えている間に胸倉をつかまれてグッと引っ張られたかと思うと、口に柔らかな何かがあたった。

 目の前にはあの女子高生の顔。

 ふんわりと石鹸の香りが肺を満たし、唇はマシュマロに包まれるかのような感触がする。

 彼女はゆっくり顔を離すと、「好き……」と侠輔の胸にしなだれかかった。 


「侠輔ぇ!」

 一樹の絶望したような声が聞こえる。

 狙っていた女の子を助けようとしてカツアゲと殺人未遂にあったフィナーレがこれでは、誰でもいやになるだろう。

「よ、よかったらお付き合いしてくださいっ」

 白い肌を赤く染め、うっとしとした表情で侠輔を見上げる。

 侠輔は「んー」と考えると、彼女のスカートへ手を伸ばしておもむろにめくり上げた。

 目隠しを失った白いレースの薄い下着が、白日の下にさらされる。

 何かの作戦……ではない。


「や、けどなぁ、尻がオレ的に……」

 とんでもない言葉と格好だが真剣な眼差しではある。

 侠輔はこの容姿、性格、境遇にして生まれてこの方、一度も彼女がいたためしがない(キスははからずもディープなものまで済ませてあるが)。

 それもこの「尻に極度のこだわる」という変態的趣向のせいであった。

 そこが自分の理想でないと、どれだけ顔が可愛くてもスタイルがよくても、恋人候補から即座に外れるらしい。


「ちょああああッ! お前と友達でよかった! じゃなくて、き、侠輔何やってんだよ!」

 一樹の慌てる声に手を離した。

「何って?」

 かなり常識枠から外れているが、侠輔にとっては「好みをチェックしただけ」のこと。


「何っていやいや! い、いいくら何でもいやいや、それはいやいやヤバ……」

「だからもうちょっとこの辺のボリュームが」

 さらには指で尻をなぞり始め、一樹はそれを見た興奮と警察行きの恐怖によって赤くなったり青くなったりを繰り返していた。


「どっほほほ、すすす、すいません! 謝るんで許してやってくださぁあい!」

 一樹は即座に額をこすりつけるように土下座する。

「えー振られたの、ショックぅー」

 だが一樹の心配とは裏腹に、彼女は頬に両手を当てて悲しげな顔をするだけ。

 それに一樹はホッとしておずおずと顔を上げる。だがその瞬間、「ちょっとアンタなに下から覗いてんのよ!」とカバンを顔へ激しく叩きつけられた。

「ったく変態が!」

 彼女は怒って立ち去る。


「何でオレだけ……。でも可愛い子のパンチィ見れたからいいや……」

 

“ガアアアアアアアアア!”

 ついに完全に発生したヴァイスが牙をむいて侠輔へ襲い掛かる。

 それを一瞬で組成した刀で消滅させると、意識のない一樹を見下ろした。


「……こんな顔で気絶してるやつ見たことねぇんだけど」


 口周りをぬらぬらと赤く濡らす一樹は、「へっへへ」とその顔にとても嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 気絶させる手間が省けたのはよかったが。


「にしても、こんな朝っぱらからヴァイスが出るなんてほとんどねぇのに」

 ヴァイスは闇や影を好む。人通りの少ない空気の淀んだ場所とはいえ、こんな晴れた日の朝に出現するとは。

「あいつらはいつでもどこでも発生する。気にするだけ無駄ニャ」


 猫丸の言葉にそれもそうかと思いつつも、侠輔は妙な胸騒ぎを覚えていた。



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