第7話 前世の叫び
村の広場を埋め尽くしていた怒号と蹄の音、そしてあの神威の残響が嘘のように、農家の夜は深く、そして重苦しいまでの静寂に包まれていた。
マリエールは、煤けた壁に囲まれた窮屈な家の中で、両親と五人の兄弟たちと共に食卓を囲んでいた。
これが、愛する家族と囲む最後となるであろう晩餐であった。
目の前に置かれたのは、石のように硬く干からび、噛み締めるたびに口内の水分を奪っていく黒パンの一欠片と、お湯のように味が薄く、具材の欠片すら見当たらない貧相なスープ。
窓から入り込む冷たい夜風が、頼りない蝋燭の炎を揺らし、食卓に並ぶ家族の影を壁に不気味に引き伸ばしていた。
その揺れる影は、まるでもうすぐ失われる平穏な日常を象徴しているかのようでした。
「姉貴が神様に選ばれたなんて、今でも信じられないよ」
年若い弟が、戸惑いと誇らしさが入り混じった表情で呟き、自分の取り分であった小さなパンの半分を、そっとマリエールの皿へと移した。
「……食べて。聖女様はお腹が空いちゃダメなんだろ?」
弟の放ったその無垢な優しさが、今の彼女には、心臓を直接抉る毒を塗った刃のように突き刺さった。
マリエールだけが知っているのだ。
前世において、己が権勢を誇示するために課した冷酷な重税が、この村をどれほど疲弊させたか。
この無邪気な弟のような少年たちが、自分のために温められたはずの一杯のスープさえ啜れずに、暗い家の片隅で静かに餓死していったことを。
彼女は震える手で木製のスプーンを握り、喉に詰まりそうになるパンを、自責の念と共に飲み込んだ。
その一口は、どんな宝石よりも重く、苦い味がしたのです。
家族が寝静まり、家の中に寝息と薪が爆ぜるかすかな音だけが響く頃、マリエールは一人、使い古された藁のベッドに横になった。
まぶたを閉じれば、暗闇の向こうから濁流のような記憶が、堰を切ったように溢れ出してくる。
前世。
わずか十四歳の時、空にたなびく彩雲を見て「私は神に選ばれた」と思い込んだあの日の傲慢。
何も持たずに、野心だけを抱いて王都へ向かったあの足取り。
聖女の証とされた「予言」さえも、過去の知識と戦況を読み解く狡知が生んだ、ただの当てずっぽうに過ぎなかった。
聖女審査の際、大勢の中から王子クロヴィスを見抜いたのも、神の啓示などではない。
彼が身につけていた宝飾品が、他の貴族とは一線を画す最高級品であることに気づき、「彼だと見抜く」それだけのことだった。
そんな子供騙しの「知恵」を、救いを求める世間は「奇跡」と呼び、彼女を望まれるがままの偶像へと祭り上げた。
戦の司令官として祭り上げられ、いつしか英雄となった彼女は、臣下たちの甘ったるい媚態と甘言に溺れ、宮廷の奥底で変貌していった。
民が泥を啜り、子供が飢えに泣いていると知りながら、彼女の関心はすでに、より輝きを増す宝石と、肌を滑る上質な絹織物にしか向いていなかったのだ。
その報いが、あの日の炎となって彼女に襲いかかったのです。
そして記憶は、最も暗く、凄惨な結末の風景へと辿り着く。
敵軍に捕らえられ、誇りを奪われた彼女が引きずり出されたのは、かつて自身の象徴であった占領下の城の中庭であった。
最期の瞬間、彼女が目にしたのは、自身を救いに来るはずの味方の軍勢ではなく、血走った眼差しで自分を睨みつける自国の民の姿であった。
「死ね! 偽聖女!」
「我らの子を、死んでいった家族を返せ!」
火刑台に縛り付けられ、足元に乾燥した薪が積み上げられた、処刑の直前。
嘲笑を浮かべた敵将が、一通の書簡を彼女の眼前に突きつけた。
「見ろ。これが、貴女がその身を捧げ、愛し抜いたはずの夫――クロヴィス王の答えだ」
『その女の身代金は、我が国は一ブランたりとも支払う価値はない。……直ちに殺せ』
「あぁ……っ」
二度目の人生、静かな闇の中で、マリエールは押し殺した声を漏らして激しく震えた。
熱い。
全身を火が舐め回すあの感覚。
けれど、肉が焼ける物理的な熱さよりも、愛した男に無価値なゴミのように捨てられ、命を懸けて守るべきだったはずの民に呪い殺された、
あの魂の焼けるような屈辱こそが、今もなお彼女の心を焦がし続けていた。
マリエールは、たまらず起き上がり、窓から見える霧深いヴァル・ド・ロゼの景色を凝視した。
(クロヴィス。今のあなたは、まだあの冷酷な手紙を書くような男ではないでしょう。民を救いたいと願う、あなたの言葉に嘘はないのかもしれない)
夜霧の向こうで、昼間に見た王子の跪く姿が、亡霊のように浮かんでは消える。
(でも、私の『罪』は決して消えはしない。私は、自分を捨てたあなたを許さない。……そして、あなたの差し出す理想に絆され、甘言に身を委ねようとする弱い自分を、二度と許しはしない)
今世の彼女の右腕には、前世とは決定的に異なる、本物の神威が宿っている。
それは虚飾ではない、国をも救い得る絶対的な権能だ。
けれど、彼女が何よりも恐れているのは、強大な敵軍でも、再び訪れるかもしれない火刑の苦しみでもない。
もう二度と、民に石を投げられるような「私」に戻らないこと。
この純朴な村の人々に、二度と呪われぬ存在であり続けること。
マリエールは、冷えた拳を強く握りしめた。
その掌には、神の力による微かな熱が宿っている。
彼女は、ただ一刻も早く、あの黄金の王子の視界から、そして権力の魔性から自分を切り離すために、神に与えられたその力をどう使うべきか、暗闇の中で静かに思案し続けるのであった。
それが、彼女にとっての本当の「聖戦」の始まりだったのです。




