第63話 双生の女王
二人の少女が放つ、静かながらも肌を刺すような圧倒的な威圧感。
会議室に居並ぶ百戦錬磨の将軍や老獪な重鎮たちは、思わず呼吸を忘れてその光景を注視した。
「先王陛下、ならびに諸将、文官の皆様。……遅くなってしまい申し訳ありません」
マリエールは円卓の主座へと、一歩ずつ確かな足取りで歩み寄った。
十五歳という若さ、そして病み上がりの細い体躯に清潔で簡素なドレス。
しかし、地図を見下ろすその横顔には、年齢という枠を遥かに超越した深淵な理知が宿っている。
「私が戴冠した暁、この国は『神の奇跡』にのみ縋る国であってはなりません。……奇跡は、私の代で終わらせます」
その衝撃的な一言に、真っ先に声を上げたのは枢機卿であった。
「な、なんと……! それは困りますぞ、聖女様! 貴女様の奇跡こそが我が国の光、民の信仰の源泉ではございませぬか!」
「枢機卿、私の言葉を最後まで聞きなさい」
マリエールは遮るように、しかし穏やかに諭した。
「私は信仰を捨てるのではありません。むしろ、神の栄光を『永遠のもの』にしたいのです。……見てください」
彼女は窓の外を指し示した。そこには、朝日に照らされて黄金色に輝く王都アルシエルの尖塔が連なっている。
「奇跡とは、個人の命を削り、魂を摩耗させてしまいます。もし、私が倒れれば消えてしまうような平和であるなら、それは神の御心に背くもの。私が目指すのは、聖都アルシエルを『神の祝福と物流の都』へと変貌させることです。祈りは人々の心の柱ですが、柱だけで家を建てることはできません」
マリエールの声は、次第に熱を帯びていく。
それはもはや聖女の説法ではなく、冷徹な統治者としての「施政方針」であった。
「カストル・ノワールを鉄壁の軍事拠点とし、このアルシエルを全大陸の富が集まる心臓部とします。主要都市と幹線道路を繋ぎ、関税を撤廃し、各国の商人に通行権を保証する。その代わりに、我らは世界中の最新技術と知識をこの地に蓄積させるのです。……枢機卿、祈りだけで腹を満たすことはできません。民が飢えぬのは、神の加護があるからではなく、食糧と仕事があるからです。幸せな生活が物理的に保障されたとき、人々は初めて、切実な救済を求めるためではなく、溢れんばかりの『幸せの報告』をするために、教会へ足を運ぶようになる。私は、そんな国を作りたいのです」
宗教都市の頂点に君臨する者たちが、そのあまりに合理的で、かつ慈悲深い逆転の発想に圧倒された。
枢機卿は杖を握る手を震わせ、深く、深く首を垂れた。
だが、マリエールの「変革」は内政に留まらなかった。
彼女は華奢な指先で、地図の北方……宿敵ハルガルド帝国の領土を指し示した。
「北方についても同様です。ハルガルドに対し、失った領土を拙速に奪還しようとしてはいけません。むしろ、その地域の軍備増強をあえて促し、この地域で軍事人口を過剰に増加させるのです」
レオンハルトを含む将軍たちが、身を乗り出す。
「軍備を促す……? それでは敵の力を強めるだけではございませんか」
「いいえ。軍隊を維持するには膨大な食糧と金が要ります。私たちはその近郊に意図的な『空白地帯』を作り、敵を南へ、南へと誘い込むのです。……そこは険しい山岳地帯。敵が百キロほど侵攻した瞬間、北の海を封鎖し、背後の補給路を断って中央を分断します」
彼女の瞳に、軍師としての冷徹な光が閃く。
「陸に広く、薄く布陣した大軍は、狭い山道で包囲されれば身動きが取れません。膨れ上がった軍勢は補給が絶たれれば、ただ自壊を待つのみ。物資を燃やし尽くせば、飢えた敵は自ら降伏を乞うでしょう。……本島の攻略は、その後に国力を十分に蓄えてから考えればよいのではなくて?」
鮮やかな勝利の青写真。
将軍たちは、その戦慄すべき才覚を前にして、言葉を失った。
この少女は、奇跡という「超常」だけでは無い。
己の死後すら見据えて、知略と経済という政治の力で世界を支配しようとしている。
「エミリ」
マリエールは、静かに寄り添う親友を見つめた。
「私の影として生きるなら、貴女は実家との縁を切り、一生この冷たい高みで、私と心中することになるわ。……本当に、いいの?」
先王アルベールが、重厚な声を重ねる。
「エミリ。……お前という人間はこの世から消え、死ぬまで『マリエールの影』として生きる。結婚も、恋愛も、一個の女性としての幸せもすべて捨てねばならぬ。強制はせぬ。だが、影がなければ光は民の目に焼き付いて消えてしまうのだ」
沈黙。
しかし、エミリの答えは最初から決まっていた。
彼女は流れるような所作で、マリエールの前に跪いた。
「マリエール様。……貴女と孤独を分かち合えるのが私一人だけであるならば、それは私にとって、何よりの誉れ。……私が望む幸福な人生そのものです」
将軍、文官、教会。その場の全員が、十五歳の少女たちが背負った壮絶な覚悟に打たれ、喝采を上げようと一斉に立ち上がった。
……しかし、その時だった。
マリエールがふと視線を落とし、誰に聞かせるともなく、消え入るような震える声で呟いた。
それは、覇道を語る女王の顔から、一瞬だけ剥がれ落ちた「一人の幼い少女」の悲鳴だった。
「……もし。……もしも、今。私がまた……敵国に連れ去られて、火刑台に上げられそうになったら。その時は……誰か……助けてもらえるのかしら」
会議室の温度が急激に下がったかのような、暴力的なまでの静寂が落ちた。
先刻まで冷徹に軍略を練り、覇道を語っていた女王の裏側に、剥き出しのまま潜んでいた根源的な恐怖と絶望。
前世の終焉で焼き尽くされた痛みが、いまもなお彼女の魂を苛み、孤独な幼子のように震わせているのだ。
「――マリエール様ッ!!」
レオンハルトが、椅子を蹴り飛ばしてその場に跪いた。
地鳴りのようなその音に弾かれたように、ガストンを筆頭とした将軍たち全員が、さらには先王アルベール、枢機卿、文官長までもが、一斉に石床に膝を突いた。
それは、余りにも儚く、吐息のように小さな呟きに過ぎなかった。
しかし、彼女にすべてを捧げた者たちの忠誠心が、その魂の絶叫を聞き逃すはずがなかったのである。
「火刑台だろうが、地獄の果てだろうが、我ら八人の将軍が、いえ、アルシエル王国全軍が! この命を盾にして貴女を必ずや救い出してみせる! 貴女を一人で行かせはしない! 決して……決して、貴女が奪われるような真似はさせぬ!!」
将軍たちは拳を握り締め、屈強な男たちの目からは、熱い涙がこぼれ落ちていた。
彼女が語った偉大な建国案よりも、この「助けてほしい」という小さな願いこそが、彼らにとって何よりも重い、魂の刻印となった。
マリエールは驚いたように目を見開いた。
隣にいたエミリが、将軍達の言葉より早く、彼女を抱きしめていた。
マリエールの肩は、エミリの流すとめどない涙で濡れていく。
彼女はエミリと顔を見合わせ、跪いた全員の目をしっかりと見つめると、今世で一番、少女らしい柔らかな、そして最高の微笑みを浮かべた。
「……ありがとう……ござい……ます……」
マリエールの涙は今は止める術を持たなかった。
光と影、そして彼女たちを命懸けで守る騎士たち。
新女王 マリエール・ド・アルシエル
アルシエル王国は、今、建国の産声を上げた。




