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第61話 アルシエル建国案

 ハルガルド帝国の苛烈な支配から解き放たれ、マリエールの「奇跡」によって奪還した聖都アルシエル。

 かつては静謐な祈りの場であったこの都市は、今や単なる宗教的中心地という枠を超えようとしていた。

 そして今、王国の旧首都カストル・ノワールに代わり、新生国家の心臓部としての鼓動を刻み始めることになる。

 クロヴィス王が長期滞在し、軍事・政治の指揮を執っていたこともあり、アルシエルは現在、実質的な臨時王都として機能しつつあった。


 王宮の厚い石壁に囲まれた秘密会議室。

 そこではアルベール先王を筆頭に、八人の将軍、文官長、そして教会の重鎮である枢機卿が集い、この国の形を根底から作り変えるための、熾烈な議論が繰り広げられていた。


「――もはや、旧王都カストル・ノワールに戻る意味はない」


 第一将軍レオンハルトが、卓上に広げられた地図の「アルシエル」を、指先で強く叩いた。

 その眼差しは鋭く、未来を切り開こうとする武人の覇気に満ちている。


「交通も滞り、クロヴィスの裏切りの記憶が染み付いた旧都よりも、聖女様が奪還し、今この瞬間も民が熱狂に沸いているこのアルシエルこそが、新国家の首都に相応しい。

 ここは大陸北部の交通の要衝だ。旧王国の広大な版図を再編し、統治の礎を築くには、ここを起点にするのが最も合理的であると断言する」


 その提案に、保守的な立場を取る文官長が、困惑を隠しきれずに異を唱えた。


「し、しかしレオンハルト将軍……! アルシエルはあくまで教会の聖域、神の土地ですぞ。そこに世俗の王座を据えるなど、建国以来の前代未聞の事態。周辺諸国への説明もつきませぬ。それに……何より、王家の血統はどうなるのですか? 正統なる継承者が不在のままでは……」


「血統、だと? ……ふん、それが国を救ったか?」


 ガストンが鼻で冷たく笑い飛ばし、丸太のような腕を組み直した。椅子がみしりと悲鳴を上げる。


「クロヴィスが国を売り飛ばし、私欲のために民を飢えさせていた時、その高貴な『血』は何の役にも立たなかった。今、民が喉を枯らして求めているのは、自分たちのために命を削り、泥を啜って戦い抜いた『アルシエルの乙女』ただ一人だ。彼女を王座に就かせねば、命を懸けて戦った七万の将兵も、解放された民も、この国を信じはせんぞ」


 議論を見守っていた枢機卿が、静かに、しかし重みのある動作で頷いた。


「宗教的中心地であるこの都市で、神の加護を受けた聖女が戴冠する……。それは民にとって、単なる政権交代ではありません。長きにわたった絶望の時代の終焉と、神の意志による真の救済を意味するのです。教会としても、マリエール様を女王として推戴することに、異論はございません」


 場が沈黙に包まれる中、上座に座るアルベール先王が、ゆっくりと重い口を開いた。

 その瞳には、かつての覇王としての冷徹な輝きが戻っていた。


「よかろう。カストル・ノワールの旧王宮は廃止し、ここアルシエルを新首都とする。国家の名は、聖都の名を冠した『アルシエル王国』だ。……だが、諸君。忘れるな」


 先王は、将軍たちの顔を一人ずつ、射貫くような視線で見据えた。


「マリエールを女王に据える以上、彼女を支え続ける『アレ』の存在は、このアルシエルの地下深くに永遠に封印せねばならぬ禁忌となる。……歴史の表舞台に、その名が刻まれることは二度とないと思え」


 先王の言葉は、まるで喉元に突きつけられた氷の刃のように冷たく響いた。

 事の真相を知らぬ文官たちの手前、先王はあえて明言を避けた。

 だが、その場の将軍たちは即座に悟り、一様に戦慄した。

――すなわち、親友としてマリエールを支え抜いたエミリという一人の少女を、この世から「記録」としても「記憶」としても永久に抹殺せねばならぬという、非情極まる宣告であることを。


 レオンハルトは、腰の剣の柄を、皮の手袋が軋むほど強く握りしめた。

 その脳裏には、いつもマリエールの傍らで気配を消し、誰よりも献身的に彼女を支えてきた少女の姿があった。


「――承知の上です。エミリが影として生き、歴史の闇に沈むというのなら、我ら八人の将軍は、その影さえも踏ませぬ不落の盾となりましょう。彼女たちの平穏を乱す者は、誰であろうと我らが斬る」


 会議の結論は、ここに下された。

 旧王国の遺産を清算し、聖都アルシエルを首都とする新たな国家「アルシエル王国」の建国。

 そして、その初代女王としてマリエールを推戴すること。


 長い会議が終わり、レオンハルトは一人、マリエールの眠る離宮へと向かった。

 回廊を歩く彼の耳には、窓の外からいまだに止むことのない、地鳴りのような「マリエール・コール」が風に乗って聞こえてくる。


 離宮の寝室の前、扉の陰で気配を消し、眠る親友をじっと見守るエミリの姿があった。

 彼女は、外の喧騒とは無縁の、あまりに静かな、しかし覚悟に満ちた背中をしていた。


 レオンハルトは彼女に声をかけることはしなかった。

 ただ、数歩後ろで立ち止まり、その背中に向けて、言葉にならない誓いを立てた。

 すべてを背負うのは、彼女たち二人だけではない。

 自分たち将軍もまた、その「影」の一部となって共に重荷を背負い、彼女たちを支え抜くのだと。


 窓から差し込む夕闇が、眠るマリエールと、それを見守るエミリの影を一つに繋いでいた。

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