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第34話 鏡合わせの救世主

 ヴァンスの湿った路地裏、そのさらに奥にある貧民街の片隅で、一人の少女が見つかった。名をエミリという。

 彼女を連れてきた若き兵士の手は、恐怖と困惑で小刻みに震えていた。

 無理もない。

 軍議室の奥、ガストンやレオンハルトの前に突き出されたその少女は、あまりにも「それ」に似すぎていたのだ。


「……信じられん。世の中に、これほど似た者が存在し得るのか」


 ロランが絶句し、思わず椅子から立ち上がる。

 エミリの着ている服は煤けて汚れ、継ぎ接ぎだらけだった。 

 しかし、その凛とした鼻筋、意志の強さを感じさせる瞳の輝き、そして何より、そこに立っているだけで周囲を清めるかのような佇まいまでもが、今も離宮の奥で眠り続けるマリエールと生き写しであった。


 エミリは、並み居る将軍たちの威圧感に体を強張らせていたが、ガストンの問いかけに対し、真っ直ぐに顔を上げた。

 その瞳には、貧しさの中で培われた不屈の光が宿っている。


「聖女様は……私の、私たちの希望です。あの方が、あんなにボロボロになってまで、この街のために戦ってくださったこと……みんな、知っています。私のような者に、あの方の代わりができるなら……何だってやります」


 ガストンはその言葉を聞くと、無造作にその場へ膝をついた。

 一国の軍団長が、一人の町娘の目線に合わせて膝をつく。

 その真剣な面持ちに、室内の空気は一変した。


「エミリと言ったな。お前の家族の面倒は、我が家系が末代まで保証しよう。だが、これから数日間、お前は『聖女』として、何万人もの熱狂と、そして敵の殺意が混じる民の前に立たねばならぬ。……やってくれるか?」


 エミリは、潤んだ瞳で深く、深く頷いた。彼女にとってそれは、提示された報酬のためではなかった。

 自分たちを救うために命を削った、あの「アルシエルの乙女」への、名もなき民としての精一杯の献身であった。


 二日後。

 ヴァンスの中央広場は、解放を祝う民衆の波で埋め尽くされていた。


「聖女様! 万歳!」

「アルシエルの乙女を我らに! 王国の救世主に栄光あれ!」


 割れんばかりの声援の中、白亜のバルコニーに、天使の意匠を凝らした純白の鎧を纏ったエミリが姿を現した。

 左右を固めるのは、第二隊長のイザベルと、聖女付きの女官ソフィア。

 本物の「聖女の守護者」たちが脇を固めることで、その存在感はより確かなものへと昇華される。

 エミリは心臓が口から飛び出しそうなほどの恐怖を押し殺し、鏡の前で何度も練習したマリエールの立ち振る舞いを完璧に模倣してみせた。


 彼女が慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、ゆっくりと民衆へ手を振る。

 その指先の動き一つに至るまで、気品が満ち溢れていた。

「……見事なものだ」

 影からその光景を見守っていたガストンは、長く、重い安堵の溜息をついた。


 これでいい。マリエールが瀕死の重傷を負っているという事実は、ハルガルドの残党にも、そしてまだ不安を抱える民たちにも、完璧に隠し通されたのだ。

 偽りの聖女が輝けば輝くほど、本物の聖女を守る影は深く、静かになっていく。


 その頃、離宮の最上階。

 祝祭の喧騒が遠い波音のようにしか聞こえない、完全に遮断された静寂の部屋。

 レオンハルトは、マリエールの白く、冷たい手を両手で包み込むように握りしめていた。


「……エミリという少女が、貴女の代わりに民を笑顔にしてくれましたよ」


 レオンハルトは、眠り続けるマリエールの耳元で、壊れ物を扱うかのように優しく語りかけた。 

 数日間一睡もしていない彼の声は掠れていたが、そこには深い慈しみが込められている。


「ですから、貴女は何も心配しなくていい。この街も、兵たちも、すべて私が守ります。……今はただ、ゆっくりと、その重すぎる荷物を下ろして休んでください。……貴女の戦いは、もう終わったのですから」


 マリエールの頬には、医師たちが驚くほどの生命力が戻り始めていた。

 ピエールが徹夜で煎じた薬草の薫り、一流の医師たちの懸命な処置。

 そして何より、レオンハルトが片時も離れずに送り続けた熱い想い。

 それらが、凍てついた彼女の魂を少しずつ溶かしていた。


「レオンハルト様、少しはお休みください。……お嬢様も、貴方のそのやつれた顔を見たら、目を覚ました瞬間に悲しまれますよ」


 温かい湯を運んできたピエールが、レオンハルトの硬くなった肩にそっと手を置いた。

 だが、レオンハルトは首を振る。


「いや……彼女が暗い闇から戻ってきて、最初に目を開けた時、そこにいるのが私でありたいんだ。……彼女が独りじゃないと、真っ先に伝えたい」


 レオンハルトの瞳には、かつてないほど強い決意と、もはや忠誠心だけでは説明のつかない、烈烈たる愛しさが宿っていた。

 その時。

 マリエールの長い睫毛が、微かに、本当に微かに震えたのを、彼は見逃さなかった。















【秘められた万歳 ―― ヴァンス市民の独白】


 見ろよ、あのアホみたいに高いバルコニーで、エミリの奴が必死に聖女の真似事をしてやがる。

 マリエール様に憧れて、暇さえありゃその仕草や口調を真似てた貧民街のお転婆娘が、今は街中の涙を誘う『聖女』を完璧に演じてやがるんだ。


 ああ、分かってるさ。

 あそこに立っているのが、近所の飯屋の娘だってことくらい、この街の人間なら誰だって気づいてる。

 あの独特の歩き方、あの少しだけ震える指先……見間違えるはずがねえ。


 だけどよ、誰も口にはしねえんだ。

 隣の街から来た商人が「本物か?」なんて首を傾げようもんなら、俺たちが全力で笑い飛ばして、そいつの声をかき消してやる。


 だってよ……あの本物の『聖女』は、俺たちのために命を削っちまったんだ。

 俺たちがハルガルドの犬どもに怯えなくて済むように、自分の寿命を燃やして城壁をぶっ壊してくれたんだ。

 今、あの離宮の奥で、彼女が誰にも邪魔されずに、ただの女の子として眠れる時間を守れるのは、エミリの命がけの演技と、俺たちのこの『嘘』だけなんだ。


 だから、俺は叫ぶぜ。

 喉が枯れて、血が混じっても最高に熱烈な『万歳』をな。

 これはエミリへの応援なんかじゃない。

 その影で眠る本物のマリエール様に、「ここはもう安全だよ」「ゆっくり休んでいいんだよ」って届けるための、ヴァンスの街全員が共犯者になった、愛の合言葉なんだからな。

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