表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/78

第29話 初恋

 神都市アルシエルの奪還から一夜が明けた。

 かつての惨状が嘘のように、街には活気が戻りつつある。

 昨夜の激戦で、獅子奮迅の働きを見せたのは、第一軍団長レオンハルト・ド・ロランジュであった。

 彼は公爵家の長男という、本来ならば王宮の奥で優雅に詩でも詠んでいるはずの、輝かしい身分の持ち主である。

 父の口利きで若くして将軍の座に就いたと陰口を叩く者もいたが、その実力は本物だった。


 戦場での彼は、まさに「鋼の舞踏手」だ。

 重厚な鎧に身を固めた騎士たちの中で、彼は細身の片手剣を左右の手に一本ずつ構え、二刀を同時に操る。

 敵の攻撃を紙一重でかわし、その隙を縫うようにして銀光を走らせる。

 その舞うような剣技は、残酷なまでに美しく、見る者を圧倒せずにはおかなかった。


 マリエールは、戦後処理の最中、彼が返り血を浴びたままの姿で、瓦礫の中から救い出されたばかりの幼子に歩み寄る姿を、遠くから静かに見つめていた。

 レオンハルトは、剣を振るっていた時の鋭利な気配を魔法のように消し去ると、怯える子供の目線に合わせて膝をついた。

 そして、大きな手で優しく頭を撫で、太陽のように爽やかな笑みを浮かべたのである。


(……不思議。彼を見ていると、胸の奥が、締め付けられるように熱くなる……)


 前世の自分にとって、「愛」や「恋」といった感情は、権力を維持し、他人を操るための安っぽい道具に過ぎなかった。

 けれど、十四歳の少女として純粋な生をやり直している今のマリエールにとって、レオンハルトが放つ清廉さは、直視できないほどに眩しかった。

 それは、暗闇を知り尽くした者だけが感じる、光への恐れと憧憬が入り混じった、制御不能な熱だったのだ。


 翌日の夜。

 教皇庁の広間では、奪還に貢献した将軍たちが集まり、簡素ながらも温かな祝勝の晩餐が開かれた。

 豪華な宮廷料理ではない。

 けれど、民が差し出してくれた干し肉やワインを囲むその場には、かつての孤独な晩餐にはなかった「ぬくもり」が満ちていた。


「マリエール様、こちらへ。この席が一番、夜風が心地よいですよ」


 迷うマリエールに、自然な所作でエスコートの声をかけたのは、レオンハルトだった。

 彼が微笑みを湛えながらマリエールの隣の席に座った瞬間。

 マリエールの白い頬は、まるで熟した林檎のように、瞬時に鮮やかな赤に染まった。


(落ち着いて、私。……しっかりしなさい。私は聖女なの。すべてを導く、神の剣でなければならないのよ……!)


 心臓が耳のすぐ横で早鐘を打っている。

 マリエールは必死に冷静を装い、震える手をごまかすようにしてスープに視線を落とした。

 しかし、すぐ隣に座る彼の肩が触れそうなほど近くにある。

 彼が復興の計画や、剣術の理論について爽やかに、けれど熱っぽく語りかけるたび、彼女の鼓動は制御を失って加速していくばかりだ。


「マリエール様、本日は一日、街の民のために奔走されましたから、お疲れでしょう。この果実酒を少しだけ……。疲れがよく取れますよ」


 レオンハルトが気遣うようにグラスを差し出した。

 その指先が、マリエールの手に触れそうになった瞬間。

 彼女は自分でも驚くほど大きく、肩をビクンと震わせてしまった。


 その様子を、テーブルの向かい側で見ていた騎士団長ガストンと、第五軍団将軍アンリは、絶句して持っていたフォークを皿の上に落としそうになった。


「……ま、まさか……」


 ガストンの顔から、まるで魂が抜けたように血の気が引いていく。

「あ、あのレオンハルトの若造に……。マリエール様が、あんな……守ってやりたくなるような、年相応の女子おなごのような顔をなさるなんて……」


「……これは、歴史的な大事件ですよ、ガストン殿。マリエール様の鉄壁のガードを、あんな爽やかさだけでこじ開けるとは」


 アンリもまた、深刻な表情でワインをあおり、現実逃避するように溜息をついた。

 クロヴィス王子からの熱烈な、けれど身勝手なプロポーズにはあんなに毅然としていた聖女が。

 戦場では冷徹な判断を下す軍師でもあった彼女が。

 新参の若手将軍を前にして、自分では制御できないほど「恋する乙女」の顔を見せているのだから。


「……レオンハルト様、昨日の二刀流。……その、遠目から拝見していましたが、とても、見事でした」


 マリエールは、蚊の鳴くような、自分でも信じられないほど小さな声で伝えた。

 すると、レオンハルトは子供のように目を輝かせた。


「光栄です、マリエール様! 貴女の鋭い審美眼に、私の剣が叶ったのであれば、これに勝る名誉はありません。誓いましょう。貴女が歩む修羅の道に、私の二本の剣が、常に光を添え、露払いをいたしましょう」


 混じり気のない、あまりに真っ直ぐな献身の言葉。

 マリエールは、ついに顔を上げることができなくなった。


 前世の火刑台で、灰と共にすべてを失ったはずの心。

 それを今、再び埋めていくのは、奇跡のような神の力でも、頭上に頂く黄金の王冠でもなかった。

 ただ隣に座る、この眩しいほどに清らかな青年の微かな体温と、その声。


(だめよ……。私はまだ、戦わなければならない。過去の精算も終わっていないのに。……でも、もう少しだけ。あと少しだけ、こうして隣にいたいと思ってしまう……)


 マリエールの心は、救い出した民たちの歓喜の声と、自分の中に芽生えたばかりの、小さな、けれどズキリと痛む初恋の熱で、激しく揺れ動いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ