第28話 奪還
14:00、神都市アルシエルの検問所。
そこは今、腐敗しきった敵兵たちの下品な笑い声と、排泄物の臭いが混じり合う不浄の場と化していた。
薄汚れた農婦や物売りの娘に変装した女性選抜兵たちは、市中へ入るべく列を作り、静かにその時を待つ。
「ほう、なかなかのべっぴんじゃねえか。俺と遊ばねぇか?」
敵兵の一人が、下卑た笑いを浮かべながら第二隊長イザベルの腰に執拗に手を回し、乱暴に引き寄せた。
イザベルの指先が、服の下に隠した短剣の柄に触れる。
だが、彼女は奥歯を噛み締め、必死に自分を律した。
隣に並ぶソフィアもまた、敵兵に肩を抱かれ、耳元で卑猥な言葉を囁かれている。
その冷徹な瞳の奥で、殺意の火花が散った。
(今ではない。今ここで斬れば作戦は失敗し、この街の何千もの女性たちが再び地獄に落とされる……!)
彼女たちは数時間にわたり、吐き気を催すような屈辱を耐え抜いた。
二人がかりで強引に詰め所に連れ込まれそうになった際のみ、闇に引き込み、音もなくその息の根を止める。
そうして彼女たちは死の舞踏を踊るように静かに、しかし確実に市街地へと紛れ込んでいった。
22:00、夜の帳が下り、神都市が深い静寂に包まれる。
潜入に成功していたイザベル率いる選抜兵たちは、手薄な商人用の通用扉を守る衛兵を背後から仕留め、重いかんぬきを外した。
「……合図を」
ソフィアが小さく口笛を鳴らすと、闇の中から第二軍団が滑り込むように入城する。
入城後、彼女たちはすぐさま扉の駆動部を破壊し、二度と開閉できぬよう通行不能の処置を施した。
これで街の北東の防備は、内側から完全に沈黙したのである。
22:15、同じ頃。正面の「太陽の門」の前に一筋の白い影が現れた。
愛馬を全速力で駆るマリエールの姿は夜闇に溶け、敵の物見櫓からは視認することさえ叶わない。
「……すべてを、終わらせる」
マリエールは月光を吸い込んで青白く輝くウリエルの剣を、馬上から真横に一閃した。
――刹那。
鼓膜を突き破るような轟音と共に、巨大な正門とそれを取り囲む城壁が、あたかも巨大な刃で撫でられたかのようにズタズタに切り裂かれた。
崩落は連鎖し、敵が「不沈」と誇った防壁は、わずか数秒で堀を埋め尽くす瓦礫の山へと変わり果てたのである。
「突撃! マリエール様の道を切り拓けッ!!」
団長ガストンの咆哮が響き、聖女騎士団が瓦礫を乗り越え、真っ先に街の中枢へと駆け出した。
22:30、マリエールの指示により、重装歩兵団である第六軍団が城塞外縁部と主要な物見櫓を制圧。
そこへ第七将軍シルヴァン率いる狙撃軍団が展開した。
「篝火を消すな! 奴らを火の周りに釘付けにしろ!」
シルヴァンの命令で、弓の名手たちは篝火に照らされて右往左往する敵兵を、闇の中から次々と射抜いていく。
篝火の照らす先、即座に矢が頭部を貫いた。
姿の見えぬ狙撃手に、敵は恐怖のあまりその場から動くことすらできなくなった。
同時に女性選抜兵たちは第六軍団と合流。
城壁のすべての閂と開閉設備を破壊し、敵が防衛網を再構築する可能性を完全にゼロへと封じ込めた。
リュカ率いる第一隊とノア率いる第三隊が教皇庁にたどり着いた時には、すでに敵軍は混乱し、恐慌の極みにあった。
「逃がさんと言ったはずだ、大ネズミども!」
正門から命からがら逃げ出そうとした敵兵たちの前に、第一軍団将軍レオンハルトと第五軍団アンリが立ち塞がった。
レオンハルトはマリエールがその身を削って放った一撃を目の当たりにし、猛烈な怒りと忠誠心に燃えていた。
「マリエール様に剣を振らせたこと、死を以て償え!」
レオンハルトらは敵を正面扉において半包囲し、徹底的に叩き潰した。
必死の抵抗を見せる者は離散させ、あえて荒野へと流す。
拠点を失った彼らが、食糧も持たず遠い本国へ辿り着く術はない。
午前2時、教皇庁の中庭。
戦いは終わり、街には解放を喜ぶ勝利の歓声が響き渡っていた。
マリエールは、天使の鎧を返り血で汚したまま、壁にもたれて深く肩で息をしていた。
「……マリエール様!」
屈辱の潜入任務を完遂したイザベルが駆け寄り、彼女の細い肩を抱き寄せた。
「街の制圧、終わりました。……やり遂げましたよ」
マリエールは力なく微笑み、震える指でイザベルの汚れた頬にそっと手を触れた。
「ごめんなさい……。あなたたちの誇りを傷つけるような真似をさせて。怖かったでしょうね。気持ち悪かったでしょうね……」
「……っ、そんなこと……!」
イザベルの目から大粒の涙が溢れた。
敵に触られたことへの屈辱よりも、それを自分のことのように傷つき、謝ってくれるマリエールの優しさが、彼女たちの心を芯から救ったのだ。
マリエールの心の声が、静かに響く。
(前世の私は、この場所で『女王』になった。……けれど今世の私は、『女王』になってはいけない。この温かさを、二度と手放さないために)




