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第23話 開放される占領地

「……私は、数日も眠っていたのですか?」


 天幕の隙間から差し込む柔らかな陽光に目を細め、マリエールはゆっくりと身を起こしました。 

 まだ重みの残る体に戸惑いながら、彼女は傍らに控える面々を見渡します。

 そこには、第一将軍ガストンをはじめとする猛将たちが、まるで叱られた子供のように肩をすぼめ、恐縮した様子で畳に膝をついていました。


「お、お嬢様……。勝手に進軍を止め、全軍に休息を命じた不敬、いかような罰もお受けいたします。ですが、あのような透き通るようなお顔色で眠り続ける貴女を、無理に揺り起こすことなど……このガストン、死んでもできませなんだ!」


 ガストンが床に額を擦り付けんばかりに頭を下げると、他の将軍たちも一斉にそれに続きました。


「数日の遅れなど、我らがこの命に代えても取り戻してみせます。マリエール様には、ただ健やかであっていただきたい……。それが我ら全兵士の、偽らざる願いなのです」


 マリエールは一瞬、戦況への焦りから瞳を揺らしました。シエル・ド・メールの民が苦しんでいるはずだと、唇を噛みかけました。

 けれど、目の前の男たちの節くれ立った手が、彼女の体を案じて微かに震えているのを見て、彼女の心に温かな波が寄せました。

 マリエールは、かつての「冷徹な仮面」ではなく、心からの柔らかな微笑を浮かべたのです。


「……責めたりしません。ありがとうございます。皆さんの優しさのおかげで、少し、体が軽くなりました」


 その言葉は、将軍たちの魂を文字通り震わせました。

 彼女が義務感からではなく、自分たちの献身を受け入れ、報いてくれた。

 その事実に、彼らの忠誠心はもはや狂気にも似た熱量へと昇華していったのです。


 その頃、海上要塞都市『シエル・ド・メール』を半包囲していたハルガルド帝国の主力部隊は、不気味なほどの静寂に包まれる戦場に首を傾げていました。


「南の『ヴァル・ド・ネージュ』、東の『ポルト・オリエント』……。どちらからの連絡も途絶えた。合流が遅すぎる。一体、何が起きているのだ?」


 本陣で焦燥に駆られる敵総司令官。

 彼らが背後に得体の知れない不安を抱き始めた、まさにその瞬間でした。

 青い海原の彼方から、絶望が牙を剥いて飛び出してきたのです。


 まず動いたのは、北側の海域を密かに制圧していた第四将軍ジャンの海軍でした。

「マリエール様が目覚められたぞ! 眠りを邪魔した鼠共に、地獄の鐘の音を聞かせてやれ! 撃てッ!!」


 怒号と共に放たれた艦砲射撃が、海を割り、敵の北辺陣地を凄まじい火柱と共に叩き潰しました。

 大地が震え、敵軍がパニックに陥る中、南側の街道を迂回して伏せていた主力部隊の先頭で、ガストンが斧槍を高く掲げました。


「今だ! 聖女様の道を切り拓け! 全軍突撃ッ!!」


 海からの砲声を合図に、王国軍は文字通り「飢えた狼」の如き勢いで敵の背後へと食らいつきました。

 つい先ほどまで「要塞をいつ落とすか、略奪は何から始めるか」とヘラヘラ笑っていた敵兵たちは、真後ろから突如として現れた鋼鉄の津波に、悲鳴を上げることさえ忘れて凍りつきました。


 マリエールが描いた戦術は、残酷なまでに正確でした。

 真っ先に狙われたのは、兵たちの心の拠り所である兵舎と、生命線である輜重部隊。

 瞬く間に戦場は真っ赤な火柱と、視界を奪う黒煙に包まれます。

 逃げ惑う敵兵たちが味方を踏みつけ、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がる中、混乱の極致に達した敵本陣へ、一筋の「白い閃光」が奔りました。


 愛馬を駆り、戦場を滑るように進む影。

 天使の羽を模した白革の鎧が、煙の中でも神々しく輝いています。


「……チェックメイトです」


 敵総司令官が剣を抜く暇さえありませんでした。

 マリエールが振るったウリエルの剣は、その存在自体が光の意志であるかのように、神速の軌跡を描いて敵将の首を撥ね飛ばした。


「敵総司令官は、このマリエールが討ち取りました! 命が惜しければ、即座に武器を捨てて降伏なさい!」


 戦場に響き渡ったのは、鈴を転がすような、あまりにも可憐で愛らしい少女の声。

 けれど、そこには一国の命運を背負う者特有の、峻烈な威厳が満ちていました。

 そのあまりに不釣り合いな光景に、一瞬、敵兵たちの手が止まります。

 けれど、彼女の隙を突こうと近づける者は、一人としていませんでした。


 なぜならマリエールの周囲には、ガストンをはじめとする将軍たちが、文字通り「血に飢えた鬼」の形相で立ち塞がっていたからです。


「マリエール様に指一本、髪の毛一筋でも触れさせてみろ! 汚らわしい鼠共め、塵一つ残さず磨り潰してくれるわ!」


 ガストンの斧槍が空を切るたび、敵の隊列は肉塊となって四散し、道が作られていきます。

 ロランの剣は正確に敵の急所を貫き、アンリの刺突は芸術的な速さで敵の心を折り続ける。

 聖女を守るという至上の使命に燃える彼らの武勇は、もはや人の限界を超えた領域に達していました。


 総司令官を失い、背後の糧道を焼かれ、目の前には神の如き力を持つ聖女と、彼女を信奉する鬼神の将軍たち。

 敵軍はもはや軍隊の体をなさず、雪崩を打って崩壊していきました。

 ついに、長く固く閉ざされていた『シエル・ド・メール』の重厚な正門が、内側から勢いよく開かれました。


「解放だ! 聖女様だ! マリエール様が来てくださったぞ!」


 街の中から湧き上がる、地鳴りのような大歓声。

 民衆が涙を流して門に駆け寄ります。

 マリエールは、白革の籠手に付着した返り血を拭う間もなく、開かれた門の向こうに広がる、どこまでも深く青い海を見つめました。

 潮の香りが、戦場の焦げ臭さを洗い流していく。


(……守れた。今度は、失わずに済んだのね)


 前世では火の海に沈み、略奪の限りを尽くされたこの美しい港町。

 それを今、彼女は自らの知恵と、そして彼女の「命」を愛し、寄り添ってくれる騎士たちの手で、確かに守り抜いたのです。

 マリエールは、背後に立つピエールの静かなすすり泣きを聞きながら、勝利の味を初めて、その胸の奥深くで噛み締めていたのでした。

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