第21話 マリエールの胸の内
占領したばかりの『ヴァル・ド・ネージュ』砦の中庭。
石造りの壁に囲まれた中央では、巨大な焚き火がパチパチとはぜる音を立て、夜の静寂を賑やかに彩っていました。
その赤々と燃える炎に照らされているのは、本来ならば一国の軍事機密を握る最高位の将軍たち。
けれど今、彼らの関心はもはや明日の戦略などではなく、円陣の中央に座る一人の少女にのみ、全神経が注がれていたのです。
「マリエール様、スープのおかわりはいかがですか? 猪肉の脂がほどよく溶け出しております。私の部下が、お嬢様のためにと森の奥まで追い回して仕留めた自慢の一品ですぞ!」
第一将軍ガストンが、その熊のような巨体に似合わぬ細やかさで、湯気の立つ木のお椀を捧げ持つように差し出します。
その目は、獲物を狙う猛将のそれではなく、お気に入りの孫娘を慈しむ好々爺のようでした。
「何を言うかガストン。戦場帰りの胃に、そんな脂っこいものは毒だ。マリエール様は肉より果実を好まれる。……ほら、マリエール様。この干し果実の蜂蜜漬けをどうぞ。南方の特産で、疲れによく効くと貴婦人たちの間でも評判なのです」
第五将軍アンリが、洗練された騎士らしい優雅な仕草で、宝石のように輝く小皿を差し出しました。
第三将軍ロランは、少し離れた風上に陣取り、夜の冷たい隙間風がマリエールの背中を打たぬよう、己の巨大な背を壁にして立っています。
第四将軍ジャンにいたっては、広げた地図を隠れ蓑にしながらも、彼女が一口スープを運ぶたびに、まるで国家の重大事を見守るかのようにその顔色を伺っていたのです。
「しかし……あの一振りには、正直なところ、このガストンも腰が抜けましたぞ」
皆にスープが行き渡った頃、ガストンが焚き火の爆ぜる火の粉を見つめながら、しみじみと独り言のように呟きました。
「あの堅牢な石壁が、まるで冬の枯れ枝のように鮮やかに切り裂かれるとは。……俺たちが今まで信じて、命を懸けてきた『戦』とは一体何だったのかと、柄にもなく考えてしまいましたよ」
「全くだ。力で押し込み、血を流して奪い取るのが兵法の常道だと思っていたからな。……だが、俺は救われた気持ちだよ」
ロランが低く、重厚な声を響かせました。
彼の視線は、捕虜となった敵兵たちが静かに配給を受けている一画に向けられています。
「自軍の兵を死なせず、敵すらも可能な限り生かして降伏させる。……マリエール様の戦いには、血の臭いではなく、夜明けのような清々しさがある。武人として、これほど誇らしい行軍はない」
彼らの瞳には、かつてのような「武勲への飢え」や「他者を蹴落とす野心」など、微塵も残ってはいませんでした。
ただ、この幼くも峻烈な少女が切り拓こうとしている「新しい世界」への、純粋な期待と、それに殉じようとする狂おしいほどの忠誠心が宿っていたのです。
マリエールは、将軍たちの賑やかなやり取りを穏やかな微笑を湛えて見つめながら、膝の上で自分の手を見つめていました。
その白く細い指先は、戦場の土に汚れ、焚き火の熱を吸収して仄かに赤らんでいます。
(……温かい。焚き火の火が、これほどまでに心地よいなんて。知らなかったわ)
彼女の脳裏には、思い出したくもない前世の記憶が、毒のように、けれど今となっては淡い影のように浮かび上がります。
(あの時は、誰からも囲まれていなかった。……王宮の冷たい寝台で、次は誰から何を奪おうか、誰に裏切られる前に消してしまおうか、そんなことばかり考えていた。……今、こうして私のために猪を狩り、私の疲れを案じて、寒くないようにと背中を貸してくれる人たちがいる。……たとえこれが、私自身の魂ではなく、宿した神の力への心酔だったとしても……)
マリエールは、自分の胸の奥で、氷が溶けるような小さな音を聞いた気がしました。
(……今は、この温もりが、私の震えを止めてくれる。この『偽りの聖女』としての役割を全うするための、唯一の薪になってくれる)
ふと視線を外せば、少し離れた暗がりで、自分の寝床となる場所に何度も毛布を重ね、シワを伸ばしている老ピエールの姿がありました。
甲斐甲斐しく、けれどどこか誇らしげに働くその背中を見た瞬間、マリエールの胸の奥が締め付けられるような鋭い痛みに襲われたのです。
(ごめんなさい、ピエール。あなたがずっと、前世のあの日も、私に与え続けてくれていた本当の温かさに……私は、死ぬその瞬間まで気づけなかった。……今世の私は、もう間違えない。この火を絶やさないわ。この温かな輪を、まずはこのキャンプから、そして王国中に広げてみせる。それが、前世の。あなたへのせめてもの罪滅ぼしになるなら)
「マリエール様、そろそろお休みください。夜風は体に毒です。明日は東の砦への強行軍。貴女の健やかなお姿こそが、我ら全軍の士気そのものですから」
ロランが、まるで壊れ物を扱うような優しさで休息を促しました。
「ええ。……皆さん、ありがとうございます。今夜は、とてもいい夢が見られそうです」
マリエールがゆっくりと立ち上がると、談笑していた将軍たちが一斉に、示し合わせたかのように背筋を伸ばしました。
カチャリ、と鎧の鳴る音が夜の空気の中で重なり、彼らは揃って最敬礼を送ったのです。
焚き火の残光が、彼らの忠誠に満ちた瞳を、揺るぎない黄金色に染め上げていました。
それは、恋慕というにはあまりにも重く、信仰というにはあまりにも人間臭い、一つの巨大な「情熱」が燃え上がった夜であったのです。




