第17話 暗殺
深夜、静寂が支配する離宮の一角。
蒼白な月明かりが、石造りの回廊に冷たい影を落としていた。
その静寂を裂くことなく、庭園の木々の間に四つの影が音もなく溶け込んでいた。
彼らは、減税によって甘い汁を吸えなくなった汚職貴族たちが、莫大な報奨金で雇い入れた熟練の暗殺者たちであった。
その手には、かすり傷一つで巨象をも絶命させる猛毒が塗布された、月光を反射せぬよう黒く焼き入れられた短剣が握られていた。
「……標的は奥の寝室だ。鼠一匹、鳴かせるな。一人残らず消せ」
リーダー格の男が短く、冷徹な合図を送る。
二人が外壁の影に潜んで周囲を警戒し、残る二人が卓越した身体能力で窓枠を掴むと、滑り込むようにしてマリエールの私室内へと侵入を果たした。
暗殺者が息を殺し、マリエールの寝所を覆う天蓋のカーテンに指をかけた、まさにその瞬間であった。
「――鼠が迷い込んだようだな。それも、ひどく薄汚れたドブ鼠が」
闇の奥底から、低く、地響きのように重厚な声が響いた。
驚愕した暗殺者が跳ねるように振り返ると、そこには夜の間も決して武装を解くことのなかった第一将軍ガストンの姿があった。
マリエールの圧倒的な神威に心酔し、自らを「聖女の第一の盾」と任じた彼は、主君への忠誠を誓ったその夜から、彼女の寝所の扉の前という目立つ場所ではなく、あえて侵入経路となる闇の中に潜んでいた。
百戦錬磨の武人としての勘が、腐敗した王都の毒が聖女を狙うであろうことを予見していたのだ。
「な、貴様……なぜここにいる! 報告では、将軍たちは自邸へ戻ったはず……っ!」
暗殺者が狼狽を隠せぬまま、死の毒を帯びた短剣を突き出した。
しかし、巨躯に似合わぬガストンの動きは、獲物を仕留める猛禽の如く一瞬であった。
「聖女様の清らかな眠りを妨げる不届き者め。その命、塵となって償え!」
ガストンは、あえて得物である巨大な斧槍を振るうことさえしなかった。
鋼のような太い腕を伸ばし、襲いかかる暗殺者の手首を鷲掴みにする。
広間にミシミシと骨の砕ける不吉な音が響き、男は叫ぶ暇もなくねじ伏せられた。
もう一人が放った必死の投剣も、ガストンが新調したばかりの白銀の籠手によって、羽虫を払うかのように容易く弾き飛ばされた。
「窓の外の二名も、すでに私の部下が片付けている。貴様らに明日はない」
窓の外を見れば、ガストンの合図で密かに伏せていた彼の直属部隊が、外壁の監視役を瞬く間に制圧し、捕縛していた。
ガストンの瞳には、マリエールに向けられた卑劣な毒に対する、静かだが激しい怒りが炎となって燃え上がっていた。
翌朝、冷たい朝露に濡れた捕虜たちの持ち物から、ある忌まわしい紋章が刻印された密書が発見された。
それは、聖女による改革で私腹を肥やせなくなった保守派貴族の筆頭、ド・ヴァラン伯爵からの直接的な暗殺指令書であった。
「……私のマリエール様に、このような、虫唾の走るような卑劣な真似を……」
報告を受けたクロヴィス王子の顔からは、かつての穏やかで公明正大な表情が完全に消え去っていた。
その手に握られた書簡は、怒りによる凄まじい握力でミシミシと音を立てて歪み、千切れていく。
「ド・ヴァラン伯爵……。お前たちは、ただの一人の少女を狙ったのではない。この国のようやく芽吹いた『希望』を、そして私の『魂』を汚そうとしたのだ」
王子の瞳には、これまでになかった昏い情熱と、絶対的な断罪の意志が宿っていた。
「一人残らず、その報いを受けさせてやる。この王都に潜む毒を、根こそぎにしてくれる」
クロヴィスは即座に親衛隊を動かし、全権を掌握した冷徹な守護者として、王都中の汚職貴族の一斉摘発と一掃を命じた。
それは、聖女への淡い恋心が、彼女を傷つけるあらゆるものを排除しようとする、苛烈な執着と守護の意志へと変貌した瞬間でもあった。
聖女を守るためなら、王子は自らの手を血に染めることさえ厭わぬ「王」へと覚醒したのである。




