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第16話 社交界の冷涼な華

 祝宴の喧騒が最高潮に達した頃、マリエールが広間に姿を現すと、会場の視線はまるで磁石に引き寄せられる鉄屑のように一点へと集中しました。

 その場を支配していた音楽や笑い声さえもが、彼女の纏う静謐な空気によって一瞬にして掻き消される。


 彼女を「偶然に奇跡を起こしただけの田舎娘」と侮り、あわよくば恥をかかせてやろうと目論む貴族たちは、獲物を狙う鷹のような眼差しを向けていました。

 彼らは、マリエールをダンスに誘い出し、宮廷の複雑なステップを踏めずに立ち往生する彼女の無作法を、明日の社交界の格好の笑いものにしようと待ち構えていたのです。

 しかし、幾人もの放蕩貴族たちが差し出す誘いの手に対し、マリエールは完璧な角度と優雅さを備えたカーテシーと共に、静かに、そして拒絶の意思を込めて告げた。


「お誘いは光栄ですが、私は礼節の欠片も知らぬ卑しき田舎娘。この素晴らしい、高貴な宴を私の無知で汚してはなりません。どうか、ご容赦を」


 その言葉とは裏腹に、彼女の所作は王妃の如き気品に満ちていたのです。

 事実、前世の記憶を持つ彼女は、王宮で最も美しく、そして誰よりも優雅に舞うことのできる舞踏の名手であったのだ。

 けれど、ステップを踏むたびに浮かれ、称賛の言葉に魂を売っていったかつての自分。

 その果てに待っていた火刑台の熱さを思い出すたび、彼女はあえて冷たく、何者も寄せ付けぬ凛とした「聖女の仮面」を深く被り直すのであった。


 宴が中盤に差し掛かり、月が天頂に昇ろうとする頃、クロヴィス王子が数人の従者に命じ、巨大な漆塗りの長持を運ばせてきた。

 その重々しい存在感に、広間の貴族たちが何事かと固唾を呑んで見守ります。


「マリエール様、貴女にこれを受け取っていただきたい。……今の貴女にこそ相応しい、王家の宝物庫から選び抜いた装束です」


 王子の手によって開かれた箱の中から現れたのは、これまでのどんな煌びやかなドレスよりも美しく、そしてどんな武具よりも猛々しい「天使の革鎧」であった。

 最高級の白革をベースにしたその鎧は、真珠のような光沢を放ち、肩当てや籠手には細緻なシルバーの彫金で、重なり合う天使の羽が刻み込まれている。

 特に背中から腰にかけてのラインには、今にも飛び立ちそうな翼のモチーフが折り重なり、まさに神の使いに相応しい神々しさを放っていたのです。

 戦場での苛烈な実用性を損なうことなく、それでいて少女としての美しさを最大限に引き立てる、至高の逸品であった。


「……これ、私に?」


 驚きに目を見開き、マリエールは自らの指先をその白革に這わせました。

 戦士としての実用を重んじつつも、自分の華奢な体躯に配慮し、なおかつ少女としての心を蔑ろにしない王子の繊細な気遣い。

 その温もりが、頑なだった彼女の心を微かに解きほぐした。

 マリエールの瞳に、今日初めて聖女の仮面ではない温かな光が宿ります。

 彼女は思わず、その冷たい銀の羽を指先で慈しむようになぞり、ふっと夜の闇に大輪の花が開くような、無垢で鮮烈な笑顔を浮かべた。


「嬉しい……。ありがとうございます、王子。これならば、私はどこまででも行けそうです」


 その瞬間、クロヴィス王子の鼓動は、戦場の太鼓よりも激しく跳ねた。

 氷のように冷徹な聖女ではなく、年相応の少女が不意に見せた、曇りのない輝かしい微笑。

 彼はその時、自分が抱いている感情が、もはや神への敬愛や救世主への感謝などではなく、一人の女性への抗いようのない、破滅的なまでに深い恋であることを決定的に自覚したのです。


 その至近距離の笑顔に射抜かれたのは、王子一人ではなかった。

 壁際に立ち、護衛として彼女を遠巻きに見守っていた将軍たちもまた、その凄絶なまでの美しさに言葉を失い、息を呑みました。


(……なんという、清らかな笑顔だ。戦場の血を忘れさせるほどに眩しい)

(私のような、返り血で汚れた荒くれ者には、あまりにも尊すぎる光だ)


 ガストンやマキシムたちは、自らの節くれ立った手を見つめ、彼女との絶望的な年齢差と身分の違いを思い知らされた。

 彼らは沸き上がった淡い恋慕を、瞬時にして心の最深部へと、誰にも知られぬよう封じ込めました。

 けれど、その行き場を失い報われない恋慕は、より深く、より強固な、騎士としての苛烈な忠誠心へと姿を変えていったのです。


「この笑顔を、二度と失わせてはならない。そのためなら、この命、いつどこで使い捨てても構わない」


 彼らの背筋はさらに鉄の如く伸び、マリエールを守る不落の盾としての覚悟が、王都の静謐な夜に深く、静かに刻み込まれた。

 彼女の笑顔一つを守るために、彼らは今、本当の意味で彼女の「剣」となったのである。

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