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第15話 伝説の始まり

 王都カストル・ノワールの巨大な城門が重々しく開かれた瞬間、視界は狂乱にも似た色彩に埋め尽くされました。

 民衆が握りしめていた色鮮やかな花びらが一斉に放たれ、冬の終わりの空を春の先触れのように彩っていく。


「マリエール様! 救世主マリエール様!!」


 地鳴りのような歓声が石造りの街並みに反響し、大気を震わせる中、マリエールは静かに歩を進めた。

 王家が威信を懸けて用意した、黄金の装飾が眩い天蓋付きの馬車。

 それは彼女の背後で空虚な輝きを放つのみである。

 彼女はそれを一顧だにせず、土の匂いと戦場の煤が染み付いた革鎧を纏ったまま、一歩一歩、自らの足で大地を踏みしめていく。

 その姿は、着飾ったどの貴婦人よりも神々しく映ったのです。


 凛とした横顔は、神話の深奥から抜け出してきた女神の如き静謐さを湛えていた。

 朝陽を浴びて輝く金髪は聖光を纏い、サファイアブルーの瞳は朝露を湛えた宝石のように深く、澄み切っている。

 民衆はその神々しさに打たれ、ある者は涙を流し、ある者は祈るように手を合わせた。


 アルベール王はマリエールの提示した条件を「神託」として全面的に受け入れ、即座に税制の抜本的な改革を断行した。


 減税の報せが瞬く間に国中を駆け抜けると、彼女への支持はもはや単なる人気を超え、揺るぎない「信仰」へと昇華していったのです。


「……信じられないほど、美しい」


 凱旋する彼女の斜め後ろ、愛馬を駆るクロヴィス王子は、熱に浮かされたように独り言を呟いた。

 敵陣へ単騎で突撃し、千の敵を光の露と消した恐るべき少女。

 だが、今の彼女は、己を神と崇める狂熱的な群衆を前にしても、決して溺れることも慢心することもない。

 ただ遠く、誰にも見えぬ地平の先を見つめている。


 かつては国を救うための便利な「道具」として彼女を見ていたクロヴィスの胸に、鋭く、それでいて甘美な痛みが走った。

 それは、聖女という偶像に向けてはならない、一人の少女へのひたむきな、それでいてあまりにも無防備な恋心であった。


(マリエール様、貴女が抱えるその孤独な瞳の理由を、私だけが知りたい。そして、私だけが貴女をこの世界の汚れから守り抜きたい……)


 王子の瞳には、王族としての義務感とは全く異なる、一個の男としての激しい情熱が宿り始めていた。

 それは、運命が静かに狂い始めた合図でもあったのです。


 一方、堅苦しい規律に縛られていたはずの王城会議室は、かつての重苦しい空気が嘘のような、奇妙な熱気に包まれていた。

 つい先日までマリエールを「泥臭い田舎娘」と鼻であしらっていた七人の将軍たちが、今はまるで手柄を競う少年のような顔をして、互いを罵り合っていたのである。


「控えよ、エティエンヌ! 貴公のような優男がマリエール様の傍にいては、神聖な空気が濁るというものだ。この最強の斧槍を持つ私こそが、その盾となるに相応しい!」


 北方の荒鷲と恐れられるガストン将軍が、新調したばかりの白銀の鎧を激しく鳴らして叫ぶ。

 対して、西方の策士・エティエンヌは、優雅に髪をかき上げながら、毒を含んだ微笑を浮かべた。


「力自慢は野蛮ですよ、ガストン殿。マリエール様の深遠なる知性を支え、その言葉の真意を汲み取れるのは、この私をおいて他にいないでしょう」


 彼らの忠誠心は、すでに騎士としての「義務」を通り越し、圧倒的な武力と峻烈な美しさに魅せられた狂信的な心酔へと進化していた。

 「誰がマリエール付きの護衛将軍という栄誉を手にするか」――それは歴戦の猛者たちにとって、今やどんな広大な領地よりも手に入れたい、人生最高の栄誉と化していたのです。

 彼らもまた、彼女という光に焼かれた犠牲者なのかもしれません。


 その喧騒から遠く離れた離宮の一角。

 静寂が支配する部屋で、マリエールは姿見の前に立っていた。

 老従者ピエールが、皺の刻まれた手で慣れない手つきをしながら、革鎧の堅いベルトを一本ずつ解いていく。


「お嬢様……。皆さん、まるでお嬢様に魔法をかけられたみたいでございます。王子様も、将軍様たちも、あんなに目をキラキラさせて……。昔のお嬢様が見たら、さぞかし驚かれるでしょうね」


 ピエールの呑気で、しかし温かな言葉に、マリエールはふっと自嘲気味に口角を上げた。


(魔法、か……。なら、二度と解けないように、完璧に術をかけ続けなくてはね)


 彼女は、自分に向けられる熱狂も、王子からの狂おしい愛も、将軍たちの苛烈な忠誠も、すべてを等しく冷徹に観察していた。

 それらが、ほんの些細なきっかけで憎悪へと反転する、脆く壊れやすい硝子細工のようなものであることを、彼女は前世の死を以て知っている。


 鏡の中に映る、白く細い自分の首筋。

 そこにはもう、前世で自分を縛り、民の血を吸って輝いた重苦しい宝石の鎖はない。


「ピエール。私は……今度こそ、この身に宿る輝きを、私利私欲のためではなく、この国を真に救うための光に変えてみせる」


 サファイアブルーの瞳に、誰にも侵せぬ鋼の決意を秘め、彼女は王都の夜を見つめたのです。

 その眼差しは、自分を崇める者たちの愛憎をすべて飲み込み、なおも清廉に、そして孤独に輝き続けていた。

 今度こそ、誰にもその身を焼かせぬために。

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