第五話
車から食料を取ってきた、その夜。
昼間よりも明らかに穏やかになった風を、煉司は本を読みながら耳を傾けていた。
視線をずらせば、雪花も同じように本を読んでいる。
時折、ページをめくる小さな音だけが静かな室内に響く。
それがまた心地よかった。
そう、心地よいのだ。
煉司にとって、雪花と一緒に過ごしているこの時間が。
まるで、心にぽっかりと空いた穴が、塞がっていくかのようだ。
だが、いつまでもこのままでいられるわけがない。
終わりは必ずやってくる。
煉司はページをめくる手を止め、しばらく考え込んだあと、ぽつりと口を開いた。
「……なあ、氷室さん」
呼ばれて、雪花が顔を上げる。
「はい? なんですか?」
柔らかい微笑み。
それを見ると、胸の奥が揺らいでしまう気がして、煉司はわずかに視線を逸らす。
「今日、外に出た感じだと……天気はだいぶ落ち着いてきてる。明日か明後日には、山を降りられる、かもしれない」
言い切らなかったのは、無意識だった。
その言葉を聞いた瞬間、雪花が固まり、一拍遅れて小さく瞬きをした。
「……降りる、んですか?」
「ああ……氷室さんも、いつまでもここにいるわけにはいかないだろう?」
もっともらしいことを言えば、雪花の視線がゆっくりと伏せられた。
「……やっぱり、私はご迷惑でしたか?」
かすれた声に、煉司は思わず即座に否定する。
「まさか! そんなことはない。ただ」
「だったら、そんなに急がなくても、いいじゃないですか」
被せるように、雪花が言った。
その声はいつもより硬く、必死さを帯びている。
「まだ危ないです。天気が良くなったって言っても、また急に荒れるかもしれないじゃないですか。実際、今までも……」
雪花は立ち上がろうとして、ふらりと体を揺らした。
「……っ」
「氷室さん?」
とっさに声をかけると、雪花はテーブルに手をついて体を支える。
「だ、大丈夫です……」
彼女はそう言うが、顔色は明らかに悪く、唇から血の気が引いていた。
「……どこか痛むのか?」
「いえ……少し、めまいがしただけ……」
そう答えながらも、雪花の呼吸は浅く、指先もわずかに震えている。
「もう少し……ここにいましょう?」
雪花は必死な様子で煉司を見上げる。
「煉司さんが持ってきてくれたから、食料も十分にあります……だから、しばらく、二人で、ここで……」
言葉の途中で、雪花の体が大きく傾く。
煉司は慌てて立ち上がり、その体を支えた。
「おい、しっかりしろ!」
腕の中で、雪花は小さく身をすくめている。
触れた体は、驚くほど軽い。
「……ごめんなさい」
かすれた声で、雪花が呟く。
「大丈夫ですから……行かないで……」
「何を言ってる。大丈夫なわけがないだろ」
雪花は何か言いかけたが、そのまま目を伏せる。
長い睫毛が、わずかに震えていた。
「今日はもう休もう」
煉司はそう言って雪花を抱きかかえたまま、彼女が寝泊まりしている部屋へと連れて行く。
「ゆっくり、休んでくれ」
雪花は小さく頷いたが、その表情には安堵と、どこか怯えが混じっていた。
その様子から、煉司は目を離すことができない。
彼女が人間でないことは、彼の中では疑いようのないことになっていた。
そして、この吹雪も雪花が原因なのだと。
だが、決して恐怖から彼女を遠ざけようとしたわけではない。
むしろ、その逆。
離れがたいからこそ、距離をとろうとしたのだ。
彼女の目的が何であれ、自分を狙っているのであれば、またこうして一緒に過ごしてくれるのではないかという浅はかな考えがあったからである。
その結果がこれである。
(……俺は、なんて馬鹿なことを)
居心地のよさに溺れて、雪花の不調に気づかなかった。
自分は結局、己のことしか考えられない利己的な男だったのだ。
煉司は静かに部屋を出て、扉を閉める。
ふと、妙に静まり返っていることに気づき、窓へ視線を移す。
外では、吹雪が完全に止んでいた。




