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雪の奥で、二人きり  作者: 秋空 夕子


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3/7

第三話

『おい、また荒山のやつ、上司に楯突いたらしいぞ』

『またかよ、勘弁してくれ……空気が悪くなるっていい加減気づけよ』

『まあ、親いないって聞いたしな……そういうの、教わる機会なかったんだろ』

『だな……正直、さっさと辞めてほしいぜ』


「……はあ」

 ベッドから起き上がり、煉司は大きくため息をつく。

 それでもまだ、腹の奥には鉛でもあるように沈んでいる。

 嫌な夢を見た。

 職場での出来事である。

 上司の横暴な言動に耐えきれず意見を言った。

 そうしたら、周囲からは煙たがられ、孤立した。

 さらに嫌がらせのように仕事を押し付けられ、限界を迎えて退職したのだ。

 融通の効かない人間だと煉司自身も自覚している。

 周りに合わせて生きていけたらどんなに楽だろうとも思う。

 それでも、長年の性分は、そう簡単には捨てられなかった。

 ベッドから出た煉司は窓を見る。

 吹雪はまだ続いていた。


「あ、おはようございます、煉司さん」

「……おはよう、氷室さん」

 台所を覗くと、すでに雪花が朝食の支度をしているところだった。

 味噌汁の香りが鼻をくすぐる。

「いい匂いだな」

「……ふふ、そうですか?」

 柔らかい微笑みに、不覚にも胸が僅かにはねてしまう。

 それをひた隠しにし、なんともない顔で手伝いを申し出る。

「何か手伝えることはあるか?」

「それじゃあ、食事を居間まで運んでくれませんか?」

「任せてくれ」

 煉司は頷くと、出来上がった料理を一つずつ居間へ運んだ。

 炊き立てのご飯、わかめの味噌汁、焼いた塩鮭に、ほうれん草のおひたし。

 どれも丁寧に作られているのが一目でわかる。

 ほどなくして雪花も来て、二人は向かい合って腰を下ろし、手を合わせた。

「いただきます」

「いただきます」

 一口食べるだけで、体の奥までじんわりと温まっていく。

 味噌汁をすすりながら、煉司はようやく胸の内が静まっていくのを感じた。

 食事の間、二人はぽつぽつと会話を交わす。

 話題は主に、昨日読んだ本のことだった。

 大きく盛り上がるわけではないが、不思議と居心地は悪くない。

 それでも、ふと会話が途切れる。

「そういえば、まだ吹雪は止まないな」

 沈黙を埋めるように、煉司は窓に目を向けながら呟いた。

 朝からずっと気になっていたことだ。

 もういい加減、止んでもいい頃合いなのに、外は相変わらず荒れている。

 スマホは圏外で、ラジオも購入していない。

 外の状況を把握できないというのは、なんとも歯がゆかった。

「氷室さんは、なにか不自由はないか?」

「……いいえ、特には」

 そう答えた雪花は、一瞬だけ視線を伏せた。

 気のせいか、表情がかげったように見える。

 だが、次の瞬間には、彼女は先程まで同様に穏やかな顔に戻っていた。

 食事を終えた後は、昨日と同じように、それぞれ本を読んで過ごす。

 とても静かな時間だった。

 その間、雪花の視線がどこか切迫したものに見えたのは、気の所為だろうか。


 やがて、時間は過ぎ、眠る時間になる。

 自室で寝る支度をしながら、煉司はまた窓を眺めていた。

(本当に、この吹雪はいつ止むんだろうな……)

 今はまだかろうじて食事も電気もまかなえているが、いつまでも持つわけではない。

 自分はいいが、雪花が不便な思いをするのは嫌だった。

(いっそ、俺が山を降りて救助を要請するか?)

 そんなことを考えていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

「煉司さん、起きてますか?」

「ああ、氷室さんか。どうした?」

 雪花が自室を訪ねるのは初めてだったので、何かあったのかと煉司はドアを開けて応対する。

 ドアを開けた煉司を、雪花は寂しげな眼差しで見つめる。

「あの……少しお話ししてもよろしいですか?」

「構わないが……」

 こんな夜分に女性を部屋に入れるのも良くないと思い、ドアの前で話すことにした。

「それで、どうしたんだ?」

「……」

 煉司の問いかけに、雪花は俯いたまま何も言わない。

 そんなに言いにくいことなのかと、少し待っていると、ようやく雪花は口を開いた。

「一人でいるのが、怖くて……」

「え……」

 雪花が煉司の方に一歩近づく。

 煉司は驚いて一歩後ずさろうとするが、それよりも先に、雪花が腕に抱き着いてきた。

 柔らかな感触に、煉司の呼吸が乱れる。

「お、おい……」

「怖いんです、煉司さん……私を助けて……」

 声は震え、瞳は潤み、ひどく不安げなその姿に理性が揺らぐのを止められない。

 そして、彼女を助けられるのは自分だけだという歪な優越感まで顔をのぞかせる。

 このまま欲望に身を任せ、雪花を抱いてしまえと、卑しい考えが頭に浮かんだ。

「煉司さん、お願い……」

 甘く蕩けるような声が鼓膜を揺らす。

 体の熱が上がっていくのが分かる。

 しかし、煉司はぐっと拳を握り締めると、雪花の肩を掴み、そっと引き離した。

「氷室さん、落ち着いてくれ」

「……どうして」

 雪花が信じられないものを見るような目で煉司を見つめる。

「こんな状況下で、精神的にまいってしまうのはわかる。だが、一時の気の迷いでこんなことをするのはよくない」

「……」

「怖くて不安ならいくらでも話を聞く。だから、自分の体を大切にしてほしい」

 諭すように言うと、雪花はしばらく呆然と立ち尽くした。

 やがてゆっくり顔を俯け、小さな声で返事をする。

「……分かりました。失礼します」

 小さく頭を下げ、彼女は自室に引っ込んでいった。

 静寂が戻ってきた空間で、煉司は大きく息を吐き出す。

 危うく道を踏み外すところだった。

「……俺も、寝るか」

 煉司は自室のベッドに入ると、目をつむる。

 風の音を聞きながら、先程までの出来事を思い返す。

 雪花の声、表情、そして柔らかいのに服越しでも伝わる冷たい感触。

(……そういえば、彼女の体に触れたのは、今回で二回目だったな)

 そんなことを考えながら、眠りについた。

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