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雪の奥で、二人きり  作者: 秋空 夕子


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第一話

 視界は真っ白だった。

 フロントガラスには雪が叩きつけられ、一向に弱まる気配がない。

 荒山煉司はハンドルを握りしめたまま、焦りのない表情でそれを眺めていた。

 中古で手に入れた車のエンジンはすでにかからなくなっており、車内の温度はどんどんと下がっていく。

 ここは山の中腹で、煉司がしばらく暮らす予定だった山小屋は恐らく数百メートル先。

 普段なら十分もかからない距離だが、この状況下では歩いて向かうには命取りだ。

 そして、この車の中で一晩過ごすのも現実的ではない。

「……まあ、ちょうどいいか」

 命の危機であるにもかかわらず、煉司は妙に落ち着いた声で呟く。

 残り少なくなっていたタバコに火をつけ、口にくわえる。

 別に死にたいと思っていたわけではない。しかし、だからといって絶対に生きてやると思えるほどの熱量も、今の彼にはなかった。

 どうせここで死んでも、誰も悲しまないし、気にしない。

 そう思うと、別にここで終わってもいいような気がしてきた。

 吐き出した紫煙が、空気に溶けて消えていく。

 それをぼんやり眺めていた煉司だが、不意に視界の端で何かを見つけた。

「……なんだ?」

 よく目を凝らして見てみると、それはゆっくりとこちらへと近づく。

 すぐそこまでの距離になり、ようやくそれが何なのか判明した。人間だったのだ。

 それも、女性である。

 彼女は吹雪の中、ふらつきながら歩いているのだ。

「おい、嘘だろう!?」

 煉司はタバコの火を消すと、急いで車のドアを開いた。

 刺すような冷たさが彼を襲うが、それでも迷うことなく女性へと近づく。

「あんた、大丈夫か!!」

 女性に近づくと、彼女は顔をあげて煉司を見る。

 次の時、強い風が吹いてその体が大きく傾き、煉司は慌てて抱きとめた。

 白くて細いその体はぞっとするほど冷たい。

「くそっ……!」

 車に連れ帰った煉司だが、温めるものがなにもない車内では女性の意識は回復しない。

 このままでは、確実に死ぬだろう。

 彼女を助けるには、山小屋に行くしかない。

「……行くか」

 煉司は覚悟を決めると、彼女を背負い、吹雪の中へと戻った。

 するとどうだろう。あれほど荒れていた天気が、少しだけ弱まったのだ。

(これは、運がいいな)

 それでも、楽観視はできない。

 一歩一歩、足を前へと踏み出していく。

 悪戦苦闘しつつ、山小屋が見えてきた。

 もう二度とお目にかかることはないだろうと思っていたその姿に、感動を覚える暇もなく中へと入る。

 ドアを閉めた直後、また風の勢いが強くなった。

 間一髪だったようだ。

「ふう……」

 胸に湧き上がったものが安堵なのか疲れなのか、煉司は考えない。

 女性をソファに寝かせて、すぐストーブに火を入れる。

 ストーブが周囲の空気を徐々に温めるのを感じる間もなく、煉司は毛布をかき集めた。

 かじかんでうまく動かない手に苛立ちを覚えながら、女性の体にかけていく。

 それからお湯の準備をしつつ、念の為スマホを確認するが、やはり圏外だった。

 助けは呼べそうにない。

「はあ……」

 もはやできることはなにもなく、あとは女性の体力に任せるしかなさそうだ。

 落ち着かない気持ちで青白い顔を見つめていたが、はっと気づく。

「しまった、濡れた服を着せたままだ」

 どうやら自分は思っていた以上に冷静ではなかったようだ。

 雪で濡れたままでは温まるものも温まらない。

 服を脱がそうと女性に近づいたその時、彼女のまぶたがゆっくりと開いた。

 二人の視線が交差する。

 先程まで気を失っていたとは思えないほど静かにこちらを見据えるその眼差しに、煉司は思わず息を呑んだ。

 しかし、すぐに我に返ると女性に声をかけた。

「おい、大丈夫か? 気分はどうだ?」

「……はい、大丈夫です。ありがとうございます」

 眼差しと同様に、静かな声だった。生気がなく、冷たさすら感じる。

 だが、それを意識する余裕もなく、煉司は言葉を続けた。

「服、濡れてる……脱いだ方がいい」

 自身のトレーナーとズボンを彼女に渡して、煉司はそのまま後ろを向く。

「着替えは一人でできそうか? 終わったら呼んでくれ」

 部屋を出ていく煉司だが、その背中を女性が訝しげに見つめることには気づかなかった。


 廊下で待っていると、やがて小さな声で「終わりました」と声が聞こえた。

 部屋に入ると、袖が指先まで隠れるほどぶかぶかなトレーナーとズボンを着た女性がペコリと頭を下げるた。

「着替え、ありがとうございます。おかげで助かりました」

 丁寧ながら、温度を感じない声だった。

 だが、それでいて鈴の鳴るような澄んだ声だとも煉司は感じる。

「いや、大したことはしていない。俺は荒山 煉司だ。あんたは?」

 名乗りながら煉司は女性の様子をうかがう。

 しかし、その表情から感情を読み取ることはできなかった。

「……氷室 雪花と申します」

「氷室さんか。どうして山にいたのかは知らないが、外はまだ荒れている」

 窓に目を向ければ、まだ吹雪は止む様子がない。

「この吹雪じゃ、動くのは危険だ。少なくとも、収まるまではここにいたほうがいい」

 雪花は考えるように視線を落とし、それから小さく頷く。

「……わかりました。お邪魔でしょうけど、よろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

 煉司はそれ以上なにも言わず、ストーブの火を一度だけ確かめた。

 外で吹き荒れる風の音が、どこか遠くの出来事のようだった。

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