第59章 終戦
戦場は、すでに崩れかけていた。
修羅の国の軍勢は、指揮の軸を失い、あちこちで混乱を起こしている。
土埃の向こうで、兵たちが叫び、逃げ、あるいは膝を折っていた。
その中心で――
シェリルは、静かに軍を反転させた。
「全軍、進め」
短い命令だった。
だが、その声には迷いがなかった。
王国軍が、修羅の国の陣へと突き刺さる。
背後からの一撃に、修羅の国の兵たちは完全に虚を突かれた。
「な……なぜだ……!」
ナギサが振り返る。
その目には、怒りよりも困惑があった。
女王の命で動いていた。
女王は、まだこちらの手中にある――そう信じていた。
「シェリル……貴様、なぜ――!」
答えは、氷の剣だった。
シェリルは一切の躊躇なく踏み込み、剣を振るう。
空気が凍り、地面に霜が走る。
ナギサは縄を放った。
何本も、何本も。
だが、それらはすべて空中で凍りつき、砕け散る。
「そんな……!」
ナギサの足が、確かに後退した。
シェリルは追う。
剣を振るうたび、氷の刃が舞い、退路を断つ。
「私は……負けるわけには……!」
最後の抵抗。
双剣を構えた、その一瞬。
シェリルは、水平に剣を振り抜いた。
首が宙を舞い、
ナギサの身体が、音もなく崩れ落ちる。
修羅の国の統領の一人は、そこで命を終えた。
その瞬間、戦場の均衡は完全に崩れた。
その様子を見ていたスズナは、すぐに理解した。
(……負けた)
撤退すべきだ。
理性は、そう告げている。
だが。
視界の先に、キョウの姿が映った瞬間、
スズナの胸に渦巻いていたものが、一気に噴き上がった。
(あいつだ)
理由は一つではない。
妹・シオンの死。
大陸への憎悪。
奪われたものすべて。
そして何より――
この戦争で、なお生き残り、立ち続けている存在そのものが、許せなかった。
スズナは剣を抜き、キョウへ向かって駆けた。
叫び声が上がる。
だが、キョウは動じなかった。
彼の中で、怒りはすでに燃え尽きるほど燃えていた。
――リシュアを殺した。
――ランバルタを毒矢で射た。
――カゲロウの遺体を辱めた。
――ゼルフィアを、容赦なく討ち取った。
一つ一つが、胸の奥に積み重なっている。
キョウは思い出す。
自分が転生した理由。
九条玲への復讐。
その面影を持つゼルフィアを殺せば、終わると思っていた。
だが、違った。
ゼルフィアは、九条玲ではなかった。
許すという選択を、キョウは初めて知った。
それを――
踏みにじったのが、スズナだ。
「……来い」
低く、抑えた声。
スズナが迫る。
剣が振るわれる。
キョウは剣を構え、波動を刃に纏わせた。
怒りは激情ではない。
逃げ場のない、確信だった。
一歩、踏み出す。
剣が閃き、
衝撃が走る。
スズナの身体は、抵抗する間もなく断たれた。
その場に、沈黙が落ちる。
修羅の国の軍は、完全に瓦解した。
逃げる者、降伏する者、泣き崩れる者。
戦いは、終わった。
戦後。
簡易の陣で、キョウとセレナ、そしてシェリルと女王が向き合っていた。
女王は、戦の疲労など感じさせない様子で、鼻で笑った。
「はあ……散々だったわね。
でも、結果的には助かったんでしょう?」
その言葉に、空気が凍る。
「あなたたち、感謝してもいいくらいよ?」
その瞬間。
乾いた音が響いた。
パァン、と。
シェリルの平手が、女王の頬を打った。
女王は呆然とし、頬を押さえる。
「……何をするの!」
シェリルの声は震えていなかった。
「多くの命が失われました。
それを、その言葉で済ませるのですか」
女王は顔を歪め、不貞腐れたように言い返す。
「ふん……生き残った者が勝者よ。
あなたも、結局は私を守ったじゃない」
そう吐き捨てると、女王は踵を返す。
「もういいわ。王都へ戻る」
その背に、シェリルは深く、深く頭を下げた。
「……どうか、ご無事で」
見限ったわけではない。
許したわけでもない。
それでも、王国の将として、
最後まで責任を負う覚悟だった。
女王は振り返らず、去っていった。
残された者たちは、沈黙の中で立ち尽くす。
戦いは終わった。
だが、失ったものの重さは、誰の肩にも等しく残っていた。
――次に進むためには、
まだ、越えなければならないものがある。




