第53章 毒矢
リディアの亡骸は、まだ温もりを残していた。
砕かれた兜。
血に濡れた髪。
かつて何度も並んで剣を振るった、その姿が、無惨な形で地に伏している。
キョウは馬から降り、膝をついた。
剣を握る指に力が入らない。
呼吸が浅く、胸の奥が空洞のようだった。
――守れなかった。
その思考だけが、何度も頭を巡る。
「……キョウ!」
乾いた音が戦場に響いた。
セレナの平手が、キョウの頬を打ち抜いたのだ。
衝撃で顔が横を向く。
「下を向くな!」
怒鳴る声は張り裂けるほどだった。
だが、その奥にあるのは怒りだけではない。
「総大将が膝を折ってどうする!
リディアは……そんな姿を見るために、ここまで来たんじゃない!」
セレナの目に、はっきりと涙が滲んでいた。
それでも彼女は、背筋を伸ばして立っている。
キョウは、ゆっくりと顔を上げた。
戦場の喧騒が戻ってくる。
剣と盾のぶつかる音。
叫び声。
馬のいななき。
「……すまない」
短い言葉だったが、逃げではなかった。
キョウは剣を握り直し、立ち上がる。
修羅の国の陣営もまた、沈鬱な空気に沈んでいた。
カガリの死。
それは単なる戦力の損失ではない。
“象徴”の喪失だった。
巨躯の女が振るった鉄垂。
恐怖そのものだった存在が、消えた。
ナギサは静かに地図を見下ろしていた。
指で戦線をなぞり、兵力配置を再確認する。
「……リディアは討った」
ぽつりと呟く。
「だが、釣り合わない」
声に感情はない。
だが、判断は冷酷だった。
「こちらの損の方が大きい」
スズナは無言で肩を押さえていた。
弓を引くたび、傷口が軋む。
それでも彼女の目に、迷いはない。
「流れを変える」
ナギサは顔を上げる。
「セレナを落とす。
あの女が戦場にいる限り、ヴァルティアは折れない」
翌日。
戦場の空気は、明確に変わっていた。
修羅の国の軍勢は、セレナの陣へと集中する。
民兵ではない。
正規兵が前に出てきている。
光の障壁が幾度も打ち叩かれ、術士たちが歯を食いしばる。
「維持しろ!」
セレナの声が響く。
光の矢が放たれ、迫る敵を射抜く。
だが、数が違う。
キョウは即断した。
「セレナを守る!」
馬腹を蹴り、戦線を横切る。
剣を振るい、道を切り開く。
波動は抑えたまま、剣の間合いで戦う。
無駄撃ちはできない。
一方、中央。
エマはスズナと対峙していた。
踏み込んだ瞬間、かわされる。
追えば、背後に回られる。
「……ちっ」
盾に走る衝撃。
浅い傷が増え、呼吸が荒くなる。
スズナの動きは、常に半歩ずれる。
「捕まらない……!」
キョウは、ここで勝負に出た。
波動。
風を裂く衝撃が、ナギサの陣を薙ぐ。
兵が吹き飛び、陣形が乱れる。
二度目。
さらに切り裂く。
ナギサの目が見開かれた。
「制御している……!」
暴発ではない。
狙い撃ちだ。
キョウは迫る。
剣を振るい、兵を割り、ナギサの目前へ。
その瞬間――
引き鐘。
セレナの合図だった。
「キョウ! エマが危ない!」
一瞬の逡巡。
キョウはナギサを深追いせず、馬首を返した。
スズナは、退こうとしていなかった。
肩の傷が疼く。
弓を引くたび、激痛が走る。
それでも――
「……当てればいい」
矢を番え、放つ。
鋭い音。
エマの肩に、深く突き刺さった。
「っ……!」
次の瞬間、エマの身体が強張る。
息が詰まり、膝が揺れた。
毒。
キョウは即座に察する。
「エマ!」
波動を放つ。
だが、力が乗らない。
何度も使った代償だった。
衝撃はスズナを退かせるには足りず、
彼女は距離を取り、静かに引いた。
エマは、もう剣を構えられない。
戦線離脱。
この日を境に、戦況ははっきりと変わった。
ヴァルティアは、確実に削られている。
英雄を失い、主力を欠き、
それでも踏みとどまってはいる。
だが――
限界は、確実に近づいていた。
戦場は、まだ終わらない。




