第51章 虐殺
民兵は、ただ数で押し寄せるだけの存在だった。
十人がかりで、ようやくヴァルティア兵一人を倒せるかどうか。
剣の振りも、盾の構えも、比べるまでもない。
前へ。
前へ。
押し出されるたび、隊列が崩れ、屍が積み上がる。
踏み越えるのは、敵兵だけではなかった。
王国の民――昨日まで畑を耕し、街で笑っていた者たちの死体だ。
血で濡れた土に足を取られ、転ぶ。
起き上がる前に、槍が降りる。
退こうとすれば、背後から督戦隊の矢が飛ぶ。
「戻るな!」
怒号。
そして、断末魔。
逃げ場はなかった。
シェリルは、そのすべてを見ていた。
将として前線に立つ必要はない。
だが、目を逸らすことも許されない。
兵の悲鳴が、耳に残る。
剣を握る手が、わずかに震えた。
――これが、戦争なのか。
胸の奥が締め付けられる。
呼吸が浅くなり、視界の端が滲む。
日が沈むころには、もう何人が死んだのか分からなかった。
そして夜。
シェリルは、決断する。
督戦隊を統括する者。
修羅の国の将――スズナ。
彼女の軍営は、異様な静けさに包まれていた。
兵の気配はある。だが、物音がない。
「……これ以上は、やめてください」
声が、思った以上に掠れていた。
スズナは、書簡から顔を上げる。
ゆっくりと、まるで獲物を見るように。
「やめる?」
薄く、嗤う。
「お前たちが始めた戦だろう」
「これは……虐殺です……!」
言葉を絞り出す。
「違う」
スズナの目に、冷たい狂気が宿る。
「これは“供物”だ。
先祖の霊を慰めるためのな」
理解できなかった。
いや、理解したくなかった。
「それとも……」
一歩、距離を詰められる。
「女王の命がどつなってもよいのか?」
その一言で、身体が硬直した。
鎧の留め具に、指がかかる。
外される。
金具の音が、やけに大きく響く。
「鎧の下に立派なもの隠してるじゃないか」
スズナの手が伸びる。抵抗しようと腕を動かした瞬間、壁際へ追い詰められた。
視線が合う。
そこに理性はない。
ただ、支配するという意思だけがある。
「戦争とは、こういうものだ」
囁くように言って、スズナは手の力を強める。
シェリルの心は深く削られていた。
乱れた鎧を抱え、軍営を出る。
兵たちの視線が、突き刺さる。
何も言われない。
それが、なおさら重かった。
一方、エリュシオン。
夜気の中、リシュアは剣を構えていた。
来る。
今夜だ。
治安維持部隊の巡回は、すでに布石。
読みは外れていない。
アリアの寝室に、五つの影。
だが、そこに彼女はいない。
同時刻。
ガイアスの詰所にも、五人。
刃が閃き、血が散る。
ガイアスは踏みとどまっていたが、徐々に押される。
肩。
脇腹。
そこへ――
「今です!」
メルティナの声。
短い詠唱。
光が走る。
身体に、力が戻る。
「――っ!」
暗殺者の一人を担ぎ上げ、床へ叩きつける。
「なぜだ……首輪もなしで……」
動揺した瞬間を逃さず、兵が囲む。
全員、捕縛。
メルティナは剣を下ろし、深く息を吐いた。
リシュアは首都治安維持部隊の隊長として、剣を携え巡回路の中央に立っていた。
「配置は、このまま」
短く命じる。
部下たちは即座に散開した。
足音を殺し、影に溶けるように動く。
訓練の成果だ。だが、それでもリシュアは安心しなかった。
あの夜――
カレンに追い詰められ、術に絡め取られた記憶が、ふと脳裏をよぎる。
(もう、同じ手は食わない)
リシュアは呼吸を整え、意識を研ぎ澄ませた。
気配が、歪む。
次の瞬間だった。
屋根の縁を滑るように、黒い影が落ちる。
一つではない。複数。
「――来た」
剣を抜く音が、夜気を裂いた。
アリアの寝室方向。
だが、そこにはもう誰もいない。
誘導は成功している。
暗殺者の一人が、リシュアに気づき舌打ちした。
「剣士か……」
その声色に、侮りが混じる。
リシュアは一歩、前に出た。
直線ではない。
斜めに、間合いをずらす。
刃が交錯する。
金属音。
火花。
相手の動きは速い。だが、読める。
(重心が高い……)
一閃。
浅いが、確実に切る。
暗殺者が距離を取る。
「ちっ……!」
別の影が背後を取ろうとする。
だが、そこに部下の槍が割って入る。
「隊長!」
「下がらせて」
短く指示し、リシュアは前に出続けた。
これは自分の戦いだ。
二人目、三人目。
剣筋を変える。
直線から円へ。
隠密は、予測できない動きを嫌う。
一人、倒れる。
呻き声。
血の匂いが、夜に混じる。
最後の一人が、距離を取り印を結んだ。
――術。
黒い、手のような影が空間から滲み出す。
リシュアの背筋が、一瞬だけ凍る。
(来る……!)
あの時と同じ。
身体を絡め、意識を削る術。
だが――
リシュアは、剣を下げなかった。
足を踏みしめ、腹の底から息を吐く。
「……もう、終わりだ」
低く、一喝。
剣に込めた気が、空間を切り裂く。
黒い手が、弾けるように消えた。
術者の顔に浮かぶ、はっきりとした恐怖。
その瞬間を、逃さない。
一歩。
半歩。
刃が、喉元に走る。
音もなく、崩れ落ちる影。
リシュアは、剣を振り払って血を落とした。
静寂が戻る。
肩で息をしながら、周囲を見渡す。
部下たちは無事だ。
「……終わったわ」
誰に言うでもなく、呟く。
あの夜とは違う。
もう、追い詰められる側ではない。
リシュアは剣を納め、夜空を見上げた。
だが、胸の奥に残るのは安堵ではない。
修羅の国は、まだ動いていない。
本命は、これからだ。




