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パワハラ女上司に殺された中年サラリーマンは異世界で国をつくる  作者: 越後⭐︎ドラゴン


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第43章 影の最期

 霧が、森を覆った。


 それは自然のものではない。

 甘く、重く、喉の奥に絡みつくような異臭を孕んだ霧だった。


「……毒霧か」


 リシュアは即座に判断した。

 だが、気づいた時にはすでに遅い。


 背後で、部下の一人が膝をついた。

 次いで、二人、三人と倒れていく。


 痙攣。泡立つ口元。

 声にならない呻き。


「下がれ! 息を止めて――」


 叫んだ瞬間、肺に霧が流れ込んだ。


 舌が痺れ、視界が揺れる。

 脚に、力が入らない。


 それでもリシュアは剣を抜いた。

 細身の刀身を大きく回転させ、風を起こし、霧を払う。


 長い黒髪が乱れ、タイトな上衣が肌に張りつく。

 冷や汗が背筋を伝った。


「……まだ、動ける」


 その声に、嘲るような拍手が重なる。


「さすがね。治安維持部隊の隊長」


 霧の奥から、影が現れた。


 カレンだった。


 痩せた体躯。

 光を映さない瞳。

 人の皮を被ったまま、すでに人ではない存在。


「二十人も連れてきておいて、この有様?」


 リシュアは剣を構え直す。

 痺れる指に、意志を叩き込む。



 カレンはゆっくりと剣を抜いた。

 その動きは、剣士のそれではない。

 獲物に忍び寄る、獣の動きだった。


 次の瞬間、距離が消えた。


 金属音。

 リシュアの剣が、かろうじて受け止める。


 だが、直線的だった。


 カレンは弧を描くように動き、死角から斬りつける。


「――っ」


 布が裂ける音。


 肩口。

 太もも。

 致命傷ではないが、確実に追い詰めてくる斬り方。


 カレンは舌打ちした。


 時間稼ぎするしかない。リシュアは悟った。


 毒霧は永続しない。

 だからこそ、短時間で決める必要がある。


 カレンの動きが、次第に荒くなる。


「……っ、しぶとい」


 その苛立ちを隠そうともしない。


 カレンは距離を取り、印を結んだ。


 地面から、黒い影が伸びる。


 手。

 人の手の形をした、異様な“何か”。


 それが、リシュアの脚に絡みついた。


「くっ……!」


 締め上げられる感覚。

 力で引き剥がそうとするが、影は逃げるように絡み直す。


 腕に。

 腰に。


 剣を振るう動きが、鈍る。


「安心しなさい。すぐ終わる」


 カレンは笑った。


「誇りごと、壊してあげる」


 影が、さらに強く締まる。


 呼吸が乱れる。

 視界が暗くなる。


 それでも、リシュアは剣を落とさなかった。


(……見る)


 動きを、読む。


 カレンは集中している。

 術に意識を割いている。


 周囲への警戒が、薄れている。


「そろそろ――」


 カレンが近づいた、その瞬間。


 風を裂く音。


 分銅が、唸りを上げて飛んだ。


 カレンは反射的に弾いたが、間に合わない。


「……なに?」


 影の中から、低い声が響く。


「……やっと捕まえた」


 カゲロウだった。


 その背後には、十の気配。

 隠密たちが、完全に包囲している。


 カレンは目を見開いた。


「馬鹿な……!」


 術に集中しすぎた。

 周囲が、見えていなかった。


 次の瞬間、影が霧散する。


 リシュアの身体が、崩れ落ちる。


 カゲロウは一瞬だけ彼女を見ると、静かに頷いた。


「……よく耐えた」


 そして、カレンに向き直る。


「シオンの仇だ」



包囲されたと悟った瞬間、

 カレンの喉から、かすれた笑いが漏れた。


「……は、はは……」


 さっきまでの余裕は、どこにもなかった。

 術は霧散し、黒い影は跡形もなく消えている。


 自分の足が、震えているのがわかった。


「待て……待ちなさい……!」


 声が裏返る。


 隠密たちは無言だった。

 感情も、憎悪も、そこにはない。


 ただ――処理する対象を見る目。


「違う……違うのよ……!」


 カレンは後ずさる。

 泥に足を取られ、転び、這いずる。


「私は……私は……!」


 頭の中を、言葉が錯綜する。


 帝国のためだった。

 生き残るためだった。

 裏切られたのは、自分の方だ。


 そうだ、あいつらが悪い。

 シオンだって、弱かっただけだ。


「私は……選ばれた側だったのに……!」


 誰に向けた言葉かも分からない叫び。


 カゲロウが、静かに前へ出た。


「……まだ言い訳をするのか」


 その声に、カレンの表情が歪む。


「だって……! だって私は……!」


 涙が溢れた。

 汚れた涙だ。


 恐怖と後悔と、

 それでも消えない自己愛が混じった、醜い涙。


「死にたくない……!」


 地面に額を擦りつける。


「お願い……助けて……!

 まだ……まだ使える……!」


 忠誠。

 情報。

 命乞い。


 全部を並べ立てる。


 かつて自分が、何人にもやらせてきた行為だった。


 カゲロウは、目を伏せた。


「……シオンも、同じことを言った」


 カレンの呼吸が、止まる。


「……嘘……」


「命乞いをして、震えていた」


 隠密たちが、静かに間合いを詰める。


「……やめて……」


 カレンは理解した。


 ここには、

 利用価値も、交渉も、逃げ道もない。


 あるのは――結果だけ。


「私は……私は……」


 言葉は、最後まで形にならなかった。


 刃が、閃いた。


 悲鳴は、途中で途切れた。


 倒れ伏した身体は、もう動かない。


 帝国の亡霊は、

 誰にも惜しまれず、

 誰の記憶にも残らず、

 泥の上で終わった。


 カゲロウは一度だけ、その亡骸を見る。


「……終わったぞ、シオン」


 それだけ言って、背を向けた。


 森には、霧も、叫びも、もうなかった。

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