第41章 解縛
王都へ戻ったルシアとゼルフィアを、街は静かに迎え入れた。
歓声はなかった。だが、拒絶もなかった。
女王が逃げた――
その事実は、もはや誰の目にも明らかで、
この国が新しい主を必要としていることも、同じくらい明白だった。
ルシアは王都の中央広場に立ち、集まった貴族と民を前に、簡潔に告げた。
「私が、この国を治めます」
声は澄んでいて、迷いがなかった。
血筋や神託ではない。
戦乱の中で選ばれ、支えられたという事実だけが、彼女を女王にしていた。
会談の場は、王都と旧帝都の中間に位置する、湖畔の街で設けられた。
水運と交易で栄えたこの街は、争いから一歩距離を置いたような静けさを保っていた。
ヴァルティア側の代表はセレナ。
王国側は女王ルシアと、その補佐としてゼルフィア。
キョウは、あえて席に着かなかった。
ゼルフィアと向き合えば、
自分が自分でなくなるかもしれない――
その恐れが、まだ胸の奥に残っていた。
九条玲。
前世で、自分を陥れ、壊した女。
ゼルフィアの面差しは、あまりにも似ている。
剣を抜いたあの日の感情が、いまも完全には沈んでいなかった。
会談は淡々と進み、
両国の間に不可侵条約が結ばれ、交易の再開が決まる。
国としては、最良の結末だった。
夜、宴が開かれた。
久しぶりの平和に、人々は杯を重ね、音楽に身を委ねる。
キョウも顔を出したが、
ゼルフィアの姿を視界に捉えた瞬間、胸がざわついた。
言葉を交わすことなく、
彼は静かに席を立つ。
向かったのは、湖畔だった。
夜風が冷たく、頭を少しだけ冷やしてくれる。
だが鼓動は、落ち着く気配を見せない。
「……まだ、だな」
自嘲気味に呟いた、その背後で足音がした。
振り返ると、ゼルフィアが立っていた。
月明かりに照らされたその姿は、戦場で見たどの瞬間よりも静かだった。
「来ると思いました」
彼女は逃げず、まっすぐにキョウを見る。
「覚悟は、できています」
キョウは言葉を失う。
「私を……切ってください」
その声に、取り繕いはなかった。
恐怖も、諦めも、すべて含んだ覚悟だった。
「あなたが私を嫌っている理由は分かりません。でも……」
一息置き、続ける。
「ここで終わらせれば、すべてが収まる気がするんです」
キョウは困惑した。
違う。
九条玲なら、こんな言葉は吐かない。
あの女なら、
泣いて縋るか、
あるいは媚びて利用しようとする。
目の前のゼルフィアは、そうではない。
逃げず、計算もなく、
ただ自分の命を差し出している。
そして――
その目は、あまりにも澄んでいた。
キョウの胸で、何かが静かにほどけた。
長い間、自分を縛っていた感情が、
音もなく崩れていく。
気づけば、距離を詰めていた。
ゼルフィアが息を呑む。
次の瞬間、
キョウは衝動のまま、彼女の唇にそっと触れていた。
一瞬だった。
温度と、驚きだけが残る。
我に返ったキョウは、目を見開く。
「……っ」
何も言わず、
彼はその場を駆け去った。
湖畔に、ゼルフィアだけが残された。
唇に、まだ微かな感触が残っている。
切られると思っていた。
憎まれていると、信じていた。
それなのに――
彼女はしばらく、その場から動けなかった。
月明かりの下、
穏やかな水面だけが、何もなかったかのように揺れていた。




