第37章 怒り
副王都は、戦のために造られた城だった。
王都が政治の中枢なら、ここは純粋な「殺し合いのための都」――高い外壁、深い堀、狭く絞られた城門。
四万のルミナス軍が到着した時、すでにルシアはこの副王都に立てこもっていた。
「……先を越されたか」
城壁を見上げ、ルミナスは小さく舌打ちした。
倍の兵力があっても、この城を正攻法で落とせば犠牲は万単位になる。
そして何より――
「ゼルフィアがいる限り、正面からは削りきれん……」
彼女の脳裏には、あの女の冷たい眼と、かつて帝国で振るわれた剣の記憶が焼きついていた。
だからルミナスは、城を囲み、心を折る戦いに出た。
翌日から、城門の前で罵声が飛び交い始める。
「出てこい、卑怯者ども!」
「女王殺しの反逆者!」
「偽りの忠義者どもが!」
連日、兵たちは交代で城を罵倒し続けた。
城内では、動揺する兵たちをゼルフィアが静かに宥めていた。
「挑発に乗るな。あれは戦ではない。ただの罠だ」
誰よりも屈辱を受けてきた彼女自身が、最も冷静だった。
だが、四日目。
城門前に、一本の棒が掲げられた。
そこに結ばれていたのは――汚れた衣の切れ端。
ゼルフィアの目が、凍りついた。
「それが何か分かるかぁ!?」
城外から、嘲る声が木霊する。
「王女に裂かれた布切れだ!」
「情けなく命乞いした証だ!」
「触られて、満更でもなかったそうじゃないか!」
罵声が、刃のように突き刺さる。
ゼルフィアの頬が、怒りと屈辱で赤く染まる。
「……」
だが、それでも彼女は踏みとどまった。
踏みとどまろうとした。
そのときだった。
「もう我慢ならん!!」
城内から、若い将校の叫び声が上がる。
五百の騎馬が、城門を突き破るように飛び出した。
「行くな!!」
ゼルフィアの制止は、もう届かなかった。
それを見た瞬間、ルミナスの口元が歪む。
「――来たな」
待っていたのはこの瞬間だった。
「軽騎五千、出せ! 一気に門を割れ!!」
土煙が上がり、軽騎兵が奔流のように門へ殺到する。
すでに外へ出ていた五百の騎馬は押し潰され、門前は一瞬で地獄と化した。
敵味方入り乱れ、弓も投石も意味をなさない、完全な乱戦。
その混乱の中へ――
「退け!!」
燃えるような声と共に、ゼルフィアが単騎で駆け出した。
将校を救うため。
そして――この侮辱に終止符を打つため。
ルミナスは、初めてゼルフィアと正面から相対する。
「……来たわね、帝国の亡霊」
「黙れ」
ゼルフィアの剣が、低く構えられる。
次の瞬間――
ルミナスの槍が閃き、
ゼルフィアの剣が、それを弾き飛ばした。
金属音が爆ぜる。
そして――
その剣に、炎が宿った。
「――ッ!?」
ルミナスの背筋を、凍りつくものが駆け上がる。
炎は幻ではない。
圧倒的な熱と殺気を孕んだ、実体のある焔。
「な……何だ、それは……ッ!?」
初めて見る剣技。
初めて感じる死の気配。
ゼルフィアが、一歩踏み込む。
「貴様らが、私の何を知っている」
炎の剣が、一閃。
ルミナスは反射的に身を捩り、馬上から転げ落ちた。
避けるのが精一杯だった。
反撃どころか、状況を理解する余裕すらない。
「姫様ッ!!」
近習たちが必死に盾を立てる。
炎が舞い、兵が次々と吹き飛ばされる。
「化け物が!!」
「剣が……燃えている……!!」
戦場に、明確な恐怖が走る。
再び、ゼルフィアが迫る。
「次は避けられると思うな」
炎が渦を巻き、振り下ろされる――
だが、ギリギリのところで近習が馬を突っ込ませ、
ルミナスは転がるようにして馬へと戻された。
「退け!! 退けえええ!!」
半ば叫ぶように命じ、ルミナスは後退する。
門の突入は、完全に失敗だった。
本陣へ戻ったルミナスは、兜を叩きつけ、怒りに任せて叫び散らした。
「くそ……くそっ……!!」
鎧の隙間から、白い肌に赤黒い火傷の跡が浮かんでいる。
それが、彼女が受けた“恐怖の証”だった。
ゼルフィアは城門の内側に戻り、炎の剣を静かに収めた。
――切り札はまだ生きている。
そしてルミナスは、はっきりと悟っていた。
あの女と正面からやり合えば、死ぬのは自分だ。




