第36章 簒奪
王都の外で、ルシアは勝ち続けていた。
二千で始まった小さな軍は、一つ、また一つと軍閥を打ち破るたびに膨らみ、気づけば二万に届こうとしていた。
勝因は、豪胆な正面突破ではない。無理な戦を避け、補給を断ち、退路を封じ、夜襲で削る。何より、兵を捨てなかった。
ある夜、焚き火を囲む兵の一人が、恐る恐る口にした。
「……殿下は、王位を取り戻すおつもりなのですか」
ルシアは少し困ったように笑って、首を横に振った。
「そんなこと、考えたこともないわ」
焚き火の火が、小さく爆ぜる。
「怖かっただけ。追われるのが。
それから……ここにいるみんなを、失うのが」
兵は言葉を失い、ただうつむいた。
「私は王女でいなくていい。
ただ、一緒に生きていたいだけ」
その言葉は、派手さも威厳もなかった。
だが、それ故に深く刺さった。
“王女だから従う”のではない。
“この人だから従う”――そう思える将へと、ルシアは変わっていた。
その噂は、やがて王都へと届く。
⸻
王宮。
ヴェルミナは報告書を握り潰した。
「……ルシアの軍が、二万規模に達しました」
返事はなかった。
杯の縁が、わずかに震える。
(王位を欲しがらない女が、王になってしまう……)
それが、何よりも恐ろしかった。
野心をむき出しにする者なら、潰す口実はいくらでも作れる。
だが、“何も求めていない者”に、人は希望を見る。
母オルウェリアが生きている限り、
そしてルシアが勝ち続けている限り、
王位はいつ奪われてもおかしくない。
その夜、ヴェルミナは毒を選んだ。
数日後、女王オルウェリアは急死した。
死因は「急性の発作」。
医官の口から淡々とそう告げられ、遺体は速やかに処理された。
同時に、“噂”が流れた。
――女王は、ルシアに毒殺された。
あまりにも早く、あまりにも整いすぎた噂だった。
⸻
葬儀から三日後。
ヴェルミナは玉座に座った。
悲嘆の色も、動揺もなかった。
「母は、毒によって殺されました」
重苦しい沈黙。
「犯人は――第2王女ルシア」
誰かが、息を呑んだ。
「王位を欲し、母を殺し、軍を集める反逆の王女です」
証拠として示されたのは、王宮薬庫の持ち出し記録。
そこには、ルシアの名があった。
偽りであると、この場で否定できる者はいなかった。
「反逆王女ルシア、およびその一党を国家反逆罪と認定します」
ヴェルミナは、まっすぐ前を見る。
「第2将軍ルミナス。前へ」
鎧姿のルミナスが進み出て、膝をついた。
「命じます。反逆者ルシアを討ちなさい。
その軍も、すべて――王国の敵です」
「……王命、承りました」
ルミナスの声は、どこまでも静かだった。
⸻
その夜、ルミナスは一人、灯の消えた執務室に立っていた。
王族でありながら、
王位継承の列に名を連ねることすら許されない“分流”。
それでも彼女は将となり、血を流し、戦功を積み重ねてきた。
かつて、王族の宴の席で言われた言葉が、今も耳に残っている。
「お前は“王族”ではあるが、“王家”ではない」
その一言が、胸の奥に焼き付いている。
(ヴェルミナも、ルシアも……
生まれただけで、玉座に近い)
(私は、剣を振るってここまで来たのに)
王になることは、虚栄ではない。
証明なのだ。
“私は、王に立つに値する人間だ”と。
ルミナスは静かに目を閉じた。
(ヴェルミナは邪魔だ。だが、今打てば必ずシェリルが立つ)
シェリルは“正統王家の剣”。
正面からぶつかれば、王国は二つに割れる。
ならば、先に削るべきは――
(ルシア)
ルシアを討ち、その軍を丸ごと吸収する。
そうすれば正統は消え、兵も力も、自分のものになる。
その上で、
“母殺しの真犯人”としてヴェルミナを断罪すればいい。
それは裏切りではない。
王族が、王族として王位を取り戻すだけの話だ。
ルミナスは、静かに剣に手をかけた。
⸻
翌朝、王都の壁という壁に、布告が貼り出された。
【反逆王女ルシア、討伐開始】
【加担する者すべて、王国の敵とみなす】
民は、言葉を失った。
昨日まで“悲劇の王女”と囁かれていた存在が、
一夜にして“王殺しの大罪人”へと塗り替えられた。
真実を知る者は、もはや王宮の奥にしかいない。
こうして王国は、完全に割れた。
純粋なまま剣を振るうルシア。
簒奪者として玉座に座るヴェルミナ。
王族として玉座を奪いにいくルミナス。
そして、ただ命令に忠実な剣――シェリル。
王国はこの瞬間、
静かに、だが確実に――
引き返せない内戦へと踏み込んだ。




