17章 危機
三方からの侵攻は、まるで雨雲が一斉に押し寄せたようだった。
最初の報せは北から届いた。
異民族五千――複数の部族連合が、一斉に国境を越えてきた。
次に南。
ヴァルティアの旧貴族たちが武器を取り、反乱軍を組織して蜂起。
その数は、数千どころではない。
もはや“数万”と言って差し支えない規模に膨れ上がっていた。
そして東。
帝国から二万の軍勢が動き、
さらに――四天王筆頭ゼルフィアが直率しているという。
城内に響いた報告を聞いた瞬間、
キョウの表情が明らかに変わった。
「……三方同時、だと……?」
声にわずかに震えが混じる。
彼がここまで狼狽を見せたのは、これが初めてだ。
周囲の将たちも、息をのんだ。
エマが緊張した声で続けた。
「北の異民族は、進軍ルートがバラバラ。
略奪しながら散開しているわ。
正面でぶつかる敵じゃない。追いつけない。」
「南の反乱は、広がるのが速すぎる……」
ガルザが顔を歪める。
「昔の貴族どもが、相当金を持っていやがる……。
武器も……どっから仕入れてんだよ、これ……」
マリーナの瞳が細くなった。
「帝国ね。娘、どこまでも薄汚いわ……」
セレナは、最後の報告を読み上げた。
「……そして東。二万の軍勢。
四天王筆頭ゼルフィアが自ら率いている。」
キョウの手がわずかに震えた。
「ゼルフィア……?」
まるで、耳慣れた名前を急に突きつけられた子どものように、
その声音にだけは異様な色が混じっていた。
軍議の場が静まり返る。
キョウは、地図の上に視線を落としたまま固まっていた。
(どこかを……どこかを捨てないと、生き残れない……?)
そんなはずはない。
ここまで来るのに、どれだけの人の命と信頼を繋いできたか。
つい最近ようやく、街が活気づき始めたばかりだ。
なのに。
「……くそ……最悪の形で来やがった……」
初めて、弱音にも似た声が漏れた。
セレナがそっとキョウの横顔を見た。
その表情には、焦りと葛藤が入り混じっていた。
「キョウ……どこを優先する?」
問いかけに、しばらく答えが戻らない。
ようやく絞り出すように口を開いた。
「……北は……リディア。
動くなら、あいつしかいない。」
リディアが即座に立ち上がる。
「当たり前。あんな野蛮人、私が片付けてくる。」
頼もしさと同時に、キョウは苦渋に満ちた表情で続けた。
「南は……放棄するしかない。」
エマが息をのむ。
「キョウ……!」
「わかってる。わかってるさ……!
でも、もう手遅れなんだ……。
反乱軍の規模がわからない。
街ごと堕ちてる……こっちの戦力を割けない……!」
マリーナも黙り込んだ。
ここまで南が壊滅的だとは、彼女ですら予想していなかった。
最後に、キョウは地図の中央――ヴァルティア城に指を置いた。
「ここで籠城する。
総力三千……いや、後衛を含めても三千五百が限界だ。」
セレナがそっと彼の手に触れた。
「キョウ。あなたが決めたことなら……私たちは従う。」
キョウはわずかに目を伏せた。
「……みんな……ごめん。」
謝る彼を、誰も責めなかった。
誰より苦しんで決断したことを、全員が知っていたからだ。
それから数日――
ヴァルティアは、北と南を事実上放棄し、
城へと兵力を集中させた。
その間にも、外の情勢はみるみる悪化していく。
【北】
異民族は五千といっても、
五千の部族が一塊になって攻めてくるわけではなかった。
十数の部族が、それぞれ勝手に侵攻している。
ある村は夜明け前に焼け落ち、
別の村は昼過ぎに突然襲われ、
リディアたちが駆けつける頃には、既に半壊していることが多かった。
リディアは戦えば必ず勝った。
だが、勝てば勝つほど、
敵の侵攻範囲が広がるのを止められないという皮肉。
「……っ、追いつかねえ……!」
村の焼け跡で握りしめた拳が震えた。
【南】
反乱軍は、サーシャが裏で資金と武器を流していたため、
驚くほど統率が取れていた。
“貴族”というだけで縁が繋がり、
“反キョウ・反セレナ”を叫ぶだけで周囲の不満が雪崩のように合流する。
街の門を閉ざしたところで、
内側から内通者が開ける始末だった。
数万の軍勢が押し寄せ、
南の大半が炎に飲まれた。
そして――
【東】
帝国軍二万が到達した。
その中央に、一頭の白銀の騎馬。
背に乗る女の姿は、
その場にいた者全員の視線を奪った。
白磁のような肌。
整った顔立ち。
冷徹な眼差し。
紫紺の長髪を束ねた、圧倒的な威圧。
――ゼルフィア。
帝国四天王筆頭にして、
帝都防衛の要。
キョウは城壁からその姿を見下ろした瞬間、
息が止まった。
「……っ……!」
手が震える。
呼吸が荒くなる。
視界が揺れる。
(なんで……ここに……九条玲が……?)
違う。
違うのはわかっている。
だが――
ゼルフィアの姿は、あまりにも“九条玲”に似すぎていた。
声をかけることすらできない。
セレナが心配そうに覗き込んだ。
「キョウ……どうしたの……?」
キョウの眼は、怒りとも恐怖ともつかない色で染まっていた。
「……あいつは……絶対に……」
ゼルフィアが冷ややかに声を響かせた。
「ヴァルティアに告ぐ――降伏せよ。
そうすれば、民の命までは奪わない。」
その声音に、キョウは震えた。
そして――弓を掴んだ。
「キョウ!?」
セレナが驚く。
キョウの手は震えていた。
狙いも定まらない。
それでも、怒りに支配された手は矢をつがえ、絞り――
放った。
だが、矢は城下に大きくそれ、地面へ突き刺さる。
ゼルフィアの目が細くなる。
「……答えは、聞いた。」
次の瞬間、
帝国軍の陣に号令が走った。
城下を埋め尽くす二万、
その外側には三万の反乱軍。
ヴァルティア城は、完全に包囲された。
「攻城戦を始める。」
ゼルフィアの声が、
冷たい刃のように響き渡った。
――ヴァルティア最大の危機が、ここに始まる。




