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サンクチュアリ  作者: 葉山麻代


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ガランガランガラン

 ガランガランガラン。 


向日(むかい)さん、ご無事だったんですね! うわーん、良かったー」


 不動産屋の前担当者が、道端の一斗缶に躓きながら走り寄って来て、盛大に泣かれた。どういうこと?


「えーと、私はもしかして行方不明だったんですか?」

「はい。ご提案差し上げました仮住まい先にもいらっしゃいませんし、オフィスにも出勤されていないと伺いましたし、今回のことで水没された本をとても残念そうにされていた話を上の階の住人に話しましたところ、大変な貴重本であると判明いたしまして、そのショックで何かあったのではと、皆で探しておりました」


 水没したというのは、上の階の住人が、水槽の水かえ中に目を離し、下階に派手に漏水し、本棚の本が全損したのだ。壁紙の張り替えから、被害を受けたぶんは全て買い換えてくれたが、初版全巻セットなので、2度と手には入らないだろう。


「本は、確かにショックでしたけど、初版以外でも読むのに問題はないですから、行方不明になる程の、って、皆って、誰と誰ですか?」

「警察の他、上の階の住人のご夫婦、彼氏とおっしゃる男性、地域のお知り合いと言う方たちです」

「え! 本当に、そんなにたくさんの方が?」

「勿論、わが社の社員、パート、アルバイトまでも、常に写真を持ち歩き、探して回っておりました」


 少し思い出したことがあった。数日前、バスの停留所付近で見かけたのだ。それも私を探してあんな時間にいたのだろうか?


「あのー、数日前に、19時頃バス停のそばでお見かけしましたが」

「終点『猫の森』の少し先の森の入り口のところですか?」

「あら? 終点は、次の『森の(やしろ)』ですよね?」

「いえ『猫の森』が終点で、その先にバスが通れるような車道はありません」


 車道がない?なら、私が乗っていたあのバスは、どこを走っていたの?


「ですが、お客様の彼氏とおっしゃる男性が、『森の社』と言う駅で降りて家のそばまで一緒に行ったけど、一人で再び行こうと思ったら行けなかったと話していました」

「え?」

「そのため、私はあの場まで行って悩んでいました」


「でも、マオさんが、えーと、あなたの会社のマオさんが、家賃破格値で良いアパート、しかも煩わしい人付き合いも一切ないと言って、紹介してくれたんです。内装はとても綺麗だからって」

「わが社に、マオと言う名前の従業員は居りません」

「えええ!」

「どんな感じの人でしたか?」

「えーとね、まだらな茶色い髪で、」


 ふわっと思い出したマオのイメージが、頭の中から霧散していく。最初人だったマオのイメージは、最後に、笑うチェシャ猫のように、猫の姿でニッと笑い消えていった。


「思い出せません。今、記憶が猫になって消えました」

「そうなんですね。恐らくマオと言う名前も、偽名か、もしくは、中国語か」

「中国語?」

「猫は、中国語読みで、マオです」


 あんなに私の無事を喜んで泣いていたのに、猫と聞いて驚くどころか、冷静なことを不思議に思った。


「猫、と聞いて、驚かないんですか?」

「実は、昔も同様のことがありまして、うちではなく他社ですが、内見予定のお客様が行方不明になり、数か月後に発見されたときには、げっそり痩せていたとか、人の世を儚んで行方不明になったとされている人は、そのまま発見されなかったり、不動産屋の共通認識でして、お客様の場合、世を儚んだのではないかと、」

「あー。確かに、仕事で少し嫌なことがあって、自宅が漏水で大切な本が駄目になって、彼氏の我が儘に疲れて別れました。疑われてもしょうがありませんね」


 うんうんというように、相手は頷きながら聞いていた。


「猫の神様が直接お迎えにいらっしゃって、下界と切り離されるそうなのですが、どうやって戻られたのですか?」


「これこそ信じてもらえないと思うんですが、私、毎日会社に行っていたんですよ」

「会社にも顔を出されていたのは、仕事をされていたと言う話で把握しております」

「あ、そういう意味じゃなくて、普通の時間に出勤して、定時まで仕事をして退社して、誰一人私に声をかけてこなかったし、私が声を出すと、回り全員が驚いていました。でも、私の知らない人は、普通に私が見えているのに、私を知っている人からは私が見えないみたいでした。なので買い物等の生活には困らなかったんです」


 アパートにいたのは3週間弱だったが、完全に行方不明だったのは、6日間らしい。それはちょうどノアール君と会ったころからだ。そして私は不意に思い出した。本当に彼は猫だったのではないかと。110歳と聞こえた年齢は、本当に110歳で、毎晩迎えに来てくれた黒猫が、本当にノアール君だったのではないかと。


「猫の神様って、可愛らしい黒猫なんですかね」

「はい。そうです。真っ黒な猫で、瞳が金色に輝くそうです。偉い神様になる修行中で、偉い神様になると、黒い翼が生えるそうです」


 どうやら本当にノアール君は猫で、しかも若神様だったらしい。


「私、お友達になりました」

「それで、帰ってこられたんですかね?」

「そうかもしれませんね」


 会社の方で探さなかったのは、フレックスか在宅ワークですれ違っているのだろうと全員が考えていたからだった。なにしろ、机に積んでおいた仕事は、いつも通り翌日には終わらせて積んであるし、タイムカードの打刻もあって、欠勤ではないので、別所の勤務と考え、探す理由が無かったのだ。


回りの人たちが驚いた顔をしていた理由は、言葉が頭に浮かんだのに、それを発したと思われる人が見当たらなかったかららしい。



 マンションに戻ったあともう一度、猫の森を歩いてみたが、報告の通り、あのアパートやピクニックをした場所にはたどり着けなかった。

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