第1話 兄妹とさすらいの巫女
思えばこれは、偶然ではなく必然だったのかもしれない。
だけどこれは、僕の勝手な願望だったとも考えられる。
そうすれば、あの地獄のような毎日を必死に耐えた事にも、意味があると思えるから。
そうすれば、鳴海家で過ごした16年間を嫌な思い出と一括りにして一蹴しなくて済むから。
これは、僕自身の身勝手な願いであり、理想なのかもしれない。
それでも、意味はきっとあるはずだ。
なんせ僕は、今こんなにも幸せなのだから。
*
「この役立たずが!!」
凄い形相をしてこちらを睨む親父の表情を見て、僕は啞然となった。先ほど殴られた頬にはまだ痛みがしっかりと残っており、僕は抵抗したらもっと酷いことをされることを知っている僕は、抵抗するのを辞めた。
もう何度目だろうか。小さなことで怒鳴られ殴られの毎日、甘やかされた覚えなど全くと言っていいほど無く、僕はいつも傷だらけだった。
お風呂には1週間に一度しか入れてもらえず、ご飯もたまにしかもらえなかった。これが、僕にとっての日常、文字通りの地獄であった。僕はこの地獄から、何度も逃げ出したいと考えた事が、僕には逃げ出すことができない、ある理由があった。
「こんな簡単な事もできないのかお前達は!」
「「ご、ごめんなさい・・・・・・」」
「少しは五大陰陽師家の一つ、鳴海家の子供としての自覚を持たんか! このまま追い出してもいいんだぞ!」
「「ご、ごめんなさい・・・・・・」」
「全く! どうしていつもお前たちはこうなんだっ!」
「「ご、ごめんなさい・・・・・・」」
どうしてできないのか、それは僕たちも知りたい。どんなに頑張っても、何度挑戦しても結果は変わらず、いつも失敗ばかり。もう何回失敗したかわからない。
「そこで反省しとけ!」
「「ご、ごめんなさい・・・・・・」」
親父はそう怒鳴ると、涙を流す僕たちを置いてその場を去った。もう慣れてしまったが、今日も僕たちのご飯は用意されないらしい。
親父の気配が無くなると、僕は庇うように抱き締めていた僕の妹を放した。彼女の深く怯えた表情を見た僕は、双子とはいえ兄として彼女が安心できるように再びギュッと抱きしめた。彼女の小さな体が小刻みに震えていることに気が付いた。
「ほら、瑞稀、これをお食べ」
「あ、ありがとう、お兄ちゃん」
僕は、とっておいた最後のクッキーを彼女に渡した。たった一枚しか無かったけれど、彼女の空腹を紛らわせれるならと思い全て彼女に渡した。
僕がこの環境から逃げ出せなかった最大の理由は、僕の双子の妹である瑞稀がいたからだ。自分1人なら、ホームレスになっても今の生活よりは少しはマシな生活ができるかもしれない、でも瑞稀を僕の選択に付き合わせるわけにはいかないと考えていた。
だから僕たちは、来るかもわからない誰かの助けが来る事を、静かに祈るしか無かった。内心、そんな都合が良いこと起こるわけが無いと知りながら。
だけどその日は、僕たちの想像よりもずっと早くやって来た。
*
「何、今の音・・・・・・」
「わからないけど、とりあえず起きよう」
「う、うん。わかった」
暗く薄汚れた部屋の真ん中に引いた、カビ臭い布団に身を寄せ合うようにして寝ていると、突然の爆発音に目を覚ました。
警戒しながら身体を起き上がらせた僕たちはある異変に気がついた。正確な時刻はわからないが、今は夜なはずなのに外が妙に明るい。
「もしかして、火事かな・・・・・・」
「に、逃げないと、お兄ちゃん」
「う、うん。でも、どうすれば・・・・・・」
それが火事である事を理解した僕たちであったが、それがただの火事でない事も理解した。確証はないが、おそらくマガツキの仕業だ。だとしたら、僕たちはこの場から動かない方がいいのかもしれない。万が一、マガツキ達に狙われたら、戦う事も逃げる事もできない僕たちは、一瞬で死んでしまう。
「火の無い方に逃げた方がいいよ、お兄ちゃん」
「そ、そうだね。行こうか」
「う、うん」
出ていく事を決意した僕たちは、手を繋いだまま部屋の外へと出た。周囲を見回して燃えている方向を把握し、火の無い方向へと走り出した。あちこちから悲鳴が聞こえる中、止まったら死んでしまうかもしれないという恐怖と共に僕たちは無我夢中で廊下を走った。
あと少しで屋敷の外に出られるというところで、2回目の爆発が僕たちを襲った。
「うわっ!」
「きゃっ!」
運悪く爆発地点の近くにいた僕たちは、そのまま屋敷の壁へと身体を叩きつけられた。全身を、凄まじい衝撃が襲う。何とか起き上がった僕は、同じ場所に立つ瑞稀を引き寄せた。
「大丈夫か、瑞稀!」
「う、うん。でも頭が・・・・・・」
「っ!」
瑞稀は白くて細い腕で頭を痛そうに押さえていた。見ると、当たりどころが悪かったようで彼女は頭から血を流していた。
「す、すぐに治療しないとっ」
慌てながら、僕は懐から呪符を取り出した。この呪符は今日僕が描いたモノで、呪力を流すと描かれた効果を発動する事ができる。陰陽術に比べて効果は低い上、事前に札を用意しておかなければならないというデメリットはあるが、それでも呪力を操る事ができる人間なら誰でも扱う事ができるというメリットがある。だからこのように、陰陽術が全く使えない落ちこぼれの僕でも扱う事ができる。
まぁ、こんな事ができても、何の役にも立たない上に、僕が落ちこぼれである事は変わらないが・・・・・・。
「ありがと、お兄ちゃん・・・・・・」
「しっかりしろっ!」
そう言い残して、瑞稀はその場で気を失った。焦った僕は、全力で呪符に呪力を流し込んだ。しかし、瑞稀の頭から溢れ出る血は一向に止まってくれない。やっぱり、僕の描いた呪符が不恰好なのが悪いのだろうか。治る気配が全くしない。
「誰かっ! 誰かいませんかっ!」
自分の力だけでは無理だと判断した僕は、周りに助けを求めた。しかしながら、反応は全くと言っていいほど返って来なかった。何度も何度も力いっぱい声を上げたが、ずっと無反応のままであった。
いつもこうだ。
僕たちがどれだけ助けを求めても、誰も助けてくれない。助ける能力がある人はこんなにたくさんいるのに、どうして誰も僕たちに手を差し伸べてくれないのだろう。
「誰かっ・・・・・・」
続く言葉は、いつの間にか溢れ出ていた涙によって遮られた。助けを呼ぼうと試みたが、僕の心は折れかけていた。僕はこのまま、世界から見捨てられて死ぬのだろうか・・・・・・。
しかし天は、僕を見捨てなかった。
「大丈夫ですか? 御二方」
もう無理だ、と諦めかけたその時、僕たちがいた廊下が突然崩れた。そして、青髪のショートに茶色の瞳を持つ、可愛らしい巫女服に身を包んだ美少女が現れた。窮地に現れた彼女は、まるで天使のようであった。同じか、少し年上ぐらいの彼女に、僕は頼んだ。
「瑞稀が! 妹の瑞稀がっ!」
「どうやら気を失っているようですね。ですがご安心を、『再生』」
名前も知らない巫女服の美少女は、瑞稀の頭に手を当てると陰陽術を唱えた。僕がどれだけ頑張っても出来なかった事を、彼女は淡々とやってのけた。同時に、頭の傷はどんどん癒えていった。
「これで終わりです」
「あ、ありがとうございます。え、えっと、あ、貴女は?」
「あたしは雪音家の神楽巫女、沙月です、よろしくお願いします。」
沙月と名乗った美少女は、その場で深く頭を下げた。意外な行動に少し驚いたが、僕はそれどころじゃなかった。
雪音家、聞いた事はある。確か、鳴海家の分家の一つで、鳴海家と同様に大阪に本家があったはずだ。
「これで良し、おそらく妹さんももう少しで目を覚ますと思いますよ」
「ほ、本当に、ありがとうございました」
僕はすぐに、精一杯の感謝を彼女に伝えた。思えば彼女は、僕にとって初めての、手を差し伸ばしてくれた相手であった。
「では、私はまだ敵が残っているのでそろそろ行きますね」
「は、はいっ! あ、あの、困ったら、また助けてくれますか?」
「はい、困った事があれば、いつでも気軽に頼って下さいね。私にできる事ならば、いつでも手を貸します」
「ありがとうございます!」
「では・・・・・・」
そう言い残すと、彼女はそのままこの場を去った。
たった数分にも満たない出来事であったが、この出来事は僕と瑞稀の人生を大きく変えた。沙月との出会いは、この地獄のような日常から脱出することができるかもしれないという希望を僕たちに与えた。この日から僕たちの生活はいっぺんした。




