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救い

「ケホッケホッ……あ、ゴブリンさん。ありがとうございます」


 彼女が捕まってから数ヶ月ぐらいが経ったが未だに彼女は他の女性達と違って狂う素振りを見せず、牢屋で待っていた俺から濡れた布を受け取り自分で身体を拭っていく光景はすっかりと見慣れたものでそんな彼女を見ると、俺もほんの僅かに気が楽になり、用意してきたもう一つの布で別の女性の身体を拭うのが一連の流れとなっている。

 はっきり言ってゴブリンに捕らわれている環境というのは劣悪の一言で片付けて良いのか不明な程に酷い。昼夜を問わず、ゴブリンの気まぐれで肉体を犯される日々は碌な睡眠も取れないし食事も俺が運んでくるとはいえ、ただの肉を焼いただけの代物やその辺の食える野草を採ってくるだけの美味いとは言えない代物だし、糞尿は可能な限り視界に入らない様に隅の方でするしかない。


(常人なら三日もあれば狂い始める。此処はそういう地獄だ)


「ふぅ……神よ、どうかこの終わりなき地獄に救いを。そして救われなかった魂達にどうか導きの御手を」


 焦点が合わなくなっていた女性は俺の予想通りに死んでしまった。狂いに狂った精神はやがて全てを諦めて、何をされようが無反応になりそれがつまらなくなったゴブリン達にせめて食糧になれと言わんばかりに貪られて死んでしまった……俺はただいつもの様に隅っこで膝抱えて繰り広げられる地獄から必死に意識を逸らすのが手一杯だった。


(会話すら碌に出来なかっただろうに、そんな彼女の為に祈るのか君は)


 俺が考えるのも御門違いだと理解した上で、あえて考えるが彼女はこんな地獄に来ていなければ本来、所属する教会で村か町かは分からないけどそこに住む人々から人気が出たであろうくらいには整った容姿をしている。ゴブリンの体液に汚されてなお白く輝く肌と、太陽の光を受けて輝く稲穂の様な金の髪に澄んだ青空よりも澄み渡った青色の瞳は未だに残る彼女の幼さが完全に抜け切った時に、きっと美人になる事がありありと想像できる。


 本当に俺が考る事じゃないな。彼女が乗っていた馬車を襲って気絶させたのは誰だっての……あぁ、気持ち悪い。

 自分が生きるために許されざる行為をしているのは理解している。その上で、なんの足しにもならない自己満足の償いを繰り返している事も。


(……いっそ、ゴブリンの本能に沈めたらどんなに楽か。彼女を見ていると自分が醜く思えて仕方がない)


「ゴブリンさん?」


(うおっ!?いつの間に近くに!?)


「あははっ、そんなに驚かなくても。何か考え事に没頭してたんですか?」


 していたのは事実だが相変わらず俺は言語が発せられないし、発せられたところでこんな事を相談したところで優しい彼女を困らせるだけだから首を横に振って単にボーッとしていただけとアピールする。


「大丈夫ですか?もしも疲れているのならお勉強は別の機会でも」


(それは駄目だ!君との時間を縁にしている部分もあるのだから……頼む、やってくれ)


 ホブにバレたら正直、どうなるかは分からないのだがこの地獄の中で唯一まともに会話が出来るほどの理性を残している彼女との時間は何物にも変えられない価値があり、これから教えて貰うのはこの世界に無知な俺にとってとても有り難いのだから。


「前回は……ひ文字を一通り教えたんですよね。では次はカ文字です。私に続いてペンじゃなかったですね、枝を動かしてくださいねゴブリンさん」


(了解。と言っても多分ひ文字のパターンから考えてカ文字もおおよそ予想はつく)


「これが『あ』に該当する文字です」


 そう言って彼女が書いたのはカタカナの『ア』を上下反転させて書いた様な文字だった。

 予想通り、何故かこの世界は俺が来る前の日本と同じで『ひ文字』ってのはひらがななんだが、これも上下を反転させた文字だったからもしかしてと思ったけど、カ文字ってのはカタカナと同じ感覚で書けば良さそうだ。


「あ、また向きを間違えてますよゴブリンさん。ふふっ、文字のバランスは取れていますのに向きだけは間違えちゃいますね」


(うぐぐ……癖って恐ろしい)


 なまじゴブリンの手が人間の手を小さくした様なもので感覚がさほど変わらないのもあって、つい癖で日本にいた時と同じ様に書いてしまう。まぁでもそんな俺も微笑ましそうに見て笑う彼女の笑顔が見れるのになら別に良いか。

 こんな感じで彼女に時折、笑われながら前世と今世での文字の書き方の違いを身につけて簡単な文章であればそんなに苦労せずに書ける様になった。


「すごいスムーズですねゴブリンさん!村で教えていた子供達は一年くらいをかけて習得するんですが、数ヶ月ぐらいで覚えてしまいましたね」


『あなたノおしえかたガじょうずナおかげ』


「いえいえ……私なんて誰もが出来る事を教えただけです。女神様の加護が等しく訪れる様に。それがシスターとしての役目ですからね」


 あぁ……また笑顔を浮かべている。どうしてこの状況で彼女は笑えるんだろうか。しかもこんなゴブリンを相手に。


『しつれいヲしょうちデおききする』


「はいなんでしょうか?」


『ナゼえがおデいられる。オレはゴブリンなのに』


 君を拉致してきたのは他ならぬ俺だ。従わなければホブゴブリンに殺されていたとしても指示に従って、彼女を拉致したのは俺だ……ゴブリンだ。

 毎朝毎朝飽きもせず、彼女を犯して下卑た笑いを浮かべ続け苦痛を与えているそんなゴブリンにどうして、君は優しく出来る?殺したい憎たらしいと思わないのか?……どうしてそんな不思議そうな顔が出来る?


「んー……確かにゴブリンさんはゴブリンです。でも、私を犯したりしませんよね?」


『しない』


「ですよね。他の方々の手当ても出来る範囲でしていましたよね」


『してたケドけつまつハかわらない』


 皆んな狂って自殺するか狂って無謀にもこの地獄から逃げようとするかだけで、誰一人も俺は救えていない。


「貴方は優しいゴブリンさんです」


 暗い思考の渦に沈んでいたからこそその言葉を理解する事は出来なかった。むしろ聞き間違いだと思いすらした。けど、俺を見る彼女の目が何処までも優しいものだったから聞こえてきた言葉は真実なんだと分かってしまった。


「力が弱く上に逆らえないのは仕方がありません。私達だってそうなのですから。でも、与えられた環境で自分の出来る最善を助けようとした人に恨まれても貫けるのって凄い事なんですよ?」


 凄くなんかない。俺がしてる事はただの偽善で、自分が辛い思いをしたくない見過ごすよりはマシだと思っての行動で……君が褒める様なものじゃないんだ。


「貴方は優しいから自分を責めているのでしょう。だから私は私だけは笑っているんです。迷える子羊に救いを祈るのもシスターですから」


 そう言って彼女は胸の前で手を合わせ祈ると茶目っ気を出す様に舌を出しながら微笑む。あぁ……俺がこの子に救いを見出していた様にこの子もまた──


「──貴方がいるから私は笑えているんです。救われているのですよゴブリンさん」


 地獄の底にも救いはあったと信じられる気がした。

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