深淵より招かれる者
「……ふむ。これは不味いですね」
中央女神正教会にある大司教だけが入る事を許された部屋で、机の上に並べられた資料に目を通し終えたザハザ大司教は顎を撫でながら真剣な表情で呟くと鉄球を上げ下げしながら立ち上がる。
「異なる世界から救世主を呼ばねば我々に救いはないと判断し、シスター達をつまむぐらいであれば見逃してきましたが先の魔王一派との戦いが厄介な状況を引き起こしましたね」
彼が目を通した書類には多くのシスターとの懇ろな関係である事の証拠が並べられていたのだが、その内数枚に彼とテレジアが危惧していた女神教とは異なる異端の信仰に手を染めていたシスターとの関係が発見されたのだ。
「救世主殿は信仰心を持たぬ身。異端のシスターの部屋にある呪具を見たところで察しがつかなくても同然ですが、少々下半身に素直すぎた。呪術的に価値のある体液の交換、それが彼を媒介し異端信仰に染まっていないシスターをも汚染しているかもしれません。そうなると、分かりやすい異端の目を潰したところで潜在的な彼女らを見つけ出すのは不可能です」
既にザハザの指示によって、この報告書に挙げられた異端のシスター達は人知れず処理されているが彼女らはよく隠れ潜んだものだと呆れる他にない。
結果的に白崎の行動があったからこそ、気が付けただけであって彼の性事情が緩くなければ彼女らは潜み続け異端をもっと広く深く広めていたであろう事を考えれば、寸前のところで止めたという好意的解釈も出来なくはない。
「……女神の写し身は相変わらず俗世への関心はなく、二席は精神状態があまりよろしくない。更に救世主殿はこの二人すらも手に入れようと動いている。神よ、貴方方はよほど我ら人の子に試練を与えるのがお好きな様ですな」
大司教を預かるだけの事はあり、この部屋の至る所には無数の宗教道具が飾られており女神教が崇拝する女神像の他にも神を模したであろう像が散見し、独特な雰囲気を生み出しているのだがその中でも特に目を引くのは彼が今手に持っている鉄球を筆頭とした身体を鍛える為の道具達だ。
「再び戦場に立つ覚悟をしておく必要がありますね」
その言葉と共にバキャリと握られていた鉄球は砕け散るのだった。
「チッ、どうなっている?なんでシスター共が居ない」
それもお気に入りとしてよく使ってた連中ばかりだ。
俺がどんな女を抱こうとも文句を言わず、それでいて締まりも所作も完璧だった良い女達が軒並み姿を眩ましてやがる……残ってるのは一度抱いた程度で彼女気取りをする女や、嫉妬の多い奴、単に身体の相性が悪い奴とかそんなのばっかりでイライラが募る。
「街の女ってのも良いが、今日はシスターの気分だってに……」
苛立ちを壁にぶつけてみるが、小綺麗な大理石の壁には傷一つ入らずイライラの解消には物足りない。
異世界に召喚されて、その殆どを此処で過ごしているが何処も手入れが行き届いて煌びやか過ぎて今みたいにイライラしている時はただ此処にいるだけで自分のちっぽけさを感じれて嫌になるんだよな。
「……君はそればかりだね救世主よ」
「あん?……っとテレジアちゃんか。君から話しかけてくれるなんて嬉しいな」
いつの間に目の前に立っていたんだ?
まぁ良いか、ああにしても女神の写し身ってだけはあって絶世の美少女ではあるんだが、如何せん薄い身体付きは俺の好みじゃねぇんだよなぁ……まぁ、綺麗なものを自分ので穢せると思えば興奮も一入なんだが。
っと女神の写し身ってだけはあって、心が読めるのかこういう考えをしてるとほぼ無表情な顔に明らかな軽蔑が混じるのも気にくわねぇな。
「君の様な男の何処が良いのか私には分からないけど、グリゼルダにちょっかいをかけるのはやめてくれないかな。彼女は大切な妹を亡くして心が荒んでいるのだから」
「酷いなぁテレジアちゃんは。これでも結構、人気なんだぜ俺は。それにグリゼルダにちょっかいをかけてるつもりはなくて、あれはそう俺なりのアプローチってやつさ。良い女だろ?グリゼルダは」
「……君がそういう態度である限り、グリゼルダが靡く事はないだろう。この世界に勝手に呼び出してしまった負目もあったけれど、今は君が早く役目を果たして帰ってくれる事を願っているよ」
「は?おい、テレジアちゃん……って、無視かよ」
ただでさえ、イライラしてるってのに精々、一晩の慰めになれば良い程度の女に雑に扱われるとか余計にイライラする。
テメェらがこの俺をこの世界に呼んで、救世主と崇めたんだろうがよ……それ相応の報酬を受け取って何が悪いってんだ。
「……誰が帰るかよ。あんな誰も俺を見ようとしない世界なんぞに」
俺という男の人生は正直、退屈の一言に片付くものだ。
やろうと思えばある程度、なんでも出来るという才能こそあったが頂きに立つ程の才能には恵まれずどれだけ必死に努力し足掻こうともいつも……いつもいつも俺の目の前には必ず誰かが立っていて俺が欲しくて仕方のない黄金を首にかけ、数多の賞賛を浴び俺が夢見た世界で活躍していった。
「あぁ……それに比べればこの世界は素晴らしい。俺というだけで肯定され求められる。いつも隣で見ているだけだった羨望の眼差しが俺に向けられる……だからさぁ、テレジアちゃんよ。俺にとって女神の写し身である君は結構、目の上のたんこぶ、邪魔な存在なんだよね」
俺を見ないのなら!!俺に靡かないのなら!!テレジア、君をその頂きから引き摺り落とすとしようか。
「先ずは協力者を集めよう。なぁに、ちょっと囁いてやれば落ちるチョロいシスターはまだまだいるだろう。出来るならグリゼルダを抱き込みたいが、テレジアちゃんとは友人らしいし無理だろうな」
──欲望に飲み込まれた男は、自身の満たされる事のない欲望を満たす為に仄暗い道を歩み始める。
その過程で多くの人間の運命を歪めることになろうとも決して、男は止まる事はないのだろう……何故なら、知ってしまったから。
比類なき力を、渇きを満たす欲望の甘美な味を。
そんな男を見つめる影が一つ、男が進んで行った道の暗い地面からヌルリと姿を表すソレは男を誘う豊満な身体を持ち、背中から鴉の様な黒い翼を生やし額には一対の血の様な色をした角を持っており、酷く蠱惑的な金色の瞳を蛇の様に鋭くさせると先が分かれた舌で唇を舐める。
『──あら、あらあら?うふふっ!とてもアタシ好みの欲望を感じるわぁ……アタシの神様を呼び寄せるのに使えるかしら?』
男の欲望は深淵へと届いてしまい、その飽くなき欲望に吸い寄せられた悪魔は顕現してしまった。
あぁ、やはり世界とはこんなにも残酷なのだ。




