救世主 白崎光輝
「ふっ──!!」
「はぁ!!」
白崎光輝が召喚されてからはや、一ヶ月の月日が流れ彼は救世主足り得る強さの頭角をメキメキと現していた。
中央女神正教会に所属するバトルシスター達が日夜、己の腕を研鑽する訓練場にて彼と女神教第二席に座しているグリゼルダの戦いが行われる程度にはすでに彼に比類する者は居なくなっていた。
「ぜりやぁぁ!!」
日を追うごとに増大していく魔力によって、未だ専用の武器を与えられていない光輝は貸し出されたただの鉄の剣を己の魔力で白銀に輝かせながら、大鎌を構えるグリゼルダへと上段から振り下ろす。
『ニホン』と呼ばれる国で生まれ育ち、武器という武器は握ってこなかったと語っていた光輝であったが救世主と選ばれるだけはあり、素質が高く一を教えて千を知るレベルの天才が振るう一閃は並大抵の者であれば防御すら許さずに真っ二つに出来るであろう。
「──はぁ!!」
そんな一撃をグリゼルダは涼しい表情で受け止めると、地面に逃した力でクレーターが形成される中、クルリと大鎌を器用に動かし光輝の剣を絡め取ると引き寄せられた彼を思いっきり蹴り飛ばす。
「ぐっ!!」
「「「「きゃー!!光輝様ァァ!!」」」」
「……」
鳩尾に放った一撃の感想は硬いの一言に尽きるグリゼルダは、蹴り飛ばした瞬間に上がった周囲から聞こえてくる甲高い悲鳴に顔を顰める。
グリゼルダの趣味ではないが、人相は若干悪いものの全体的には整った顔立ちで訓練の影響か呼ばれた時より細身で筋肉質な肉体美を誇る光輝は少し乱暴な男らしい性格も相まって、男を知らないシスター達の心を瞬く間に掴んでいたのだ。
「けっ、やるじゃねぇかグリゼルダ」
「……気安く呼び捨てで呼ぶな白崎光輝」
紳士的かつ優しい男性が好みなグリゼルダには、一欠片も光輝の良さが分からない為、許してもいない名前呼びに苛立ちと絶対零度の視線を向けるが彼にはどうやら何も響いていない様で。
「ははっ、相変わらず冷たいなぁグリゼルダは。まっ、そういう女の方が口説くやる気も昂るってもんだ!」
野生味溢れる笑顔を浮かべ、シスター達の何人かをノックアウトしながら召喚時に与えられたスキルの一つ、『勇猛』を発動させ、上昇する心拍数と共に魔力量が跳ね上がることで得た加速力でグリゼルダへと突撃していく。
碌な戦闘経験を積んでいない者からすれば、姿が掻き消え目の前に現れたと錯覚する速度で向かって来た光輝が放つ右斜め下からの片手による一撃を大鎌の柄の部分を地面に突き、軽々と身を持ち上げる事で避けるグリゼルダ。
「『勇猛』のスキルは確かに基礎戦闘能力を引き上げるものだが、興奮状態になる事で判断力が鈍るのが弱点だ覚えておけ」
真下から自身を見上げ、胸に下衆な視線が集中している事に呆れ返りながら光輝が体勢を整えるより早く、右手を彼に向けるグリゼルダ。
「世界よ重くなれ──重力の鎖」
「ぐっ……!!」
立っていられない程の重力が光輝を襲い、苦悶の声を漏らしながら両膝をつく。
【愚者】ゴブリン・アサシンとの戦いでも見せたが、グリゼルダは単なる武力でも優れているが最も得意とする戦い方は魔法を織り交ぜた戦い方であり、これでもまだ殺すつもりがない以上手加減している状態だ。
「……私に勝てない様では魔王に勝つなど不可能だな」
光輝の首筋に大鎌を突きつけ、敗北を分からせる為に態と浅く斬りつけてから魔法を解除するグリゼルダ。
ふっと身体が軽くなった事で剣を手放し、両手をつく光輝はグリゼルダに表情が見えないのを良いことに怒りと屈辱で顔を歪める。
「底知れぬ資質を持つお前のことだ。腐らずに鍛錬を重ねればいずれ、その努力が応えてくれる事だろう……何も質問がない様なら私はこれで任務に戻らせて貰う」
背を向けて訓練場から去っていくグリゼルダの強き戦士としての背中に、光輝は悔しげな視線を向けるがすぐに意識を切り替え自分を心配して駆け寄って来たシスターの手を握り、慣れた手つきで腰に手を添えるとそのまま彼も何処かへと去っていくのであった。
「……なんで俺は生きてるんだろうな」
草木生い茂り、一面が緑一色の深い森の中を進むのはグリゼルダの一撃を受けて川へと落下した【愚者】ゴブリン・アサシンであった。
流れる川の勢いに抵抗出来ずに意識を失った自覚のある彼であったが、いつの間にかこの森に流れ着いておりしかも不思議なことに全身の傷が綺麗に塞がっていた事に驚きを隠せない。
「あのまま死んでも良いとすら思っていた筈だが……」
ゴブリンに転生するという地獄に身を置きながらも、理性を本能に心を狂気に渡す事なく今日まで生きる事が出来たのは自身のせいで地獄に落ちたというのに救いを祈ってくれた一人のシスターのお陰であり、そんな彼女と似た雰囲気を持つグリゼルダになら殺されても良いと思っていた。
シスターとの約束を違える事にはなるが、同じ復讐者の目をしていたグリゼルダに殺されるのならきっと彼女も許してくれるという理由で。
「……シスター。君の声が聞きたい……君の笑顔をもう一度見たいよ……」
フラフラと歩く【愚者】ゴブリン・アサシンは肉体は兎も角、心が疲れ切っているのだろう。
身を焦がす程の復讐心は未だにゴブリンを殺せと囁き続けているが、一度でも訪れる死を受け入れ心の拠り所であるシスターの姿を求めてしまった彼の心はその復讐心にすら応じる力は残っておらず、本来なら自殺を選ぶほどに弱りきっているが今度は彼女と共に祈った女神への信仰心が邪魔をしていた。
結果、彼はただ森を彷徨い木々の実りを口に運び生き存えるだけの生きた屍とほぼ同じ存在へと成り下がっていたのだった。
「……遠のく意識の中で君が死ぬなと言っている声が聞こえたんだ。酷いな君は……俺も出来るのなら君の側に行きたいのに」
もはやうわ言の様に言葉を漏らすだけの彼は力なく森を進み、やがて太陽は沈み夜が訪れてもなおその歩みが止まる事はなかった──背後から声をかけられるまでは。
『あの……少しよろしいかしら?人の言葉を発する不思議なゴブリンさん』
「……ん?」
振り返った先に立っていたのは、月明かりすら透ける半透明で淡く輝く青い光が輪郭をなぞっているこの森には似つかわしくないドレスを身に纏う銀髪のお姫様だった。
「幽霊?」
『あぁ、よかった私の姿が見えるのですね。私はアイリーン・マーガロイド、此処から少し先にある場所でゴブリンの群れに襲われて命を落としたとある国の第三王女です』
「……良いのか?目の前にいるのもそのゴブリンだぞ」
ゴブリンに殺された──そう聞いて、自分を恨んでいるんだろう?と自罰的な表情で問い掛ける【愚者】ゴブリン・アサシンに対して、アイリーンは優しく微笑むと口を開いた。
『貴方の言葉をずっと聞いていましたから。あぁ、きっとこの方ならあの人に寄り添えると』
「寄り添う?」
『はい。貴方にお願いしたい事があるのです。私を守りきる事が出来ず、自責の念から死後の魂を魔物に堕としてまでこの森でありとあらゆる生物を殺している我が親愛なる騎士、ヨトゥンを眠らせて欲しいのです』
痛いほど分かってしまった。
護りたいと願った存在を護る事が出来ずに、彷徨う幽鬼と化した騎士ヨトゥンの気持ちが【愚者】ゴブリン・アサシンはよく分かってしまった。
そして、生きる力を無くしていた心に確かな火が宿るのも自覚出来た。
「……俺と同じか騎士ヨトゥン」
『……はい。大切な方を失った事を嘆く貴方ならきっと。身勝手な願いなのは分かっています……ですがもう私の声すら届かなくなったヨトゥンの誇りをこれ以上、穢したくないのです』
彼女の口ぶりからしてこの森には足を運んだ人間すらもヨトゥンは殺しているのだろうと察する【愚者】ゴブリン・アサシンは自身の武器を引き抜き差し込む月光に照らし反射して映り込む自分の酷い顔を見て笑う。
「我ながら酷い顔だな……引き受けよう、騎士ヨトゥンは俺が眠らせる」
──その目には確固たる意志が宿っていた。




