消えぬ憎悪の火
「ふっ!」
ダンジョンをアイリ共に進みながら彼女の戦い方を隙あれば観察していて気がついた事がある。
天性の素質なのか努力の末に身に付けたものなのかは分からないが、彼女の動きはとても身軽で重い一撃を放ち仕留めるのはではなく、敵を翻弄し一瞬の隙狙い急所を的確に突くという動きが非常に上手くこうして観察している今も、物陰から現れた機械狼の噛みつきをまるで、後ろに目があるかの様にスルリと避けると獲物を一瞬見失った事で、動きが止まった隙を狙い核を一撃で砕いていた。
「……参考になるな」
ゴブリンである俺は筋肉を鍛えたところで劇的に筋力が変わるわけがなく、目指すべき戦い方はアイリの様なものだ。
今までは目指すべき姿なんてなかったし、我流とすら呼べない手探り状態だったがこれを機に彼女の真似から始めてみるのもアリだろう……罠があったとは言え、よくホブの野郎に勝てたな俺。
「いや……君のお陰か」
「ん?何か言った愚者君?」
「いやなにも。それよりもまだか?」
それなりに進んできたとは思うのだが、まだアイリの言っていた仲間が居た場所には辿り着かないのだろうか。 そんな事を考えていると彼女は視線を目の前の階段、つまり一つ上の階層へと視線を移し頷いた……なるほどな、この先と言うわけか。
「会話は最小限に音もなるべく出さないで行こう」
「了解した」
「……転送罠の影響でどれだけのゴブリンがいるか分からないから油断しないでね」
「慣れっこだ」
「そうだったね」
ゴブリン殺しのゴブリンだぞ俺は。
数の不利なんていつものことだ。
互いに足音を可能な限り殺し、服を着ているアイリに至っては衣擦れの音すらしない……確かナンバ歩きとか言う歩法だったかな。
「ギィ!!ギィァァ!!」
「ッッ!」
「……殺気漏れてる。抑えて」
落ち着け……連中の声が聞こえたからと言って殺気を漏らしていたらアイリに迷惑がかかる。
基本的に連中が殺気を探知することはないが、ホブの様に進化した個体がいればその限りではなくなる。
特にあの時のホブの様に肉体戦闘に長ける方向に進化した個体なら、漏れ出した殺気を辿り俺達を探し出す様な芸当を見せてもおかしくない。
──だから、今は思い出すな、彼女の死体を。あの日の絶望を。今だけは──
「……こっち」
グイッとアイリに手を引かれるとそのまま、すぐ近くの曲がり角の行き止まりに連れ込まれた。
なにを──とアイリの方を振り向くと彼女は俺の口元を押さえながらしゃがんで目を合わせてきた。
「君の憎しみを軽く見てたよ。少しだけ此処で時間を取るから深呼吸でもして落ち着いて」
「俺、は、大丈夫だ。アイツらを」
「殺したいのは分かるよ。でも、此処はダンジョンの中で連中の巣の中じゃない。君が戦い慣れてる環境とは違うんだ」
あぁ、そうだった。
此処はダンジョンの中で、ゴブリンの巣じゃない……いつもの様に罠を用意して最悪、巣の出口を全部壊して連中を生き埋めにとかそう言う手段が取れない場所だ。
「はー……ふぅぅ……すまん」
憎悪の火が消えた訳じゃない。
この憎悪が俺の中で消える事はないのだから、上手く制御していく事が重要だとアイリに気付かされた。
「本当に大丈夫?」
「あぁ」
「……ん。さっきよりは目も理性的だしこれなら良いかな」
じゃ、作戦会議をしようかと続けるアイリに俺は黙って頷いた。
──転送罠によって転移させられたゴブリン達は皆、殺気立っていた。
群れを作れるぐらいには社会性を有しているゴブリンが突如として、他の群れと合同で動く状況下に置かれてストレスを感じない訳もなく、それぞれの群れを統率していたリーダー個体にとっては己の地位を揺るがしかねない個体が増え、排除しようと殺気立ちそれ以外の個体も食糧や雌が居ない事で発散する術を持たないのだから。
既に殺した冒険者は食ってしまったし、それも平等に分けるなんてしなかったからこの場がゴブリンの蠱毒会場になるのは時間の問題であった。
「ギ?」
そんな中、群れの中で最も力を持たないが故に部屋の外周に移動していた一匹のゴブリンが通路の方から漂ってくる雌の匂いに鼻腔を擽ぐられる。
鼻をヒクヒクと動かす姿は見た目の醜悪さも相まって気色悪く、見る者全てを嫌悪させるもので普通なら他の同族に漂ってきた匂いを報告するところだが、抱えたストレスを一気に発散できるであろう雌の香りに己のモノを興奮させたゴブリンは報告する事なく、下卑た笑みを浮かべたまま通路へと歩き出す。
「ギア♪ギア♪」
小躍りでも始めるんじゃないかというぐらいにはテンション高く、鼻歌混じりのゴブリンはウキウキと通路を進んでいきそして──不意に足元の感覚が消えた。
「ギ?」
なにがと考えるまでもなく、落下していたゴブリンを待っていたのは無数の針山であり腹と頭を針が貫通し、悲鳴を上げるまでもなく絶命した。
「……一匹だけか。もっと匂いの強いのはないのか?」
「……」
「アイリ?」
スッと落とし罠の少し先から現れたのは、顔を赤くしているアイリと彼女の胸を守っていた下着を棒の先に括り付けている愚者ゴブリンであった。
「……恥ずかしいんだけど」
「ゴブリンの習性を突くならこれが早い」
「散々説明されたから分かるけどぉ……」
説明されたからと言って、自分の下着を棒の先に括り付けて振りますという行為を素直に受け入れられるかと言われれば無理と答えるのが乙女心。
しかし、愚者ゴブリンにとってはゴブリンの殲滅に使える物は全て使う主義の為、そんな繊細な乙女心を理解する素振りは微塵も見せず、落下したゴブリンを見下ろしていた。
「聞こえてくる声と言い……やはり群れを統率するのに長けたのは居ない」
もしも統率する個体がいるのなら、こんな逸れを起こさないと愚者ゴブリンは転移させられてきたゴブリン達の状況を察すると、懐から拾ってきた歯車を取り出して通路の先の壁へと放り投げる。
クルクルと飛んで行ってたソレが、壁に激突しカァン!っと甲高い音を立てるのと同時に再び隠れるアイリと愚者ゴブリン。
「ギィ?」
「ギァァ?」
すると音に釣られて五体程度のゴブリンが、先ほどの個体よりも注意深く周囲を警戒しながら現れ一匹が歯車を拾い上げると頭を傾げるが、次の瞬間漂ってきた雌の匂いに釣られて五匹とも先ほどのゴブリンと同じ様に串刺しの運命を辿る。
「……面白い様に落ちるね」
「だがこれで限界だ……流石に釣れなさすぎる」
本来ならもっと入れ食いに状態になってもおかしくないと愚者ゴブリンは続けながら、下着を棒の先から取り外すし、アイリへと返す。
その姿に不満を覚えなくもないアイリだったが、貧相な身体つきなのは自覚している為なにも言わずに受け取り身に付け直す。
「少し負担を強いるが良いか?」
「ん、良いよ。付き合わせてるのはこっちだしねってまだこっち見ないでね?」
「あぁ」
振り返ろうとしていた頭を戻して、愚者ゴブリンは聞こえてくるゴブリン共の声に意識を集中させる。
困惑、怒り、警戒……そう言ったストレスを感じ取るとやはりなと呟き、そのままの姿勢で口を開く。
「連中、苛立ち過ぎて周囲警戒が疎かだ」
「なるほど?」
「匂いで駄目なら本体で釣るしかない」
「えーと……つまり?」
「ダンジョンの中を走り回って罠で減らす」
「うわぁ、リスキー……」
思わず、引き攣った笑みを浮かべるアイリの反応は当然であった。
ダンジョンの中にある罠はかなりの種類があるが、大抵は即死級のものばかりでそれを敢えて発動させながらゴブリンの群れから逃げるなど、正気の沙汰ではないのだから。
「雑魚は釣れるはずだ。俺が残りの頭を潰す」
「はぁ……まぁ、魔法使いとか盾役が居ないこのパーティじゃ唯一の取り柄である足を活かすしかないもんねぇ」
「そういう事だ──さぁ、始めるぞゴブリンは皆殺しだ」




