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頼る縁

 幾つもの罠と策を巡らせて圧倒的上位者であるホブゴブリンから余裕を奪い、巡り合わせた猪をも利用して追い詰め仕留めたという確信が『彼』にはあったが、月の光を背負うホブゴブリンは身体中──特に猪の牙が刺さった腹部からの──出血しており立てる筈がないと前世と知識が告げている。

 だが、それでもホブゴブリンは立ち上がっている事実は変わらず、僅かに呆けてしまった『彼』は漸くホブゴブリンが腕を振り上げたタイミングで気を取り戻し、慌てて膝を曲げて飛び避ける。


「くぅ!!」


「ガァァァ!!」


 直撃はしなかったが生死の境にいる事による火事場のクソ力なのか強い殺意がホブゴブリンの力を増幅しているのかは分からないが、手負の筈の一撃は今までよりも強く叩きつけられた地面に蜘蛛の巣状の亀裂が入ると共に『彼』の軽い身体を吹き飛ばす拳圧が吹き荒れる。


「ゴブリンのチカラじゃ、ナイダロ!?」


 数メートルほど吹き飛ばされる『彼』は幸運な事に草むらの上に落ちた事で、怪我を負うことはなかったが少しばかりの愚痴を叩いている間に、ホブゴブリンは迫っており冷や汗を零しながらも草むらから飛び起き運良く近くに転がっていた手製の槍を拾い上げてホブゴブリンが避けられないであろう距離まで、引きつけてからその殺意に濡れている顔面目掛けて投擲する。

 何度も何度も行っている為に練度が上がったのか、今まで最もスムーズにかつ力を込める事が出来た会心の一撃とも呼べる投擲はホブゴブリンの反応を許さずに仕留められるという確信があった。


──超反応によって眼前で掴み取られた槍がバキリと砕け散るまでは──


「ホブゴブリンのつよさジャネェ……!」


「シハイ サカラウ ミトメヌ!!」


「チッ!」


 相変わらずの支配欲を見せるホブゴブリンは再び、腕を振り上げて『彼』を挽肉に変えようとするが大振り過ぎる一撃の為、先程とは違い細心の注意を払っている『彼』は容易く避けると巻き上がる拳圧に耐えながら使い終わった罠しかない森へと逃げ込んでいく。

 

「ガァァァ!!」


 忌々しそうに逃げる姿を見ながらホブゴブリンは怨嗟の叫びをあげると共に『彼』を追いかける形で森の中へと入る。

 強い殺意と怒りに支配されながら、ホブゴブリンは本能で理解していたのだろう。

 自分は『彼』に追いつき、軽く殴り飛ばすだけで勝てるが『彼』が勝ちを手に入れるには例え今までの焼き回しになろうとも自分に漬け込む隙を生み出し、殺すしかない弱い存在だと。


 今まで以上の万能感──死に瀕した事による脳内物質の活性化──による影響で痛みも何も感じていないホブゴブリンにとって今更、罠の雨霰など怯む事にすら値しなかった。


「クッ!」


 『彼』はどうにか使用済みの罠からまだ使える槍などを拾い上げて、投擲したり見え見えだとしても進路状に設置して突き刺さる様に仕掛けるのだがその尽くを暴力によって粉砕されていく光景に焦りが隠せなくなりつつあった。

 天然の迷路を利用して撒こうとしてもホブゴブリンは、目の前の障害を薙ぎ払い最短コースで追いかけてくる為にそう遠くないうちに、『彼』は自分に追いつかれると理解した。


「っっ、アレは!!」


「マテェェェェェ!!」


 逃げる先で発動していなかった大掛かりな罠を見つけ、笑みを浮かべた『彼』は仕掛けてあるソレが最も効果を発揮する位置関係に自分達が陣取れる様に調整する為、荒れ狂う嵐の如き暴れっぷりを見せるホブゴブリンの方へ足を止めて振り返る。

 『彼』のその動きを諦めたと思ったのかホブゴブリンは涎を垂らす口を愉しげに歪め、トップスピードを維持したままに激しく両腕をバタつかせ『彼』へと飛び掛かる。


「ムシかよ!」


 飛翔する虫の様に迫る姿に気持ち悪さを覚えながら、『彼』は大きく右へと飛び退くと土埃を上げながらホブゴブリンが派手に先ほどまで『彼』がいた場所へと着地し、土煙が晴れるより早く大きな腕を伸ばし掴み取ろうとしてくる。

 鼻先を掠めるギリギリで避けると道中で拾った鉄の短剣で、自分のすぐ横に伸ばしている木の蔦を切り裂き、直後重力に従って支えられていたモノ──太く大きな木の幹がホブゴブリンへと落下する。


「ガァァァ!?!?!?」


 丁度、腰の辺りにぶつかった木の幹はこの森に生えている蔦に絡め取られ、栄養を奪われる形で朽ちた木の成れの果てであり、『彼』が自力で設置した訳ではない所謂、天然物の罠だった。

 余計な部分切る事でたった一つの蔦を切る事で落下する罠に仕立てはしたが、思いの外蔦が丈夫でありゴブリンが接触した程度では切れず残っていたのだろう。


「……ホブゴブリンをたたきフセルほどの、いりょくダ。これでオワッテくれ」


 『彼』は罠が直撃した瞬間の光景をしっかりと見ていた。

 土埃の先で落下してきた木の幹によって、半ば鯖折りの様な上半身を仰け反らせたまま倒れ伏したホブゴブリンの姿を。

 やがて土埃が収まり、淡い月光の光が照らすその先で倒れ伏すホブゴブリンを見た瞬間、『彼』は安堵の息を吐きこれまで常に張り詰めていた緊張の糸がぷつりと途切れたのか、フラリとその場に座り込んだ。


「……おわった」


 全身に感じる凄まじい疲労感と胸にぽっかりと穴が空いた様な虚無感を抱く『彼』には微塵も、ホブゴブリンを倒したという達成感は無かった。

 むしろ、彼女を失ったという悲しみだけが残りそれをぶつけられるホブゴブリンも消えて、完全に行き場のなくなった感情が『彼』の心に深い悲しみを与え涙として零れ落ちる。


「──は?」


 故に反応出来たのは幸運であり、もしかしたら女神の加護だったのかもしれない。


「グルァァァァァ!!!!!」


 ホブゴブリンが凄まじい怨嗟に満ちた咆哮をあげると共に繰り出された剛腕が『彼』を襲い、咄嗟に短剣を盾にするが刹那の抵抗の後に、バギンっと砕け散りその勢いをモロに受けた『彼』の軽い身体は派手に吹き飛ばされ気がつけば巣のあった洞窟のすぐ近く──彼女の亡骸がある場所で転がっていた。


「コロス コロス コロス!!」


 ホブゴブリンの通った場所に赤い光の筋が出来るレベルで妖しく光輝く瞳は、殺意に満ち溢れておりあらぬ方向へと曲がっている左腕をチラリと見ると、次の瞬間、右腕で引きちぎりあろう事かその腕を自ら喰らう。


──ゴブリンロードへと至る素質、その全てを燃やし尽くしたとしても『彼』を殺すと決めたホブゴブリンはこの場に限り、尋常ならざる生命力と力を手にしていた──


「……」


 そんな化け物がゆっくりと迫る中、『彼』はピクリとも動かない彼女へと這いずり「ごめん……」と謝罪を口にしながらゆっくりと近づいて行くのだった。

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