上位種
ホブゴブリンは産まれながらに同族達とは何かがズレている事を自覚していた。
ゴブリンらしく自ら以外の存在を蹂躙する事に何一つ躊躇いはない事は共通していたが、ホブゴブリンはゴブリンらしからぬ知性でどうすればより強く生き残る事が出来るのかを自然と選び取る事が出来ていたのだ。
「ギィ……ギィ……」
ホブゴブリンにとってまず初めの分岐点は多少賢いだけの群れの長に指示されて出立した狩りにおいて、一部の考え無しがすぐ近くの村にいる人間のメスに発情し襲いかかった事で、村人総出の反撃を受けて壊滅しかけた時だ。
ゴブリンとは短絡で愚かな生物であるために、同族が死んだところで何も感じず寧ろ、馬鹿を嘲笑う様な醜悪極まる生物なのだがホブゴブリンは同族が死んだ瞬間に逃げ出し、隠れ潜む事で自身の死を遠ざけただけではなく村にいた冒険者崩れの男の動きを観察する事で振り回す以外の、いわゆる人間の術理の一端を真似事する事に成功した。
「ギィィア!!」
そこからホブゴブリンは自分より圧倒的に知性が劣るくせに、僅かに体格で優っているだけで長をしていたゴブリンを手に入れた術理に則った肉弾戦で殺すとそのまま、その群れを手に入れ臆病と言われるほどに慎重に雌を調達しては、数を増やしていく事になる。
「此処だ!!ゴブリンのくせに隠れ潜みやがって!!」
最もホブゴブリンにとって脅威となった分岐点は草木でカモフラージュしていたにも関わらず、僅かな痕跡から人間の冒険者に見つかり襲撃を受けた時だろう。
この時、既にホブゴブリンとしての進化を果たしてはいたが群れを育てるために多くのメスを捕らえていた事でホブゴブリンでは対処しきれない程の冒険者達が、巣穴へと集まっており、この時ホブゴブリンは何か一つでも判断を間違えれば死んでいた事だろう。
「……ヤレ」
己以外の全てのゴブリンを冒険者にぶつけさせる事で、逃げ出す時間を生み出したホブゴブリンはすぐ近くを流れている川へと飛び込む事で完全に追撃を振り切り、再び生存を勝ち取った。
──そして今、ホブゴブリンの優れた脳は警鐘を鳴らしている。
「ジャマ、ダ!!」
己が育て上げた群れを吹き飛ばし、肉片へと変わっていくのを見ながら何度目かの死んでくれを祈るが、ホブゴブリンの祈りは届くことなく、視界の端で己を憎悪に満ちた目で見つめる一匹のゴブリンが再び、すぐ近くの群れの中に紛れ込むのを見て盛大に舌打ちを溢す。
「ギィィア!!」
「ギィ!?ギィィア!!」
ゴブリンには忠誠心などという殊勝な精神性は全く備わっていない為に、自分を殺しかねないホブゴブリンへと非難の叫びをあげ、より強く深くホブゴブリンを苛立たせていく。
「ダマレ!!」
そうして叫びと共に雑にゴブリンを殴り飛ばせば、次の瞬間ホブゴブリンの背中に鈍い痛みが走り──それが粗悪な斧による一撃だと理解した頃には、既に下手人たるゴブリンは紛れ込んでしまいホブゴブリンの視界に捉える事は出来ない。
冷静さを欠き、力のままに暴れるだけではホブゴブリンは裏切り者のゴブリンに付け入るだけの隙を見せてしまうだけで、既に何度か攻撃を受けている背中は打撲により変色を起こしており、攻撃を受ける度に僅かに冷静さを取り戻すホブゴブリンであったがそれでも裏切り者のゴブリンを見つけ出す事は出来ない。
「ギィギィアギィ!」
「ギィ!ギィ!」
そうしている間にも森を抜けて来たゴブリン達が合流し、ホブゴブリンにとって最悪な状況が続いていく事になり、僅かに冷や汗をかき始める──が、しかしそれも一瞬でホブゴブリンはすぐに思考を切り替える。
「キエロォォ!!」
「ギィ!?!?」
「……ソウかんたんニハむりカ」
己だけが生き残れば次がある──即ち、ホブゴブリンは今の群れを放棄する事を決め目につくゴブリンの全てを殴り飛ばしていく。
その暴れようはまるで狂気に堕ちた獣の様だが、左右に激しく動く両目はほんの僅かな隙すらも見逃さずに裏切り者を殺すという明確な殺意に濡れており、先ほどまで攻撃の隙を突いて反撃していた『彼』も攻撃を避ける事だけに意識を割かなければ、肉塊の仲間入りを果たすと悟り攻撃に転じる事が出来なくなっていた。
「マダ シナヌ!!モット シハイヲ!!」
まるで嵐のように暴れるホブゴブリンの自身の配下であったゴブリン達の血の雨を浴びながら、生まれ持った支配欲を高らかに叫ぶ様を『彼』は冷静に見つめながらその辺に散らばっている斧を拾い上げて、ホブゴブリンの後頭部へと投擲するが、殺気或いは風切り音で攻撃を察知したホブゴブリンによる裏拳が斧を粉々に粉砕する。
「ソコカ!!」
「……」
生き残っているゴブリンの数が少なくなった事で、自身の後方で立っている裏切り者を血走った目で睨み付けるホブゴブリンはその巨体からは想像出来ない軽やかな速度で走り出すが、すぐに無数の武器がホブゴブリンへと向かって投擲される。
「ウットウシイ!!」
所詮はゴブリンが生み出す粗末な武器である為に、ホブゴブリンが軽く腕を振るうだけで投擲された武器は粉々に砕け散っていく事になるが、それでも迎撃を行う分だけ速度が下がる為に普段なら簡単に詰め寄る事が出来る距離を中々、詰める事が出来ず苛立ちが募っていく。
「……」
自身の狙い通り、ホブゴブリンが苛立っていくのを見ながら次々と武器を拾い上げ投擲しながらどんどん森の方へと下がっていく『彼』はやがて、完全に森の中へと姿を隠す事に成功する。
「ドコダ!!デテコイ!!!」
ズンッ!ズンッ!って足音と共に叫ぶが当然、返事は返ってくる事なくホブゴブリンが僅かに落ち着きを取り戻した頃には、かなり森の内側へと足を踏み入れていた。
辺り一面、緑の景色が広がる中、ホブゴブリンはピンっと足元に何かを引っ掛けた感覚を感じると同時に頭上から鋭く尖った木の槍が降り注ぐ光景を見る事になる。
「グオッ!?」
『彼』が仕掛けた罠の中で最もゴブリンに対する殺傷力の高い木の槍は、この場所以外でも多くのゴブリンを串刺しにしているのだが通常種よりも一段上にいるホブゴブリンを仕留めるには威力が足りず、何本かは突き刺さるがその命を奪う事は出来なかった。
「……」
「ニガサン!!」
太い木の裏からヌッと姿を現した裏切り者へと再び、沸騰した怒りが突き動かす衝動に従い追いかけるホブゴブリン。
しかし、多くの木々が鬱蒼と生える森の中では小柄な方が動きやすく冷静さを失っている状態では追いつく事が出来ず、暫くの間近づ離れずの追いかけっこが繰り広げられる事になるが、その間にも数々の罠がホブゴブリンは襲う。
「ガァァァ!!」
木の槍、石の礫、無数の蜂、生い茂る草に隠された槍……数多くの罠がホブゴブリンは襲いその度に少しずつ、距離を開かれていき開けた場所に出た頃にはホブゴブリンの視界から『彼』の姿は消え、代わりに──
「ブルゥゥウ!!」
──子を失い怒りにくれる猪がホブゴブリンへと突っ込んできた。
「ゴホッ!?」
鋭い突進が浅い傷を抱えるホブゴブリンの腹部へと見事に突き刺さると、派手に吹き飛び後方の木の幹へと激しくぶつかるが、猪の怒りは収まる事を知らずに地面へと何度も蹄をぶつけ合わせると先ほど以上の速度でホブゴブリンへと向かって突撃する。
「ウォォォォ!!!!!」
先程の一撃で意識を失っていてもおかしくないホブゴブリンだったが、裏切り者への怒りで気を保たすと共に両手を握り締め、突っ込んでくる猪の脳天へと全力で叩きつけグチャリという音共に猪の頭部が陥没し息絶える。
「グッ……ドコダ……ドコニイル!?」
腹部に刺さっててしまった猪の牙を引き抜きながら、ホブゴブリンは立ち上がり叫ぶと共に首筋に冷たい殺気が走る。
「ここだよ」
「グッ!?」
短剣が横一文字に振るわれると共にホブゴブリンの巨体が膝から崩れ落ちる──決着は静かに訪れた。
「はぁ……はぁ……」
切れる手札の全てを切って最後の最後に、自分の匂いを覚えていたのであろう猪が襲来した事で勝ちを得た『彼』は息を切らしながら崩れ落ちたホブゴブリンへと背を向けて、彼女の元へと戻る為歩き始める。
この世界に転生して初めて、全力の殺意で臨んだ戦いが終わり自分はこれからどう生きるべきかと喪失感を抱きながらフラフラと歩く『彼』を黒い影が覆う。
──異端を産んだ種の持ち主もまた、異端である──
「ガァァァ!!!!!」
「……ウソだろ」
半ば骸になりかけている身体を殺意と怒りで塗り固めて、ホブゴブリンは再びこの世に舞い戻る。
互いに互いを殺す事しか考えられない二匹の正真正銘、一騎打ちの戦いが今、始まろうとしていた。




