鬼軍曹
「ええ、そうですわ。潤沢な資金のある家にある嫁げば、美味しいものを食べて過ごせますわ。ただ、そのためには、クリスタ様、貴女自身が相手から、喉から手が出るほど欲しがられないとなりません。愛している相手には皆いくらでも貢ぎますからね。いくらお金のある相手でも、愛されなければ自分のためにお金を使ってもらえませんもの…」
いきなり饒舌になったセレナは、最後の言葉の時だけ、まるで自分のことを言っているかのように遠い目をしていた。
「なるほど…セレナ先生!私、どんな高貴な方からでも見初められる立派な淑女を目指しますわ!全ては私の美味しいもので溢れた我が人生のために!!」
「大変ご立派な覚悟で素晴らしいです!私が本気で磨き上げて差し上げましょう。」
意気投合した二人は、完全にズレた目的のために淑女を目指すことを誓い合い、握手を交わした。
「では、5年後の学園入学に向けて、徹底的に淑女教育を叩き込んで参りますわ。」
先ほどとは異なる、圧のある笑顔でにっこりと微笑んできた。
「え…私学園に行くつもりなんてなかったんですけど…」
この国には、15歳になる年の貴族の令息令嬢の通う学園があるのだが、強制力は無い。婚約者の決まっている者は、学園には通わず、嫁ぎ先で教育を受けるためだ。
現時点で婚約者のいないクリスタは学園に通うべきだが、前世の記憶を思い出した今は、学校なんて煩わしい場所に行きたくないわと漠然と考えていたのだ。
「では、逆に伺いますが、学園に行かずして、どのようにして優良物件をお探しになるおつもりですか?」
「その…縁談、とか?」
「甘いですわ!縁談なんて所詮、家同士が利益のために結ぶ者。当事者に愛はなく、そのような希薄な関係性で、愛されて貢がれる生活など夢のまた夢ですわ!」
語気が強くなった。
やはり、自分の結婚で何か思うところがあるらしい…。
「確かに…お見合い結婚に愛があるイメージはないものね…。セレス先生の言うとおり、学園に通って、そこで見つけるのが良さそうな気がしてきました。」
「ええ、そうですわよ。だからこのわたくしが、他の令嬢との闘い方も仕込んで差し上げますわ!しっかりと鍛え上げ、万全な状態で本番の闘いに臨みましょう。あと5年しかありませんからね、1日たりとも無駄にしないよう、厳しく参りますわよ!」
「これも、美味しいものを食べる人生のため…はい!どんなに辛くてもやり切ります!どうか宜しくお願いします!!」
決意を新たにしたクリスタ。
この日から早速、セレナという名の鬼軍曹によって、地獄の特訓が始まったのだった。
ちなみに、セレナは邸の一室を当てがわれており、住み込みで家庭教師業を承っている。つまり、クリスタは、朝から晩まで授業を行える環境にあった。
翌日から、クリスタの1日はガラリと変わった。
鬼軍曹セレナによって、朝起きてから寝るまでにやることを全て決められたせいだ。
起床後まずは、セレナ特製のデトックスジュースを1杯飲む。変な匂いの草の苦味とレモンの酸味と口に残る嫌な甘味が口いっぱいに広がる。朝から中々の苦行であった。
朝食は、サラダとお肉や魚、パンをバランス良く、肌に良いとされる果物も沢山出される。
朝食後は、座学の時間だ。
この国の歴史、周辺諸国のこと、貴族社会のあれこれ、領地経営のいろは、礼儀作法、言葉遣いやマナーなど、令嬢には必要無いものまでかなり幅広く学ぶ。
あまりの多さにクリスタは悲鳴をあげたが、セレスに、高貴なお方は馬鹿な女とはお話しないですからねと笑顔でぶった斬られた。
昼食は野菜たっぷりのサンドイッチと具沢山のスープという、この国の貴族にして、かなり軽めの内容だった。
セレナの言葉を借りて言えば、『いくら成長期とは言え、3食デザート付きて毎日召し上がっていたら、あっという間に小豚さんになってしまいますわよ、ホホホホッ』とのことらしい。
午後は、所作を徹底的に磨かれた。歩き方、立ち姿、お辞儀の仕方はもちろんのこと、男性に呼ばれた時の振り返り方、効果的な上目遣いの方法などマニアックなものまで徹底的に仕込まれた。
夕飯は、クリスタが壊滅的に苦手な所作の授業の出来具合によって決まる。その日の目標に到達していれば、通常のフルコース。
減点があれば、1点ごとに皿が抜かれていく。しかもメインディッシュから。
この仕組みにより、それはもう死に物狂いで授業に臨んでいた。自主練までみっちりとなすほどであった。
夕飯後はダンスの基本を学び、それでようやく授業は全て終了となる。
だが、クリスタの1日はまだ終わらない。湯浴みではハンナに全身をマッサージされ、よく分からない液体を肌に擦り込まれ、髪にもオイルを塗られる。
湯浴み後は、顔にパックをされ、爪を磨かれ、ハンドマッサージを受け、これでようやく全行程終了となる。
ここまで終えたクリスタは、倒れるようにベッドに入り、泥のように眠る。
そんな日々をひたすら繰り返した。
一ヶ月ほど経ったある日、セレナからクリスタにご褒美が与えられた。
「毎日夢に向かって頑張るクリスタ様に。とても参考になると思いますわ。」
キラキラの笑顔で渡されたのは、紙の束だった。かなり分厚い。
ペラペラと紙をめくったクリスタは、驚愕の表情を浮かべた。
「し、師匠…これはもしや…!!」
いつの間にか先生から師匠呼びになっていたクリスタは、わなわなと震える両手で紙の束を大事そうに抱え、感激する瞳をセレナに向けた。