媚薬の誘惑
「ねぇフランツ、欲しいものがあるんだけど。」
麗らかな日の朝食の席で、クリスタが控えめに隣の席を見る。自分よりも背の高い彼の表情を窺うため、自然と上目遣いになった。
その瞬間、フランツの心に激しいほどの熱が走る。
くっ…今日も俺の妻は美しい。こんなに近くにて、俺の名を呼んでくれるなんて…
日常茶飯事の妻のおねだりだというのに、彼の心は今日も変わらず喜びに狂っていた。だらしなく緩みそうになる顔を手で押さえ、意識して落ち着いた低めの声を出す。
「俺の可愛いクリスタ、何でも言ってくれ。」
ありったけの甘さを込めた柔らかな笑みで、すぐ近くにいるクリスタの目を見る。それだけで急速に心が満たされていく。まさに至福の時間だ。
「媚薬ってどこで買えるかな?」
「………びっびやっく!!!!????」
驚きのあまり、フランツの声がひっくり返った。
二人きりのダイニングルームで音を立てて椅子から立ち上がり、唖然とする。
は…なぜクリスタの口から媚薬なんてものが…そもそもそんなものを彼女が知るはずない。いやしかし、もしクリスタが夫婦生活を望んでいて、遠回しに主張しているのなら今すぐにでもっ…ついに俺たちが…いやまだ朝だ。さすがに夜まで待つべきでは…
目を回しながら頭の中でぐるぐると考えを巡らせるフランツ。仕事ならば即断即決の彼だが、愛妻のこととなると途端に弱気になってしまう。
立ち尽くしたままぶつぶつと独り言を唱え、一向に落ち着く気配がない。
その隣で、クリスタが少しだけ不思議そうな顔をしながら大口でパンケーキを頬張っている。
「フランツがそんなに動揺するなんて、めちゃくちゃ貴重で信じられないくらい美味しいんだろうなぁ…あぁ食べてみたい!」
「え」
クリスタの言葉に、フランツが糸の切れた人形のようにどすんと音を立てて椅子に座った。そのままギギギと音を立てながら横を向き、恐る恐る思ったことを口にする。
「クリスタ、まさか媚薬が何か知らない?」
「もちろん知ってるよ!ものすごーーーーく美味しいものだって!口にするとふわふわした気持ちになって、幸せに満たされるんだって。」
「ふっ」
クリスタにキラキラとした無垢な瞳を向けられ、フランツの口から乾いた笑い声が漏れ出た。瞳には深い悲しみと自責の念が浮かんでいる。
「ちなみに、誰から媚薬の話を聞いたんだ?」
クリスタの髪を弄りながらいじけたように尋ねる。どうせまたあの師匠と慕う相手の仕業だろうと思いながら。
「ああ、エメリヒだよ。この前フランツがいない時にお土産を渡しに邸に来て、その時教えてくれたんだ。フランツに聞いてみるといいよって。」
「…………あいつか。」
フランツのこめかみにピシッと青筋が立つ。
今目の前に彼がいたのなら、片手でその首をへし折っていたであろう。
「クリスタごめん。ちょっと今からやらなきゃ行けないことが出来た。なるべく早く帰ってくるけれど、お土産何が良い?」
「うーん…媚薬を食べてみたかったけど…」
「それはいずれ。じゃあ、隣国で今話題の菓子を手に入れてくる。きっとエメリヒが泣いて喜んで手配してくれるだろう。」
「やったぁ!(早く食べたいから)急いで帰って来てね!」
「ああ。クリスタのために、用事を済ませたらすぐ帰ってくる。」
喜ぶクリスタの頭を撫で、髪にキスをする。
フランツは使用人にクリスタのお茶のお代わりと馬車の手配を頼むと、ジャケットを羽織り邸を後にした。
***
「よう。こんな早くから珍しい……な。」
先触れもなく朝から訪れて来た幼馴染に会うため客間にやって来たエメリヒだが、軽い足取りは中にいたフランツの顔を見た途端凍り付いて床に張り付いた。
全身から烈火の如く怒りを撒き散らしているフランツに憎悪と殺意のこもった視線を向けられ、エメリヒが己の死を悟る。
「せめて結婚したかったな、はは。」
「平民に降った後でも勝手にすればいい。」
「いや待て!それ、俺の家を取り潰すって言ってるのと同義だろ!」
「このまま貴族でいられるとでも?」
「……落ち着け。分からないけど、俺が悪かった。まずは罪状を読み上げてくれ。」
エメリヒが両手を上げ、完全降伏の姿勢で目を伏せる。こういう時のフランツは絶対に刺激してはいけないと良く分かっていた。
「俺の愛しき妻の美しい耳に、媚薬なんて下衆な言葉を吹き込んだ大罪人は誰だ?」
「…………………………あ、俺です。」
「以上だ。」
「ちょっと!!!!話を聞けって!!!なぁ!」
一瞥すらせず、本気で出て行こうとするフランツの足元に縋った。ゴミを見るような目を向けられるが、鋼の精神で耐える。
「違うんだよ!俺なりに考えがあってさ…ほらこの前、王宮から3年の白い結婚は全て解消させるって御触れがあっただろう!?だから、お前たちのことが心配で何かのきっかけになればと…」
突き刺すような視線を向けられ、エメリヒの声が徐々に小さくなる。
「それでこんなことをしたと?これを善意とでも言うつもりか?」
「いや…悪かったと思ってる。配慮の足りないことをした。でも、このままじゃ二人強制離縁だぞ?同じ相手と再び婚姻を結ぶことは出来ないし、どうすんだよ。それまでにちゃんと夫婦になれるのかよ。」
「余計なお世話だ。ちゃんと考えている。」
いまだ床に這いつくばって足元にいるエメリヒに冷たい視線を向ける。
先ほどお茶を出すため使用人がやって来たが、状況に驚いて逃げるように部屋から出て行ってしまった。
「あのお嬢さん相手に出来んのかよ。」
「ああ、簡単だ。離縁させられたら、今度は養子縁組をすればいい。」
「……は?」
「夫婦であることにこだわりはない。娘として迎えれば彼女の縁談全て断れるしな。愛しい相手の人生をまるごと請け負う親という立場も悪くない。むしろ唆る。」
「いやお前………相当だな。」
立ち上がろうとしたエメリヒがふらふらと床に座り込む。フランツの考えが斜め上過ぎてついていけない。海よりも深い彼の愛情に、驚きを通り越して軽く引く。いや、激しく引いていた。
「分かったのなら、俺は帰る。お前は最後の晩餐でも楽しむんだな。」
「いやだから!それ本気か冗談か分からなくて怖いんだよ!真顔で言うなよ!こういう時はせめて口角を上げろ!」
「クリスタが満足する珍しい菓子を用意出来たら考えてやる。5秒以内に用意しろ。」
「そんな野盗じゃないんだから…菓子よこせとか、どんな脅しだよ。」
「1.2.3…」
「分かった!分かった!!誠心誠意用意させてもらう!だから数えるのやめろ!怖いんだよ!」
こんな時のためにと日持ちする希少価値のある菓子を用意していたフランツ。部屋にあったベルの音をガンガンと鳴らし、呼びつけた使用人に支給用意するよう鬼気迫る表情で伝えていた。
お読みいただきありがとうございます!
フランツのために書き続けている番外編ですが笑、いつかのその日を目指して、また気が向いたら投稿出来ればなと思います(´∀`)




