寝室騒動 前編
落ち着いた雰囲気のいつもの喫茶店、湯気の立つマグカップがフランツの前に置かれた。
彼は無意識に目の前の陶器の入れ物から角砂糖を摘み上げ、マグカップの中に落とし入れる。スプーンで混ぜることも忘れ、角砂糖は溶けながらゆっくりとカップの底に沈んでいった。
「相談がある。」
真っ黒なカップの中を見つめながら、フランツは暗い声を出した。
相談を持ちかけられたエメリヒは、一口サイズに切り分けたケーキを口に入れたままため息を吐く。
「……なに?」
どうせクリスタ絡みのしょうもない話だろうと思いつつ、アフタヌーンティーのセットと最高級ブランドティーを奢ってもらったエメリヒは話を聞く姿勢を取った。
ティーカップに口を付けたままフランツに視線を向ける。
「どうすれば、クリスタと寝床を共に出来ると思う?」
「ブフォッッッ!!!」
歪ませた美形が紡いだ言葉に、エメリヒは盛大に紅茶を吹き出した。
幸い紅茶飛沫はテーブルの半分までしか被弾せず、眉を顰めたフランツがおしぼりを投げつける。
「おいおいおいおい!昼間っからなんて話をしてんだよ!そんな夫婦生活の話を人様にするな!だいたい後継の心配なんてまだ…」
片手でキャッチしたおしぼりで顔面を拭いながらエメリヒは焦った声で捲し立てた。
「何の話をしてる?俺は、どうやったらクリスタが一つの寝室で寝起きしてくれるかって悩んでるんだが…彼女は俺と寝室を別にしたいらしい…どうしてなんだ…はぁ…」
「は。。。。。。。。。。」
椅子から立ち上がりかけていたエメリヒは、ポスッと力なく腰を下ろす。
自分の盛大な勘違いに、頭痛がのする頭を掌で抑えてテーブルに肘をついた。
「いやそうだよね…そもそも無理やり結婚に持ち込んだようなもので、お前はまだまだ片想いの状態だったのを忘れてたわ…はは…」
「例えばだが、毎日とは言わずともたまにこちらの寝室に来てもらって、同じ部屋で寝たら翌日褒美に宝飾品を用意してやるとか…いや、クリスタなら金品よりも希少な食べ物の方が喜ぶな。うん、これならいけるかもしれない…我ながら名案だな。」
「……おいやめろ、フランツ。その犯罪めいた思考を今すぐ捨て去りなさい。」
真正面から不穏な言葉が聞こえてきたエメリヒは、すぐさま顔を上げてテーブルの上に身を乗り出しフランツの手首を掴んだ。
幼なじみが犯罪に手を染めぬよう、必死の形相で説得を試みる。
「いやしかし、それ以外に彼女が喜ぶものなど俺は知らない…相手に頼み事をするのなら相応の見返りが必要だろう?」
「領地間の争い事と一緒にすんなって。お前らは形だけでも夫婦じゃん。きちんと話し合えば分かり合えるんじゃないの。クリスタ嬢の話を聞いて彼女の不安を取り除いてやるのが夫の仕事だと思うけど?」
「おい」
「……………なんだよ。」
蛇に睨まれた蛙如く、何か余計なことを言ってしまったかと怯んだエメリヒが小さな声で言い返した。
たまに天性の圧を出してくる幼馴染の姿に未だ慣れず、見た目麗しい者の凄みにどうしても怯えてしまう。
「アルトナー夫人」
「は?」
「既婚者のことを軽々しく下の名で呼ぶな。」
は。
なんでこんな理不尽に怒られなきゃいけないんだよ…そもそも誰のために今相談に乗ってやってやると思って…自分に自信がなくて嫉妬深いせいで俺に八つ当たりしやがって………
「返事」
「………お、おう」
公爵令息の持つプレッシャーに抗えるはずもなく、エメリヒは心の内とは裏腹に従順に頷いた。
苛立ちと己の恥ずかしさを紛らわすかのように、目の前のティーセットに手を付けて次々と口に運ぶ。
「ありがとう。」
すると食べ続けること数分、フランツが唐突に礼の言葉を口にした。
滅多に聞かない言葉にエメリヒは驚いて顔を上げる。
「妻と話してみる。」
「・・・」
ダメ押しで「妻」の存在をアピールしてきたフランツに、エメリヒは呆れてもはや何も言わなかった。
なんだよ、妻呼びしたかっただけじゃんか……
そう思い、ティーセットの二段目の皿に手を伸ばした。
手に取ったスコーンを上下で半分にし、ブルーベリージャムとクロテッドクリームをそれぞれに塗って再度重ね合わせる。片手で持ち替えてサクリと齧った。
どこか拗ねた表情でもぐもぐとスコーンを食べ続けるエメリヒ。
「こらからベルツ邸に行ってくる。」
「行動が速いな。」
「ああ、急を要するからな。また話を聞いてくれ。」
「もういや。」
エメリヒの拒絶を耳にする前に、フランツはテーブルの上にあった伝票を片手で取り上げて颯爽と出口へ向かって行ってしまった。
堂々と闊歩するフランツの背中に女性客の視線が集中している。
「なんなんだよ、ムカつく。」
結婚しても尚女性の視線を釘付けにするフランツに、エメリヒは悪態をついた。
それでも彼のイライラは収まることなく、店員を呼びつけアルトナーの名を使って追加注文を行っていたのだった。




