カトリンの崩壊
「お嬢様!」
平手打ちをされて床に倒れたクリスタの元に、慌てた使用人が駆けつけた。上半身を抱えて起こし、ハンカチで血を拭い、他の者が持って来た濡れタオルで赤くなった頬を冷やした。
「ありがとう…」
気丈に振る舞う(ように見える)クリスタの姿に胸を打たれた使用人は、カトリンに向き合った。
「カトリン様、これ以上看過することは出来ません。まだ続けるのでしたら、御当主様にご報告を上げざるを得ません。」
毅然とした態度で、言い放った。
「な、なんなのよ!私は悪くないわよ!そいつが悪いのよ!私は嵌められただけなんだから!!!何もしてないわよ!!!そいつが、そいつが、、、そいつのせいで!!!!」
叫び声に近い半狂乱のカトリンから発せられる言葉は、誰の心にも響いていなかった。直前にぶっ叩いているところを見ているのだ、そんな戯言信じるわけがない。
一層、皆の目に非難の色が強く出た。
「お義母様…」
使用人の腕に抱えられて座っていたクリスタは、ゆっくりと立ち上がった。
一歩二歩とカトリンに近づく。
クリスタの突然の行動に、カトリンは無意識に恐怖を感じ、後ずさった。
避けられた距離を詰めるように、最後の一歩を大きく踏み出すと、クリスタはカトリンの太ももに抱き付いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」
身体を震わせながら、何度も必死に謝った。
日頃から嫌がらせを受け、たった今暴力を振るわれたばかりだと言うのに、それでも母親にしがみついて謝る姿は、見ている者の胸を締めつけた。
あまりの姿に、皆目元を押さえ、涙を堪えている。
「ちょっと!!!離しなさいっ!!どうせまた演技のクセに!!この、性悪め!!!私に触るなっ!!!!」
カトリンのあまりのひどい言い様に、使用人達の感情は悲しさから明確な怒りへと変わった。辺りを包む空気の温度が下がる。
そんな変化になど気付かず、カトリンは一人で喚きまくっている。
敏感に空気の変化を感じ取ったクリスタは、トドメを刺しに行った。
カトリンの足にしがみついたまま顔をあげ、こっちを見てとばかりにスカートの裾を数回引っ張った。
「お前は、なんなのよっ!!!!」
鬼の形相で睨みつけながら、金切り声をあげた。悲鳴に近い声と尋常ではない主人の姿に、異様さを感じ、恐怖で肩を震わせている者まで出て来た。
それほどまでに異常な光景であった。
「早く消えろよ。」
カトリンの目を見て、にっこりと微笑んで言い放った。
「この、悪魔!!!私の目を見るなああああああああああああああああああ!!!!!!」
さっきまで泣いて許しを請うていたと思ったら、次には満遍の笑み、そしてその次は、10歳の子どもとは思えない乱暴な言葉。
もう何が正しいのか、わけが分からなくなってしまった。
その結果、半狂乱だったカトリンは、完全な狂乱状態へと陥ってしまった。
錯乱状態のカトリンは、使用人に両脇を抱えられ、自室へと強制送還されていった。
「また随分と派手にやりましたね…」
自室に戻ったクリスタは、ハンナにケガの手当てをしてもらっていた。
「これは、あっちが勝手にやってきたの。でもおかげで、あと一歩ってかんじ!!身体を張った甲斐があるってものよ!想定よりも早く追い出せそうで笑いが止まらないわ。あはははは!!!」
「ケガのせいでちょっと、いやかなり、頭がおかしくなっていますね…今日はもう大人しく休んでください。」
「私は平気よ!最高に気分が良いわ!!早いけど祝勝会でもやる?ふははははっ!」
ハイになっていたクリスタは、ドクターストップならぬ、ハンナストップによって強制的にベットに放り込まれた。
目が覚めたのは夕刻。
いつもの通り、カトリンの夕飯に合わせて食堂に向かうと、明らかに彼女の様子がおかしかった。
クリスタを見て、怯えているのだ。
左右に視線を揺らし、焦点が定まっていない。かなり異様な光景だったが、クリスタは気にせずいつもの通り自分の席の前に立った。
「ひいっ…」
クリスタの接近に、小さな悲鳴を上げたカトリンは勢いよく席を立ち、食堂の外へと走り去ってしまった。
「え…もしかして…私これ食べて良いのかな?」
走り去ったカトリンの方など見向きもせず、クリスタはテーブルに並んだ料理を見て、目を輝かせていた。