自覚
エッセン王国は、その豊富な海産物と技術レベルの高さから、美食の国と呼ばれており、食を目当てに近隣諸国から観光にやってくる者が多い。
美食の国というだけあって、この国の貴族は、3食全てコース形式の食事を取っている家が多く、食事の時間をとても大切にしている。
ここ、ベルツ侯爵家の食卓にも、豪華絢爛な品々が並ぶ。
本日のメインディッシュはテルミドールと呼ばれる、ロブスターの半身にクリームソース、チーズ、香草等を乗せてオーブンで焼き上げたものだ。
タイミングよく運ばれてきた料理は焼き立てで、香ばしい香りと海老の芳醇な香りが食欲をそそる。
目の前を通り過ぎていく出来立ての料理に、クリスタはじっとそれを見つめて生唾を飲み込んだ。
その首元は、痩せ細り、鎖骨が浮き出ていた。飲み込む様が良く見て取れる。
「まったく、卑しい子だね。お前はさっき自分の分を食べたばかりのくせに。」
「も、申し訳ございません…」
「意地汚くて、お前の母親に似たんだろうね。辛気臭いお前の顔なんてもう見たくないわ。さっさとお下がり。」
継母のカトリンによって毎日行われている、クリスタへの嫌がらせだ。
自分の食事時間にクリスタを呼びつけ、テーブルマナーの勉強のためという名目で、目の前で豪華な食事を見せびらかしながら堪能し、彼女の反応を楽しむ。それに飽きると、叱責して退出させるのだ。
言いつけに従い部屋に戻ったクリスタは、引き出しに閉まっておいた硬くなったパンを取り出し、半分ちぎって、残りはまた引き出しの中に仕舞った。
これは、唯一の味方である、使用人のハンナがこっそりとクリスタに分けてくれたものだ。
クリスタは、ボソボソと硬くなって乾燥したパンを齧る。味はしない。お腹を満たすためだけに口の中に入れて咀嚼する、飲み込む、それを作業として繰り返す。
あっという間に食べ終わってしまったが、明日食べ物がもらえるか分からないため、引き出しの中の残りには手を付けず、僅かにお腹が満たされたこの隙にベッドに入り込んで目を閉じる。
それがクリスタの日常だった。
クリスタは、ベルツ侯爵家に生まれた。
実の母親は、彼女を産んですぐに亡くなり、父親は家を任せるために、遠縁から適当に見繕い後妻を娶った。それがカトリンだ。
カトリンの家は裕福ではなく、家格が上のベルツ侯爵家からの申し出に二つ返事で了承した。しかし、当時まだ若かったカトリンは、子持ちの後妻になるなどプライドが許さなかった。
しかし家同士の決めた結婚は取りやめることが出来るはずもなく、行き場のない彼女の鬱憤はすべてクリスタへと向けられたのだ。
カトリンが男子を産んでから、クリスタへの嫌がらせは一層増した。事あるごとに、自分の子どもがこの家を継ぐからお前は用無し、要らない子だと叱責し、嫌がらせの一環として十分な食事を与えないようにした。
使用人がこっそりとクリスタに食べ物を分けていることが知られると、その使用人は即クビにされる。しかも物を盗んだから等と嘘の噂を流され次の就職先を見つけにくくさせる。そんなことをされては生活出来なくなってしまうため、皆黙って見ていることしか出来なかった。
クリスタの父親は、領地にいてほとんど帰って来ず、男子を産んだカトリンに対しては用済みとばかりに無関心であった。
そのせいもあり、カトリンは邸で女主人の権力を振り翳し、好き放題やっているのだ。
だが、それは突然終わりを迎えることになる。
「これ、本当に異世界転生してんじゃん…」
自室で1人、姿見の前に立ち、ペタペタと顔や腕、足など触って、生きている人間であることを確かめているクリスタ。
夜中に目が覚めた時はまだ半信半疑だったが、朝になって改めて自分の姿を見て、それは確信へと変わった。
10歳になった昨日、夢でいきなり前世の記憶が流れてきたのだ。
自分は一度死んで、またクリスタとして生を受けて、今日まで生きてきたことを完全に思い出した。
「お嬢様、カトリン様がお呼びです。」
ドアの外から、抑揚なくクリスタを呼ぶ声が聞こえた。いつもならもう食堂に向かっている時間だ。
カトリン…?あ…思い出した。私、あいつに虐められてたんだ。
こんな子どもに、なんて酷い仕打ちを…この子の身体、ガリガリで肋骨が浮き出てる…前世の自分だってここまで痩せこけたことはない。栄養を取っていないせいで、この黒髪もパサパサ…手入れしたらきっと美しくなるだろうに…
こんなこと、絶対に許せない。
クリスタにしてきたことの報いを受けさせてやる。
転生してまで空腹だなんて、絶対に嫌だ。許してやるもんか。
行くか。
「はい、只今参ります。」
昨日までのクリスタとなんら変わりのない、覇気のない弱々しい声音で返事をした。
急いでいつもの薄汚れたワンピースに着替え、足早に食堂へと向かう。
「おはようございます、お義母様」
食堂に向かうと、不機嫌な顔のカトリンは既に席に着き、テーブルには前菜とパンとスープが既に並んでいた。もちろん、一人分だけ。
クリスタはいつものように、何もない自分の席の前に立ち、着席の許可を待つ。
「朝食の時間に遅れてくるなど、ありえないわ。人のことを馬鹿にするのも大概になさい!反省するまで、貴女の食事は水だけよ。ああでも、」
カトリンは、ニヤリとやらしい笑みを浮かべると、自分のスープの皿を手に取り片手で持ち上げた。その皿を斜めにして躊躇うことなく、床に中身をぶちまけた。
「私はとても優しいから、スープくらいは上げてやってもいいわ。ほら、貴女にとってはご馳走でしょう?床がお皿代わりなんて、見窄らしい貴女にぴったりだわ。おほほほほ!」
高笑いを終えたカトリンは、顎で床を指し示し、早く飲めと言わんばかりに眉を吊り上げてクリスタのことを見てきた。
だが、彼女は怯まなかった。動じることなく、睨みつけてくるカトリンの目を真っ直ぐに見返した。その目は憎悪に溢れていた。
「クソババア」
憎悪に塗れた瞳のまま、口元だけで笑みを作ったクリスタは、カトリンにだけ聞こえる声量で言い放った。