交渉成立
「へ…今なんて??」
彼の言葉の真意を理解出来なかったクリスタは、ぽかんとした顔で聞き返した。
絶世の美少女姿と緊張感のない表情の差があり過ぎて、少し、いやかなり間抜け面に見える。
クリスタの言葉に、全力で焦り出した黒髪の少年は、必死に弁明と謝罪を始めた。
「いや、これは違くて、その…いきなりごめん。初対面の相手に言うことじゃなかった。今のは忘れてくれ…。悪かった…」
「別に貴方のことを責めてるわけじゃなくて…私なんかと婚約してどうするの?見ての通り、ハリボテ令嬢だよ?」
「え…」
今度は、少年の方がクリスタの言葉の意味を理解出来なかった。
こんなにも自分に衝撃を与えた唯一の女性なのに…メリットも何もないだろう。一緒にいられるだけで、どれだけ幸せなことか…
でも、メリットがないと彼女が不審に思うのなら、何かそれらしい理由を…何か…
「あ、もしかして女除けが必要とか?」
彼が理由を思い付く前に、クリスタがそれっぽいことを言ってくれた。
渡りに船と思った少年は、迷うことなく飛びついた。
「あ、ああ。そんな所だ。」
一目惚れした女性に対して、女避けと言うなど例え嘘だとしても、悲鳴をあげてしまいたくなるほど、心が痛んだ。
しかし、この千載一遇の機会を逃すまいと、痛む心を必死に抑え込み、なんとか肯定の言葉を口にした。
「なるほどね…婚約者のフリをするにあたって、何か条件はある?」
『フリじゃなくて、本物の恋人として過ごして、近い将来、本当に夫婦になること。』
心の中では間髪入れずに即答した少年だったが、さすがにこれは口には出せなかった。
代わりに、明るみに出せるような条件を必死に考えた。
「学園に在籍中、婚約者のフリを続ける、はどうだろうか…?」
少年は、3年間目一杯婚約期間を満喫して、その間になんとかクリスタのことを振り向かせようなどとセコイことを考えていた。
「うーん…学園生活丸々かぁ…さすがにそれはちょっときついかも。」
クリスタは、彼の出した条件に難色を示した。
それもそのはず、これでは彼女の目指す、優良物件の獲得に支障をきたしてしまうからだ。
「じゃあ、1年間は…?」
少年は必死に食い下がってきた。
仮とはいえ、一目惚れした相手との婚約期間に関わるため、それはもう死に物狂いであった。
「1年か…それならギリ大丈夫…かな。私も男除けに使わせてもらえるし。あ、婚約解消の理由は円満なものでお願いね。結婚相手探しに支障が出たら困るから。」
何の気なしに言ったクリスタの言葉に、少年は思わず胸元のシャツをクシャッと握りしめた。
俺はズルをして彼女の婚約者の立場に立つだけ…距離なんて何一つ縮まってなんかない。この1年で、彼女をモノにしないと、すぐ他の男に持っていかれてしまう…
「ああ、分かった。君の醜聞になるようなことは絶対にしない。」
「よし、じゃあこれで決まりね。約束したんだから、私のこともバラさないでよ?」
「もちろんだ。俺は約束を破るような不誠実な男じゃない。その点は心配しなくて良い。」
「ありがとう。」
クリスタはここで初めて笑顔を見せた。
もしかしたら、あの血の滲むような努力が全て水の泡となり、望んだ将来を手に入れられないかもしれないと思うと、不安でたまらなかったのだ。
クリスタの笑顔を目の当たりにした少年は息を呑んだ。
遠くから見ても心を奪われた彼女の笑顔。冗談抜きに、呼吸が止まりそうになっていた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。私は、ベルツ侯爵家のクリスタよ。婚約者さん、貴方は?同じクラスよね?」
クリスタの言葉に、少年の体温は急上昇した。顔に熱が集中する。
彼女の可憐な声で『婚約者さん』と呼ばれた少年は、真っ赤になる顔をとニヤける表情を誤魔化すために、横を向いて咳払いをした。
「俺は、アルトナー公爵家のフランツだ。俺のことはフランツと呼んでくれ。君のことはクリスタと呼んでも?」
「え、ええ…」
うそ…この人、畜産と漁業と輸入業の人じゃん…
学園の誰もが知る、今年一番の有名人であるフランツ。
公爵家という高貴な身分と、黒髪青瞳の整ったその容姿で女子生徒からの人気もかなり高い。
だが、クリスタはそのことに全く気付いておらず、彼の名前と貴族図鑑の照合作業を終えて初めて、相手が自分の狙っていた人物だと気付いたのであった。




