交渉
ヨークに声を掛けられた時、彼女が一瞬だけ身構えたように見えたことがきっかけだった。
彼はあんな見た目で、女性関係は結構派手だった。ヨーク家はこれでも火消しをしていたつもりなんだろうけど、公爵家の諜報部隊はしっかりと情報を拾ってきていた。
彼の裏の顔を知っているからこそ、何かあったらと勝手に心配になって庭園まで後を付けてしまった…
冷静に考えれば、挨拶すら交わしたことのない男に後をつけられる方が怖いだろうに、、、その時の俺は冷静な判断が出来ていなかった。らしくなく、感情で動いてしまった。
彼女のことが心配で、勝手に悪い方向に考えて、勝手に追いかけてしまったのだ。
こんな時に、気配を消して尾行出来る能力のある自分を恨めしく思う。
公爵令息として幼い頃から仕込まれた技術がこんな時に役立ってしまうなんて…
茂みの影から彼女の姿を捉えた。
二人の間に揉めているような雰囲気はなく、使用人に呼ばれたヨークが会場へと戻って行くのを見て、心底ホッとした。
だが、役目を果たした自分も戻ろうとした時、信じられない声が聞こえため、一歩踏み出し掛けた足を止め、声がした方に目を向けた。
それは、ヨークのことを罵る彼女の声だった。
いつもの気品に溢れた彼女とはまるで別人の、幼子のように唇を尖らせて眉を吊り上げた憤怒の表情で、相手のことを感情のままに罵っていた。
『な、なんなんだ…この可愛い生き物はっ…!』
俺は心の中で叫んだ。
素直に感情を曝け出す彼女の姿を見て、めちゃくちゃ可愛いと思ってしまった。
普段の、皆に見せている姿とはあまりにも異なっており、それを自分だけが目撃していると思うと、胸の高鳴りは激しさを増した。
ひどく動揺した俺は、不覚にも僅かに足音を立ててしまった。その結果、彼女に気付かれてしまったのだ。
もっともっと、素を曝け出している彼女のことを見ていたかったのに。本当に、何をやっているんだ、自分は…
やらかしてしまった俺は、己の未熟さに呆然とし、しばらく動くことができなかった。
げ…
これ、もしかして…いや、もしかしなくても、完全に見られてた…よ…ね???
・・・・・・・・。
やらかしたああああああああ!!!!!やっちまったよおおおおお!!!猫かぶってるの、絶対バレたああああああああああああああ!!!!!!ああああどうしよう!!!!!!
私のバカバカバカバカバカ!!!!
こんなところで猫を脱いでしまうだなんて…いやだって、アイツにムカつきすぎたんだもん…仕方なくない???全部、アイツが悪いんだ。
でももう、バレたんなら仕方ないよね…今さら隠してもしゃあないし。
もう開き直ってやる。
「このこと皆には黙っていて欲しいんだけど…」
彼女は、遠慮がちに切り出したが、俺は頼まれなくとも口外する気なんて全くなかった。
俺だけが知る彼女の内側、そんなこと、頼まれたって他のヤツらには教えたくない。
なのに…
「タダとは言わない。口止め料、何がお望み?どうしたら黙っていてくれる?」
彼女の言葉に俺は絶句した。
俺の望みを叶えてくれる…?彼女が?俺のために?
「じゃあ、俺の婚約者になって欲しい。」
気付いた時には、口走っていた。
自分の発した言葉を認識した時にはもう遅かった。彼女の耳に、しっかりと届いてしまっていた。




