プロローグ
「オーナー今日来ないの?」
カウンターに立っている少女が厨房の少女に話しかける。
「店長なら後でくるって言ってたよ。オーナーは今日来ないんじゃないかな。畑が忙しいんでしょ。それよりほら、ナポリタンあがったよ。持ってって。」
「はーい。」
厨房から出された皿を、カウンターの少女がテーブル席に座る客に持っていく。
よく炒められた自家製ケチャップと生麵のナポリタンから漂ってくる甘酸っぱい香りは、食欲を刺激する。
「お待たせしました~。オーナーの手作りケチャップのナポリタンで~す。」
「お~うまそうだ~。ここはうまい飯にかわいいウェイトレスまでいていいねぇ~。弐楷堂くんたちがうらやましいよ。」
「私たちもこんな田舎でこんないい時給のバイト見つかってうれしいです~。この辺じゃバイトなんてないし。」
「ここ時給1200円で賄いも出るし。いいこと尽くめだよね~。しかも通勤のために原付免許のお金まで出してくれるし。」
「あ、そんなこと言ってたら来たよ店長さん。」
窓の外を見ると、目の前の街道を古いランクルが走ってくる。
ウィンカーを出して喫茶店の駐車場に入ってくるランクルには、2人の人影が見える。
「あれ、今日はオーナーも来たんだ。」
「弐楷堂くん今日は来れないと言ってたけどどうしたんだろう。畑仕事が早く終わったのかな。」
車を停めて降りてきた2人組は、そのまま店の中に入ってくる。
「ようお疲れさん。」
「三波さんに栢原さんお疲れ様です。今日は弐楷堂の仕事が早く終わったんで2人で来ました。」
「お疲れ様です弐楷堂さん、霧島さん。」
「お疲れ様でーす!」
店の2人は、入ってきた2人に挨拶すると同時に、カップにコーヒーを入れてカウンターに置く。
霧島はコーヒーを一度飲んでからレジの清算を始める。
「どうだ2人とも。仕事には慣れたか?」
「ハイ!楽しくやらしてもらってます!」
「給料もいいですし、何より原付の免許まで負担してくれるなんて、ありがたいです。」
霧島がレジの清算をしている間、弐楷堂はウェイトレスの2人に客の爺さんたちと雑談をしている。
弐楷堂はコーヒーを飲み終えると、厨房に入る。
厨房の奥の冷蔵庫の扉を開けると、中にしまわれた野菜たちの前に立つ。
「栢原、何か足りないものはないか?」
「そうですねぇ。卵も不足はないですし、小麦粉も納品されてる分だけで大丈夫ですよ。」
「そうか!じゃぁ野菜とか卵を農協に卸しても大丈夫そうだな。霧島に話をつけてもらうか。」
「弐楷堂!清算終わった。問題なしだ。」
厨房の入り口の方で、霧島が弐楷堂に声をかけてくる。
冷蔵庫を出て店に戻ると、弐楷堂は腕時計を確認する。
「それじゃぁわしらはもう行くかのう。」
「おう。じゃぁ今日はもう店を閉めるか。三波と栢原は掃除しちゃって。」
「はーい。」
客の爺さんたちが出ていくと、2人とも店の中の掃除や厨房の掃除を始め、弐楷堂たちは店の一番奥のテーブル席で農協に卸す野菜などについての話し合いを始める。
店の中の清掃が終わると、2人が弐楷堂たちの座るテーブルの方に近づいてくる。
「掃除終わりましたー。」
「おう。外はもう暗いから気を付けて帰れよ。」
「お疲れ様です。2人とも気を付けて。」
三波たちは、一度礼をして店を出る。
裏に停めてある各自の原付の前でヘルメットをかぶる。
「そういえばさ。あの2人って何者なんだろうね。」
「あの2人って、弐楷堂さんたちのこと?」
「そうそう。畑の収穫だけじゃ喫茶店の経営なんてできないでしょ。それに、裏の山にはキャンプ場まであるらしいじゃん。喫茶店の売り上げでもキャンプ場の売り上げでも、畑の収入だけでも生活ができるとは思えないんだけど。」
「確かに。あの2人どこ出身でどこから来たのかもわからないんだけど。なんでこんな田舎でこんなことしてるんだろうね。」
三波たちは話しながら原付を出すと、そのまま真っ暗の畑の道を走り去っていく。
しばらくして喫茶店の明かりが消えて2人が出てくる。
車を表の道に出すと、2人で門を閉めてから車で家に向かって走り出す。
「そうだ弐楷堂。来週の火曜小田原の大学で講演あるから朝から出かけるわ。」
「おう。あ、俺その前日打ち合わせで東京だわ。わりぃけど月曜野菜たちの様子見てやってくれ。あとキャンプ場の集金ボックスとか。」
「オッケーわかった。任せろ。」
車を転がしながら、ふと思い出したようにお互いの予定を立てる。それぞれが、農家とは思えないような内容の会話だ。
それもそのはずであり、2人ともただの農家ではなかった。
弐楷堂友治郎
年齢:27歳
表の顔:農家・キャンプ場管理人・喫茶店オーナー・霧島の共同経営者
裏の顔:ベストセラー作家『二階堂』・作詞家・詩人・環境分析技術者
霧島太喜
年齢:27歳
表の顔:農家・キャンプ場管理人・喫茶店店長・弐楷堂の共同経営者
裏の顔:横浜大学日本歴史学部『歴史民族学・文化人類学研究室』准教授
「次の講演は何やるんだ?」
「次の講演は横須賀の移り変わりを民族学の観点から見たって題名でやる予定だ。そういうお前は次どんな本出すんだ?」
「俺か?次は久しぶりにミステリーかなぁ。学園ラブストーリーとか書きたいんだけど浮かばないんだよ…。」
「いいじゃん売れてるんだから。そういえばこの前書いた歌詞は売れたのか?」
「売れた。それで収入来たしほかの印税もあるから結構今月は多いな~。」
畑道を、森近くにある家に向かってランクルは走り続ける。
ヘッドライトをハイビームにして走り、しばらくして畑と山の間に川を挟んで建った古民家が見えてくる。
2人が暮らす家が見えてきた。