006 『駆け引き』
ーー私はデスプリンセスではありません。
その言葉が晴人の中で反復する。
晴人は思った。嘘をついている可能性は?
もし仮に自分の予想が的中していて、六花がデスプリンセスだった場合、指摘されてすぐに「ハイそうです」などというだろうか?否、言わない。
なぜなら、校内にはデスプリンセスに恨みを持っている人間もいるため、正体を明かす事はその者たちに狙われる事を意味するからだ。悔しくも過去には痛ましい事件もあった。
そのこともあり、デスプリンセスは正体を明かす事はない。ましてや退学を宣告した無関係で危険性の高い人間に明かすことなどデメリットしかないのだ。
つまり、晴人ができる事は一つ。
「交渉させてくれ!」
「交渉?」
「俺はこのファイルを持っている。キミのことはもちろん他のデスプリンセスだと思われる人物の情報も記載されているこのファイルをだ。」
六花は手を重ねて両腿の上に置き晴人の話を静かに聞いている。
「キミがなんらかの方法で、俺を復学させてくれればこのファイルはキミの手に渡る。そうでない場合、このファイルは俺の手元に残り、そのまま俺はこの学校を去ることになる。」
「そのファイルには青國のマル秘シールが貼ってありました。勝手に持ち出すのは違反では?」
「シールは生徒会がつけたものだ。」
「だから剥がす権限も生徒会にはあると?しかし、黒川さんはもう生徒会どころか青國の生徒ですら…」
「俺が退学になるのも、下期の生徒会が発足するのも選挙から1週間後今週の金曜。つまりそれまでは俺は青國の生徒であり、生徒会であり、今このシールを外す権限は残っている。」
2回、3回と晴人が爪で引っ掻くとファイル表紙にあるマル秘のシールは白い粘着質の下地をかすかに残し簡単に剥がれた。
「俺をこのまま退学にした場合、このファイルは俺が自由に扱う。勘のいい六花さんならわかるだろう?」
「…なるほど。考えましたね。」
そう、このファイルの本当の使途は理由の裏付けでなく、人質だ。ファイルには六花本人とそれ以外のデスプリンセスの名前があるかもしれない。しかも、その情報をどこかへ流されるかもしれない。
もし六花本人がデスプリンセスであれば、ファイルへの信憑性は自ずと肥大化し、交渉の余地が生む。晴人はそれを狙っていた。
ーーどうだ??
「私がデスプリンセスであれば、その交渉飲んでいたことでしょう。」
晴人に六花はまるで子供の悪戯を笑うように微笑む。その笑みは晴人にも嘲笑に見えた。
「なっ、そんな。本当に違うのか?」
ーー駆け引きを狙っている?
「無論です。
その証拠に、私は生徒会長にはなりたくないですし、むしろ生徒会長には黒川さんが適任だと本気で思っています。」
ーーわからない。
「じゃあキミはどうして生徒会長に立候補なんてしたんだ?」
「母に頼まれたからです。」
「母?」
「私の母の勤め先をご存知ですか?」
「そりゃ有名だからな。同共通信社だろう?それになんの関係が…」
「実は先週の金曜、同共通信社は株主総会でした。その時にうちの会社は企業再編のため自社株売りを発表したのです。金曜の午後にはニュースにもなっていました。詳細はこちらに…」
テーブル下に潜ませてあったiPadを取り出しそのニュースを見せる。同共通信社代表取締役交代に伴う企業再編で自社株売りを発表とあった。
同共通信社の代表取締役は六花葵の祖父。歳もあり、それが母に継承されるということなのだとなんとなく晴人は悟った。
「自社株売りとなれば市場には悪材料。株価は必然的に下がります。しかし、私の母ら経営陣は自社株売却のニュース以降も株価を保ち続け、高い価格で株を売ろうとするせこい考えの末、行き着いた先が私を生徒会会長に立候補させる、ということでした。」
後継者の動向など本来であれば市場に影響を及ぼすことはない。しかし、青國に在籍し重役の後継ともなれば株価に直接影響を及ぼすことがある。
理由の一つは青國には多くの政財界トップの後継者が集まり、そこで構築された関係が後に企業同士の提携やある生徒が優先して友人企業に委託したりなど企業間に大きなメリットをもたらす好材料となる場合が多いからである。
そして二つ目は青國に在籍する後継者達は政財界にとって即戦力であるということ。青國の高レベルな教育、そして、実質飛び級をして大学生以上の実力を持つことに加え、名家それぞれで後継者に企業内での社会経験を積ませている場合が多いためである。
実際多くの卒業生が青國卒業後に財界のトップに立ち、友人同士で企業提携・協力を持ちかけることは〝よくあること〝というのが世間の認識となっている。
「今、同共通信社の株価は?」
「黒川さんの退学が決まり、私が生徒会会長当選が濃厚になったことにより、現在同共通信社の株価はストップ高です。」
iPadを再び手に取った六花はすらすらと画面を操作し、すぐその画面を晴人に提示する。そこには同共通信社に値がついておらずストップ高になっているチャートが出ていた。
「私は母のやり方が気に入りません。だから、母には私が生徒会会長から落選しバチが当たって欲しかった。母は黒川さんについて情報を持っていませんでしたし、もちろん黒川さんが当選有力であることも知りませんでした。今回の生徒会選挙は私なりの母への復讐でもあったんです。ですが蓋を開けてみれば黒川さんが退学になってしまっていた。」
ため息混じりの声と痛いほどの視線を晴人に浴びせかける六花。目線を斜め下に晒し、晴人は言う。
「す、すまない。」
「他にも言いたいことはありますが、私は黒川さん以上に黒川さんの復学を望んでいます。信じてもらえるにせよ、もらえないにせよこれがデスプリンセスではない理由です。」
「六花さんがデスプリンセスでないことはわかった。六花さんから見てデスプリンセスであると思う人物は誰かいないかな?
例えば名家の生徒の中にとか…」
晴人がそう言いかけたその時、部屋の扉が勢いよく開かれピシャリと奥にぶつかり跳ねた。
「あん?先客か?」
「…一条くん」
軽快な音を立てるニンテンドーSwitch左手にドアを右手で抑えながら、部屋の様子を見渡す男子生徒。彼の名は一条蓮。彼はこの部屋の存在を知っている生徒。つまりは六花と同じく名家の者である。
ーー彼が一条。確か一年生だったな。
そう彼は一年。しかし、態度も格好も一年ではない。髪の毛は金髪でヘッドホンは常に着用、耳と舌にはピアスともはや青國の生徒ですら怪しいその見た目。しかし、そんな彼に文句を言うものは誰一人としていない。それは名家だからと言うわけではない。
「今日は授業はどうしたの?」
「あん?もう終わってるよ。つかてめえ同じこと何回も聞くな全高校教育課程単完だボケ」
ーーなんて口の悪い。ん?全部単完!?
一条は誰よりも秀才だった。晴人は目を見開き、薄く口が開いていた。
「あなたが言っているのは必修科目のこと。選択科目は先取り出来ないでしょう。
それに、学校にゲームを持ってきてはいけません。授業がなければ大学の授業を履修するなり、復習するなり色々あるでしょう?」
「うるせえな。母親かよ!」
「ごめんなさい。色々酷い子で。やることはやっているから、ここでのことは目を瞑ってあげてください。」
「ああ、」
台風のように過ぎていった一条はヘッドホンを付け直すと奥のビリヤード台のある部屋へ消えた。そして、ゲームのボタンとスティックを押す音だけが静かに聞こえて来る。
「さっきの話だが名家の生徒の中にデスプリンセスだと思わしき者はいないか?」
「いえ、名家の者は学校だけでなく、習い事や、お茶会、その他でスケジュールは埋まっているはず。彼らのプライベートについてもある程度把握はしていますがデスプリンセスに任命されている様子はないと思われます。そもそも彼らは他の生徒に興味もありませんし。」
「そうか。」
ーー勘の良い六花が言うなら名家の者がデスプリンセスである可能性は薄いか。そもそも、名家の暴走を止める意味合いを機関だ。その名家がデスプリンセスである可能性は薄いのかもしれない。
「わかった。ありがとう。」
「私も何かわかったら連絡します。」
六花が差し出した手と握手を交わし、晴人は席を立つ。
「ご武運を。」
晴人はファイルを手に次なる候補を求め名家の休憩所を後にした。
ーーかちゃり。トプトプトプ…。
ティーポットから最後の一滴が溢れる。
「葵ー!まだ余ってる?渚さんの持ってきた紅茶」
奥の部屋から一条が顔を出す。
「残りはこれいっぱいしかないわ。どうぞ。」
「さんきゅー!。って三口くらいしかねえじゃねえか!」
用事を終えた六花は棚に置き去りになっていた物理の教科書とタブレットを手にとると、一条が思い出したように言う。
「あーさっきの退学になった会長。なんの用事?」
六花は振り返らず、
「私がデスプリンセスだと思い、復学するように交渉しにきたのよ。でもまあ、私は違うから」
「なるほどねぇー。でも嘘は良くないんじゃない?教えてあげればよかったじゃねえか。」
「葵はデスプリンセスじゃないが、名家にデスプリンセスはいるだろ?」
「そうね。でも嫌よ。母に嫌がらせ程度ならまだしも、会社ごと潰されるのは敵わないわ。」
次回投稿は12月7日を予定しています。
次回で退学通知 2年F組 黒川晴人を退学とします。は最終回です。