001 『退学通知』
青國高校退学通知書
2年F組 出席番号12番 黒川晴人殿
第二特別風紀委員会の名において本校青國高等学校からの退学を命じる。以上。
なお、猶予は本内容が通達された日から1週間以内とする。
通知日 令和三十年 10月2日。
「うわー…また誰かがデスプリンセスに退学させられてるよ…」
「え、ちょっと待って黒川晴人って一昨日生徒会選挙で生徒会長に立候補してた人じゃ?」
「まじじゃん!やっぱあの演説はプリンセスの逆鱗に触れてたか…いいと思ったんだけどな。残念だ」
「まあ、当然といえば当然じゃない?」
周囲でされる会話は松雪には届かない。
親友であり、同じく生徒会でこれまで切磋琢磨し、これからも彼が生徒会長、自分が副会長でこの青國高校を引っ張っていくと思っていただけに松雪には蒼天の霹靂であった。
昇降口に掲示された親友の通知書に手をかざす。通知書は透明のアクリル版に阻まれ直接触れることはできない。
「…なんでこんなことに」
松雪は掲示板に群がる生徒を押し除け、ある場所に向かって一直線に走り出す。
黒川晴人に向けた青國退学通知書。それは奇しくも黒川晴人の生徒会会長を知らせる通知の上にかぶせるように貼られていた。二重になったそれは昇降口から入ってくる横からの北風に煽られ、虚しく画鋲下でビラビラ音を立てる。
「どうするんですか?これから」
「夏菜子…俺はこれからどうするんだろうか…」
「あの私が聞いているんですけど…」
次の瞬間、生徒会室にドアの開閉音が響き渡る。
「…晴人!晴人!」
「おお、松雪。」
その声には覇気がない。
昇降口からまっすぐ生徒会室に走ってきた松雪は息を切らしながら放心状態になっている黒川晴人と晴人を慰めていた北条夏菜子のもとに歩み寄る。
松雪は晴人に馬鹿野郎の一言でもぶっかけてやろうとしていたが晴人の目は光を失っており、これ以上傷口に塩を塗ってやる必要はないと言葉を飲み込んだ。
そして、次に自分を落ち着かせるように長机を挟んで晴人の前にある椅子に腰掛けた。
「その様子だともう知ってるみたいだな」
晴人が言う。
「ああ、昇降口の掲示板に張り出されていた!」
「そうか、俺は朝寮のパソコンでメール確認した時に知ったよ。俺は終わったのか?夏菜子、松雪」
「うん終わった」
間髪入れず答える夏菜子に松雪が手で突っ込む。
「まてまて、早い!なぜ死姫に退学されることになったか検討はついてるのか?死姫による誤判断の可能性は?」
「わからない。思い当たる節があるとすれば生徒会選挙演説くらいしか…」
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時は生徒会選挙演説当日に遡る。
「死姫について知りたい? 唐突だなあ。それに一年以上もこの学校に在籍しているんだ。大体のことは晴人も知っているんじゃないのかい? 」
「いや、改めて知っておきたい」
「この後に控える選挙演説に集中することよりも大切なこと?」
晴人は頷く。
そこは生徒会室。五限の授業が終わり、六限目に生徒会選挙を控えている。学校の多くの生徒はこの時間を怠惰に過ごし一時でも勉学に縛られない有意義な時間を満喫している中、生徒会会長、および生徒会副会長に立候補する黒川晴人、松雪学は生徒会に立ち寄り最終調整を進めている最中のことだった。
生徒会立候補者は六限が始まる5分前には演説を行う体育館に集合しなければならないが、晴人と松雪は五限を早めに出ており、リハーサルは大いに済ませた今、時間はまだ少し余っていた。
「いいだろう。座ろう」
生徒会室窓際に添えるように配置された机。本来その机は花瓶を置いておくための余った机だが、2人にとってはいつも思考をすり合わせるにはもってこいの落ち着く場所で今回も暗黙の了解で2人は席を挟んで椅子に腰掛ける。
「説明しよう、とは言っても僕も噂の延長線上でしかない。稔会長の方が詳しいし、僕の死姫に関する知識はあの人から託されたものでしかない。多分晴人の知識とそう大差なく、認識を合わせるだけになると思うけど?」
「構わない。むしろそれがメインだ。新しい情報が入ってくると”今回の演説はご破算”だ」
松雪は疑問符を浮かべる。晴人の演説の原稿には目を通したがデスプリンセスに関する記述はなかったはずだからだ。松雪が質問する前に晴人が口を開く。
「まずは定義から、デスプリンセスは第二特別風紀委員会と呼ばれ、権力者の後継や一部の生徒組織による学校の私物化を防ぐための青國高校にのみ限定して作られた組織。で間違いないか?」
「間違いはない。ただ指摘するとすれば"防ぐ"という表現は僕の認識とは少し違う。死姫の目的は"防ぐ"ではなく"監視"にある。そもそもデスプリンセスの元ネタについては知っているかい?」
「パノプティコン?」
「答えはYESだ。イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが設計した刑務所”パノプティコン”が元ネタになっている。」
「少人数で多人数の収容者を監視できるシステムだよな。まあなんにせよ、刑務所がモデルだなんて気分は良くないな」
「そうとも言い切れない。監視されているかもしれないという状況が収容者の倫理・道徳心の養成と理性的行動を促すそうだ。心理分野については未履修だから深い追求はごめんだが、つまりベンサムは収容者の更生を第一に考えていたんだ。自分さえよければいい、何でも自分の思い通りに動かしたい、そういうことがこれまでまかり通っていた者達に足りないのは倫理観や理性の欠如が原因だと言われているから、そういう者達を抑制するためには十分効果があると踏んだんだろうね。それに言っても、彼らはバカではないから。」
「うむ、メリットについては同じく感じていた。甘やかされて育ってきたんだろう同級生を入学当初はよく見てきたが今じゃすでに退学になっているか、更生しているいわゆる普通の高校生になっているのをこの一年間近で見てきた。」
だね。と、松雪が深く頷く。
「それにそこまでのメリットを説明できなきゃ教育現場での実用は難しかっただろうしな。ちなみにデスプリンセスが理事長と同じ権限を持っているというのは本当なのか?」
「それはおそらくYESだ。一度死姫の退学通知を受けた生徒が理事長室に直接赴き理事長に退学を取り消してもらうよう、嘆願していたのを稔会長と理事長室に予算案を届けに言った際に見たことがあった。その時に理事長は言っていたよ、」
――私の権限では復学させることはできません。もっと上、行政の方に説明をしていただかないと。
「行政!…教育委員会ってことか!」
「だろうね。さらに調べたところ、死姫ができたのが現理事長が教育委員会から天下りしてきたすぐ後のこと。この学校に配属される前から青國の問題が学校単体で解決できる問題ではないと判断し、事前に自分に責任が降りかかるのを避けようとしたんだろう。」
「自分が天下りをする前にデスプリンセスの枠組みを教育委員会に属している時点で作成していたってことか。」
「上手いもんだよ。」
あくまで憶測の範疇ではあるが、理事長という人間を知っている2人にとっては何ら不思議に思うことはなく、むしろ巧妙な手回しがある方が理事長っぽいということで合点がいった。
「ああ、見方によってはただの責任逃れだ。とはいえ、この学校だけで暴走する後継どもをどうにかできる手段が他にもあるかと言われれば、ないとは思うがな」
ゆっくり赤み掛かっていく空を見つめる晴人。
「その様子だと死姫の権力については晴人は初耳のように見える。」
「でかい権力が付いているとは思っていが、行政が絡んでいるとの考えは確かに初耳だ」
「となると、…今回の演説はご破算かい?」
晴人の発言を引用する。松雪が気になったのは最初晴人が端を発したこの一点のみ。問うタイミングを伺っていた。
「いや、大丈夫だ。でかい権力の所在が明らかになっただけであれば演説の内容には変更はない。」
「稔会長と作った演説原稿は使わないのかい?」
あれだけ読み合わせで練習してきたのに。松雪の胸中複雑だ。
「ああ、悪いがな。」
そろそろ六時限目五分前となる。時計を確認し、晴人は席を立つ。
もう晴人を説得する時間はない。そう悟った松雪は晴人の用意した得体の知れない演説原稿にベットするしか無くなってしまった。もう天に祈ることしかできない。
「せめて、死姫の反感を買って退学なんかにはなるなよ。」
「ああ、勿論だ。俺はこの学校を根本から改革する!」
松雪に不安はなかった。これまで窮地に立たされた場面では晴人の機転が生徒会を導いたことがあったからだ。迫る時間に焦り麻痺した松雪の思考は不安ではなく期待を晴人に向けていた。